信仰の証し「SEが知った『論より証拠』」

山中昌之

父がステージ4の大腸がんだとわかった日、病院に駆けつけると、人の行き交う病院の玄関で、母はうずくまって泣いていました。

その母が職場の同僚からもらった『生命の光』をきっかけに、父と母は幕屋の日曜集会に集うようになりました。父は入退院を繰り返しながらも、3年半後に亡くなるまで、精いっぱい生き抜きました。

父の最期の言葉は「イエス様バンザイ、バンザイ」でした。かすれていたけれど、死の直前とは思えない、大きな声でした。告別式では、何人もの幕屋の人が、「山中さんは勝利して、キリストのもとに天翔っていった」と言っていました。常識では「病気で死ぬことのどこが勝利なんだ?」となるでしょう。最期に立ち会わなければ、私もそう思ったはず。ですが、敗北感を感じさせない姿を目の当たりにしたので、「勝利」の言葉を否定できない。「論より証拠」でした。そうはいうものの、すべてが納得できたわけではありません。

私の職業はSE(システムエンジニア)。最先端の人工知能はもちろん、身近な家電製品にも、コンピュータープログラミングは欠かせません。その設計や管理がSEの仕事の一つです。プログラミングは因果関係が明らかなもの。だから系統立てて論理的に考えると、理解も納得もできる世界です。でも、宗教は必ずしもそうではない。これが私にとって厄介でした。

父の喜びが本物であるのは見ればわかる。それでも「証拠より論」というか、納得できる説明が欲しい。それが率直な気持ちでした。父が最期に現した世界を理解したい。けれども、私の前ではその門が閉ざされているような感じがしました。

天界の父と私

父の死の1カ月後、部屋にいた時に、私は一つの幻を見ました。

父が天上の世界で、天界の幕屋の人に迎えられていました。「イエス様に会いたい」と父が言うと、「わかった」と一人が道案内します。どこまでも見渡せる丘の上に出ました。ずっと先に、オレンジか白色の柱が空まで伸びていて、周囲を亡くなった人の魂が囲んでいました。中心に立つのはイエス・キリスト。その場所までは現実世界ではありえないほどの距離があるのですが、何をしているのかはっきりと見えました。

一人ひとりに手で触れながら、キリストが祈っておられる。数億の人が順番待ちをしています。父も祈ってもらいたいけれど、100年待っても自分の番が来るのかもわからないほどの人の列。覚悟を決めて列に並んだ時、何かを感じて振り返ると、イエス・キリストがそこにいらっしゃったのです。「山中良一さん、あなたが来るのを待っていましたよ」と声をかけて、祈ってくださいました。

本来ならば何百年も列に並ぶはずなのに、キリストのほうから来てくださった。それだけでなく、名前まで知っていてくださるとは……。そこにいるのは、父であり、私でした。光栄も光栄。父が喜んでいます。欣喜雀躍(きんきじゃくやく)。私の魂も喜んでいました。

この体験後、私は幕屋の日曜集会に毎週集うようになりました。私のことさえご存じのイエス・キリスト。このお方のそばにいたいという感情がわき起こり、私を幕屋に引き寄せました。キリストが呼ばれたのは父の名前ですが、私にとっては父の名であり、私でした。論理的な説明ができているようには思えませんが……。

門をたたいてみたら

航空業界の基幹システムを担当して10年がたち、そこではエキスパートともいえるころ、異動を打診されました。これまで使っていないプログラミング言語が必要になる現場でした。断ることもできる話でしたが、受けることにしました。数日前に読んだ聖書の言葉が心に残っていて、挑戦したくなったのです。

求めよ、そうすれば、与えられるであろう。
捜せ、そうすれば見いだすであろう。
門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。

ルカ福音書11章9節

終電で帰宅することが増えましたが、異動してよかったです。仕事のスキルが成長しました。何より、想定外の解決方法がひらめいてプログラムが完成する、そんな神様の助けを感じられるようになったのです。

無性にうれしい世界

この10年間で私が得たのは、当初求めた論理的な理解でなく、実体験、「証拠」でした。それをデジタルデータのように、何度もコピー&ペーストすることが通用するなら楽ですが、繰り返し動作するプログラミングと違って、毎回神様に聴かないとだめでした。

信仰の世界は、考えてもわからないことが多くて、初めは苦しかったです。頭で理解したがる私に対して、言葉で説明してくれる人もいましたが、それではどうもだめでした。

けれど、早朝4時から山で祈った時、また寒い海で禊(みそぎ)して祈った時、何かがパカッと開かれた感じがしました。すると、「山中さん、最近何だか変わったね」と言われたんです。

「無性にうれしい」、これが私の今の実感です。言葉で説明できない世界ですから、これからも理屈なしに祈ってやってみようと思います。


山中昌之(42歳)
千葉市在住。生まれも育ちも千葉房総。パソコンの前では寡黙。妻子の前では結構はしゃぐ。


本記事は、月刊誌『生命の光』824号 “Light of Life” に掲載されています。