エッセイ「月がきれいだよ」

町山峰子

台風や小さな地震があるたびに、山形の父から娘の私たちに電話がかかってきた、
「大丈夫だか?」と。

4人姉妹の電話番号が、実家の電話機に登録されていて、1番を押すと上の姉、2番を押すと次の姉に電話できる仕組みだ。三女の私は3番で、私の次は4番の妹。

それぞれの場所に嫁いだので、忙しい毎日にあって家族をつないでいたのは、父の電話だった。

時が過ぎ、地震があっても電話がかかってこなくなった時、父がもう地上にはいないことを実感した。

父が信仰をもつようになったきっかけの一つは、私の病気だった。

重い喘息(ぜんそく)の発作が起きると、母は私の背中をさすりながら祈り、父もやがて神様に祈るようになった。

父自身が、神様のもとで安らぎと喜びを知ったという。

それから父は、仕事でも家庭でも、神様に聞いて過ごしていた。見えない神様を慕っていた。

私が就職して行った北海道で、神様から顔をそむけて投げやりになって生きていた時、山形から私のところに飛んできて、軌道修正してくれた、
「あんたの生きる道はそっちじゃない」と。

普段は仕事が忙しく、家のことはほとんど母に任せきりだったが、姉たちや妹も、人生に迷ったり、挫折(ざせつ)した時は、父の出番だった。

寡黙な父の一言は、私たちの心に、ずっしりと響いた。

長年、重責を伴う仕事を務めた父が70代で退職した後、母との穏やかな暮らしが始まった。雨戸を閉めるのは、父の仕事。

「月がきれいだよー」

父がそう言うと、母は必ず窓から月を見て、
「ほんとうに、きれいだのぉ」
と、2人で眺めていた。月が好きなんだな、と娘の私たちは知っていた。

父が亡くなってから、私たちの間で恒例になったことがある。4人姉妹のスマートフォンに、実家の近くに住む上の姉からメッセージが入る。

「月がきれいだよ」

 その一言で、ほかの3人は、関東、山陰のそれぞれの家から月をながめる。

「ほんと、きれいだね」

それ以上のことは、だれも言わないけれど、月を見ながら父に感謝し、天を見上げて生きた父のように、神様に聞いて生きようと思うのだ。


町山峰子
東京都在住。会社では経理の仕事で数字と向き合い、自宅では『生命の光』誌の童話作りでパソコンに向かう。好きなものは日本酒とコーヒー。


本記事は、月刊誌『生命の光』824号 “Light of Life” に掲載されています。