もし私たち幕屋の友に、聖霊の交流せぬ病める霊魂あるならば、「わが身をもてキリストの患難(なやみ)の欠けたるを補う」(コロサイ書1章24節)ほどに、愛の疼痛(いたみ)が私に感ぜられてこなければならない。省みよ、友の霊魂を!

(手島郁郎『霊想の七曜経』より)