随想「ワープロで書かれた手紙」

町山峰子

私には、忘れられない光景がある。それは、一人の伝道者の方がワープロで手紙をつづっている姿だ。一本指で、ポツン、ぽつんと打っていた。

それは今から30年前。20代後半だった私は、失恋して北海道から東京に出てきた。信仰をもって育てられたのに、その時は信仰心も消えかかり、心はボロボロだった。仕事もない私に、東京の幕屋の方が声をかけてくださった、
「通いで、家事の手伝いに行ってくれないかしら。10年近く南米で伝道していたご夫妻で、2人とも重い病気になって帰国したところなの」と。

それで私は、毎日そのお宅に伺うようになった。

古いアパートに、ご夫妻は暮らしていた。沼田さんという方だった。南米で体調を崩したご主人に、初めに告げられた病名は、「燃え尽き症候群」。後に、パーキンソン病とわかった。奥さんは、がんだった。

沼田さんはご夫妻で、若いころから北海道、広島など、日本各地で伝道してこられた。白熱しつつ聖書を語っては、多くの方々が聖霊の注ぎを受けてキリストのもとに導かれてきたそうだ。ご自身は透き通った笑顔で、
「ぼくはね、若いころから、海外で伝道することが夢だったんだよ。40代後半を過ぎて、ようやくブラジルとパラグアイで伝道することができたんだ」と話してくださった。奥さんも、
「向こうで暮らすためにね、ある時は家族でうどんを打ったりしたのよ。必要なだけのお金は不思議に与えられたわ。ほんとうに楽しかった!」と。

料理が下手な私のために、闘病中なのに、南米で覚えた料理を教えてくださった。

奥さんは毎日うれしそうに長い時間、神様に祈っておられた。祈りながら心にかかる人があると、すぐに手紙を書いたり、体調がいい時には訪ねたりしていた。

ご夫妻の純粋な信仰に触れて、私も清められていくようだった。いつしか私の心の傷もいやされていた。

志は南米大陸を駆けて

ある時、ご主人がすごくうれしそうだったので、
「どうされたんですか」と聞くと、
「あのね、アルゼンチンの方から手紙が来たんだよ」

沼田さんがパラグアイにおられた時のこと。その方がキリストを求めておられると知って、長距離バスに揺られて訪ねていったという。日本でいえば、東京から鹿児島までの距離だ。バスも道路も整ってはいないだろう。「アマゾンからラプラタまで福音を」(距離にして約4000キロ)と南米大陸を走り回っておられたのだ。けれど志半ばに、お二人とも病気になられたのだった。そのラプラタ川が流れるアルゼンチンからの手紙だったのだから、うれしくないはずがない。

やがて、沼田さんの病気は進行していき、横になっていることが多くなった。座椅子で眠っていても、集会で祈りをリードする夢を見ているのか、「皆さん、天を見上げてください……」と寝言を言うことも。

ある朝、ご主人がワープロに向かっておられた。

「何を打っているんですか」

「この前のアルゼンチンの方に、手紙を書いているんだよ」。ペンを持てなくなった沼田さんが、1文字1文字、人差し指を使って長い時間をかけて書いていた。

それから1年後に奥さんが、2年後には沼田さんが天に召された。

最後まで輝いた姿で、不滅の印象を残していかれた。体をすり切れるまで使い尽くして、福音を伝えるために生き抜かれた。

つながる記憶

それから長い年月が流れた。

私は東京の幕屋の日曜集会で、ある婦人と出会い、親しくなった。そしてランチを一緒にした時に、こんな話をしてくれた。

「私は、アルゼンチン生まれの日系2世です。私が15歳の時、父が病気で亡くなって、母は大変な思いをして私と兄を育ててくれました。その時、日本人の友人から『生命の光』誌のバックナンバーをもらいました。母はその内容に感激して、掲載されていたブラジル支局に手紙を書いたのですが、住所が古く、すぐには手紙が届かなかったようです。やがて私が精神的な病気になって、動けないくらい重症になった時、母は絶望して苦しみました。そんなある日、玄関のベルが鳴って、外に立っていたのが、沼田先生という方でした」

「え、沼田さん?」

「はい。ようやく届いた母の手紙を見て、隣国のパラグアイから長距離バスに乗って来られたんです。一緒に祈ってくださり、母はほんとうに喜びました。沼田先生は、病気だった私にも『きっと笑いが止まらないような日が来ますよ』と言ってくださいました。そのあと、沼田先生はご夫妻ともに病気になって、日本に帰ってしまわれたんです」

「もしかして、日本に手紙を書きませんでしたか」

「はい、母が書いていました。沼田先生からもお手紙を頂いていました。初めは手書きだったけれど、ある時からワープロになって……」

その瞬間、私の中に沼田さんの姿がよみがえった。

あの手紙は、このご家族のために……。

激しい伝道生涯の最後に、南米で己をささげ尽くしたご夫妻。お金も家も残さず、悲しい最後と思う人もあるかもしれない。でも、このご家族にキリストを慕う種をまいて天に帰られた。私は心の底から叫びたい気持ちになった。これが本当の伝道なんだと。

後日、彼女が持ってきてくれた、その時のワープロの手紙を見て、胸がいっぱいになった。


本記事は、月刊誌『生命の光』837号 “Light of Life” に掲載されています。