エッセイ「怒りをコントロールするには」

ユダヤの家庭教育に学ぶ

野村妙子(39)

東京都在住。3児の母。子供を追いかける足がもつれるアラフォー。ストレス発散にはYouTubeでエクササイズ。

「のびちゃん、宿題ちゃんとやったの!(怒)」とは、某アニメに出てくる有名なセリフ。ついに私も、このセリフを口にするようになりました。長男が小学校に入学し、毎日、宿題が出るようになったからです。

私は、優しくて賢い理想のお母さんとは程遠く、いつも感情に任せて怒ってしまいます。それがよくないことだとわかってはいても、目の前で30分も息子にわめかれると、どうしていいかわからないのです。

でも怒ったところでイライラは収まらないし、息子はそれで言うことを聞くかというと、そうでもない。空しい思いをして終わるだけです。そんな負の連鎖に陥っている親子は、意外と多いのではないでしょうか。

怒りに潜むもの

何とかこの悪循環を断ち切りたい、と思っていたところ、ある本に出合いました。『ユダヤ式家庭教育』(ミリアム・レヴィ著)という一冊です。

この本は、昔から教育熱心な民族であるユダヤ人のお母さんが、ユダヤの教えと現代の認知心理学の視点から、明快に子育ての悩みに答えてくれています。

著者は、自分自身の感情をコントロールすることが子育て上手になるための基礎だと言い、最初に「怒り」の感情を取り上げています。ユダヤ教の聖典タルムードでは、怒りのことを「自分の内なる、にせの神」と呼んでいるそうです。周りの人や物事がこの「神」の定めに合わないと、カッとなって腹を立てるわけです。

『怒りの深層を探ってみると、人生を自分の思いどおりにしたい、という期待が潜んでいるようです』『でも、人生思いどおりにいかないと思ってください』と著者はきっぱり。案外、きっぱり言われるとストンと腑(ふ)に落ちて、気が楽になります。買ったばかりの絨毯(じゅうたん)に牛乳をこぼされても、そんなものだと思えたら、イライラしなくても済みそうです。

よいほうに取る

また、著者はこうも言います、『疑わしい点はできるだけ相手に有利に解釈する』『子供の行動が間違っていても、悪いほうに取ったりせずに、何か訳があるのだろうと考えてみてください』『人を裁くのは神だけです。神しか人の善悪を裁けません』と。

なんと心が広いのだろうと、私の胸の辺りが温かくなりました。それに比べて、自分は息子を疑って悪いほうにばかり考えてしまっている、と気がつきました。それで私は、子供がすることをよいほうに取ってみることにしました。

「欲求が通らなくてパニックになるのは、わがままではなく、意欲が強いのか、疲れているのだろう」「呼んでも来ないのは私を困らせたいのではなく、何かに集中しているから」「妹たちをいじめるのは、おなかが空いているから」などと考えると、こちらも落ち着いて対応することができるようになりました。

私が変わると息子も落ち着きを取り戻し、細かいことをガミガミ言っていた時より、息子はできることが増えてきました。時に叱りつけても、「今のは、言い過ぎたな」などと、自分の姿も冷静に見られるようになりました。

母親の成長を見守る瞳

一日の終わりには、子供たちの頭に手を按(お)いて祈ることにしています。怒りが爆発した日「あ~あ、また子供にひどいこと言ってしまった」と後悔でいっぱいでも、布団の中でいつものように、手を按いて祈りました。祈り終わった時の子供たちの満足そうな顔を見ると、神様が母親の足りないところも補ってくださるんだと思えて、気持ちが救われました。同時に、私が母親として成長するのを辛抱強く待っていてくださる神様のまなざしを感じて、胸が熱くなりました。

神様に愛されている自分を発見すること、神様に立ち帰ること、それが怒りをコントロールするのに大切なのだ、と気づかされます。

神様が私を愛してくださるみたいに、私も子供たちを愛することができますように。やがては子供たちにも神様の愛が伝わりますように、と願っています。


本記事は、月刊誌『生命の光』832号 “Light of Life” に掲載されています。