友を訪ねて「佐渡にあって、無我夢中です」

佐渡島の両津港
佐渡島の両津港
塩見献

 塩見献さんは、長年の都会生活から心機一転、夫婦で佐渡島に移住しました。それまでとは違う生活に、毎日心を躍らせています。お話を伺いました。(編集部)

揮毫された「報恩感謝」の書

この掛け軸を見てください。これは、『生命の光』誌を愛読していて、書を極めておられる方が、私のために書いてプレゼントしてくださったものです。

その方は、ご家庭の問題などがあって精神的な支えを求めていたころに、『生命の光』を手にされました。

私と出会った時は、ご自身の苦衷を訴えられ、また重い病気で余命2年と宣告されたことも吐露されました。しかし、それから不思議と3年以上も生かされている。そのことに感謝がわいて、最近はうれしくてならないんだ、と話されるんですね。

それで思い出したのが「報恩感謝」という言葉です。私が20代のころ、戦前戦中に大臣だった青木一男先生から聞いた言葉で、終戦後、中国国民政府が「怨(うら)みに報いるに徳を以(もっ)てす」と、大陸にいた二百数十万人の邦人を日本に帰国させ、賠償請求権を放棄してくれた。そのことに謝意を表した、青木先生のお気持ちでした。

それをその方に話しますと、大変感動されましてね。その言葉を掛け軸に揮毫(きごう)して渡してくださいました。

このような心と心の触れ合いができる方との出会いがあることが、もううれしくてならないんですよ。思い切って佐渡に来てよかったなと、しみじみと感じます。

一歩踏み出してみると

4年前の春、私たち夫婦は佐渡に移ってきました。私が67歳、妻が69歳の時です。

私は長年、都会で暮らし、安定した会社勤めを続けてきました。精いっぱい働き、充実した日々でしたが、どこかその生活に落ち着いてしまっている自分の姿がありました。

若い時にキリストに贖われ、長い間、原始福音の信仰を糧にして生きてきた私たちです。神様のお役に立ちたいという思いがありながらも、安定した生活に慣れてしまっていることに、たまらないなと感じていました。住み慣れた場所を離れることからでも、何かが開かれてくるかもしれない。そんな思いが日ごとに強くなっていったのです。

そのことを信仰の友に相談したところ、佐渡の幕屋の伝道に行ってみないか、と声をかけられました。

そうして一歩踏み出してみると、心が変わるんですね。山に登れば雄大な大自然に解放され、小道を通ると黄色や白の花々が目を楽しませてくれる。都会では目もくれなかった花一輪でさえ、今は輝いて見えるんです。自然界を覆う大きな生命に力づけられながら、私たちは生かされているんだな、と実感します。

佐渡での職探しには苦戦しましたけれど、経験のないパソコン関係の仕事が奇跡的に与えられました。それも、4年間継続して雇ってもらっている。そのこと一つを見ても、私に伴って力強く導いてくださる方の存在を感じるんです。

引っ込んだり恐れたりする心が、私の中からすっかり取り去られてしまいました。

カンゾウの群生地(佐渡北部)
カンゾウの群生地(佐渡北部)

私の原動力

私には、牧師や宣教師といった肩書きや資格があるわけではありません。でも佐渡に来てからは、出会う方一人ひとりにキリストを伝えたいという思いが俄然(がぜん)、込み上げてくるんですね。そう願うようになったことは、私にとって大きな変化でした。

思い返せば私は大学生の時、幕屋で伝道しておられた那須嘉門(なす かもん)先生の祈りによって、聖霊体験をしました。

那須先生は、見た目は人のよさそうな普通のおじさんでした。でも、祈りになるとパワフルなんですよ。雨であろうと毎朝外に出て、わき目も振らずに祈られる。その徹底した敢闘精神を、私はそば近くで見てきました。

ある日曜日のこと、私はあることで失敗をし、落ち込むようにして幕屋の集会に集いました。すでに那須先生の聖書講義が始まっていましたが、その場に座った途端に涙があふれて、泣けてしかたがないんです。

那須先生の力強い声と祈りは、頭での理解を超えて腹に入ってきたんですね。そう思った瞬間でした、自分の罪というものが滝のように洗い流されていくのを感じたのです。

神様と対座した時に、「私は神様の前では汚れた存在だったんだ。しかし、それすらも洗い清めてくださる聖なる生命がある。まことに今、私は救われたんだ」という喜びに包まれていました。

那須先生の、単純でありながらも心のこもった祈り。それを毎朝一緒に続けた経験が、私の根底にあります。その祈りの姿を、佐渡で暮らすようになって目指しはじめ、それが今の私の原動力になっています。

毎日が感謝、感激

塩見さん夫妻

佐渡幕屋では毎週、10人弱の少数で集会をしていますが、中には高齢で認知症の方や、精神障害を抱えている方もおられます。『生命の光』や聖書の内容を深く語り合うことが難しいなと感じる時もあります。それでも、小さな集会に喜んで来られます。

皆さんは、病と闘う家族のこと、また日々生かされていることへの感謝など、素朴で真実な祈りをされるんですね。その祈りに触れるだけで、私はじっとしておられなくなります。

あるご家庭に、重い心の病で長い間苦しんでいる青年がいます。平日は彼のご家族も私も仕事に出かけているので、何かの時は私の妻が駆けつけます。彼を起こして、病院に連れていって、部屋の片付けをして。

今まで自分たち以外のことに関心が少なかった私たちですから、最初は戸惑いもありました。けれどここでは、「できる」「できない」といったような自分の都合は言っていられません。魂の救いを求めている人が目の前にいる時に、「おまえたちならどうするか!」と神様が迫ってくださっている。

伝道経験の少ない私たちなので、何事にも無我夢中になるんです。

毎月の『生命の光』も、島の隅々まで足を運んで直接お届けするように心がけています。島の端は絶壁の崖(がけ)になっていますが、そこにも小さな集落がありましてね。配りに行きますと、「こんな所までよく来てくれました」と言われます。いろいろな話をしているうちに、お互いの心が通い合うんですよね。こういったことは、都会にいた時は少なかったです。

こんなにも生き方が変わってしまうとは、自分自身でも驚きです。でも、それぐらい弾けるような喜びが、私の中に沸き起こっているんですね。それほど大事でありがたい神様の生命を、佐渡に来て再発見しました。

キリストに贖われた私たちが、そのご恩に報いる場として佐渡の地が与えられていることを思いますと、毎日が感謝、感激です。


本記事は、月刊誌『生命の光』856号 “Light of Life” に掲載されています。

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