エッセイ「きれいな川の畔で」

河盛尚哉

私は子供のころ、キリスト教の幼稚園に通っていました。よい先生や友達に囲まれて育ったせいか、楽しい思い出がいっぱいあります。

幼稚園ではいろいろな賛美歌を習いましたが、今も忘れられないのが次の歌です。 

まもなくかなたの 流れのそばで
楽しく会いましょう また友だちと
神様のそばの きれいなきれいな川で
みんなで集まる日の ああなつかしや

歌詞の中にはよくわからない部分もありますが、この賛美歌がいちばん好きでした。この歌をうたうと胸がときめいて、いろいろな想像がわきました。

水面(みなも)がきらきらと光る、それはそれは麗しく、息をのむような美しい川。その川の周囲には一面に色とりどりの花が咲き、小鳥が鳴いている。そしてその川は、神様のそばから流れてくる。

この賛美歌を何度も歌ううちに、きれいな川を流れさせ、美しい花を咲かせている神様は、だれよりも心優しいお方であると思うようになりました。

私が小学3年生の時でした。新しい自転車を買ってもらったうれしさで、乗り回しているうちに、左右を見ずに大通りに飛び出してしまいました。

ふっと右側を見ると、2~3メートルの所までトラックが迫っていました。私は一瞬、「死ぬ」と思いましたが、その後の記憶はありません。

はっと気がつくと、幾人かの大人の人たちが、地面に倒れている私を見下ろしていました。近くには、折れ曲がった私の自転車が見えました。けれども私は生きている、私には大きな驚きでした。大人の人たちは、「死んで当たり前の事故やけど、不思議なこともあるもんやなあ」と言いながら帰ってゆきました。

母が迎えに飛んできて、家の風呂場(ふろば)で足の傷を洗ってくれました。その清らかなきらきらと光る水を見ながら、私は「ああ、神様だ!」と気づきました。命を守ってくださったのは神様だ、と。

すると母が言いました。「あんたを助けてくれたのは神様やで。いつも『神様、守ってください』と祈るんやで」と、母は私に祈ることを教えてくれました。

それ以来、私は「神様、ぼくを守ってください」と祈るようになりました。「神様……」と祈るたびに、心の中を清い川が流れるような気がして、幸せな気持ちになりました。

聖書を繙(ひもと)きますと、このような「清い川の流れ」についてさまざまな箇所で書かれています。私が幼稚園で習った賛美歌は、聖書の最後の「ヨハネの黙示録」に表れる、天国のさまを描写したものと思われます。

御使いはまた、水晶のように輝いている生命の水の川をわたしに見せてくれた。この川は、神と小羊との御座から出て、都の大通りの中央を流れている。川の両側には生命の木があって、12種の実を結び、その実は毎月みのり、その木の葉は諸国民をいやす。

(ヨハネの黙示録22章1~2節)

賛美歌の「神様のそばのきれいな川」とは、ここに書かれている「生命の水の川」を基にしています。「生命の水」とは、死にも打ち勝ち、永遠に朽ちることのない「永遠の生命」のことです。

イエス・キリストは、この「生命の水」に満ち満ちてこの世にくだり、病に苦しみ、貧しさに泣く人々を救われ、死人をも生き返らせました。

子供のころにあの賛美歌を聞いて胸がときめいて以来、私の魂は無意識にこの「生命の水」を求めつづけていたのだと思います。

それから幾十年もたった今日も、私は「神様のそばのきれいな川」の畔(ほとり)にひざまずいて、「生命の水」を祈り求めます。

『生命の光』誌編集員 滋賀県在住 71歳


本記事は、月刊誌『生命の光』857号 “Light of Life” に掲載されています。

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