エッセイ「香り漂うまでに」

神田留嘉(るか)

ふと空の向こうを見上げる時、私はいつも、若き日に出会ったある人の姿を思い浮かべます。

いつまでも心に残る、かけがえのないものを、私のうちに留(とど)めてくださったからです。

私は高校生のころ、ロックに魅了され、バンドを組むも長くは続かず、やがて学校へもろくに行かなくなりました。生気がないというか、抜け殻のようというか、何もかもが煩わしくなると、悪友と飲む酒やタバコさえも、砂をかむように味気なく感じました。

両親は理解に苦しんでいました。反抗期という言葉では片づけられない、この空虚な気持ちはいったいどこから来るのか、自分でもわかりませんでした。

ある日、二度と戻るまいと家出をしましたが、行く当てもなく、幾夜も公園のベンチで寝ました。それも2カ月半が限界。財布は空っぽになり、打ちひしがれて家に戻りました。もう心はボロボロでした。

見かねた両親は、私をひきずるようにして幕屋の集会に連れていきました。しぶしぶ座っていると、そこに私のために祈ってくださる、一人の人がいました。

内なる魂の尊さを信じて、落ちぶれた私の姿など気にもとめない。ただ天だけを見上げ、我を忘れるようにして祈ってくださったのです。

その途端、私の中に、それまで味わったことのない喜びがわいてきました。これ以上ない喜びです。私は知りませんでした。イエス・キリストは生きておられる。その香り漂うまでに私のそば近くにおられて、愛してくださっている、と。

その日から、灰色だった景色に色がついたように、ものの見え方が変わりました。「心が死んだまま生きるなんてごめんだ。一度きりの人生なら精いっぱい生きたい」と、生きる熱情がわいてきたのです。

生ぬるい暗やみにのまれるのか、それとも、高き理想に心燃えて悔いなき人生を送るのか、どちらか一つだ、と。

時を重ねて映るもの

あれからもう20年。私はその日のことを忘れたことがありません。いつのころからか、私もこの喜びを伝える者になりたいと願うようになりました。そして、その思いが強くなるにつれて、色濃く私の心に映ってくる、もう一つの光景があるのです。

実はその集会の後のこと。私のために祈ってくださった方は、気管支喘息(ぜんそく)の発作を起こして、別室で倒れていました。まるでバケツで水をかぶったように、汗にまみれていたのです。かつて小児喘息を患っていた私は、両肩で激しく息をするそのようすを一目見て、呼吸の苦しさがわかりました。

回心の体験に与(あずか)った私の喜びは跳び上がらんばかりでしたが、片や私のために祈ってくださったその方は、自らの命を擦り減らしていました。キリストの愛のゆえに、身を削(そ)いでおられたのです。

かけがえのない遺産

いつしか私はその方を「先生」と呼ぶようになりました。先生はいつも、生けるキリストを仰いでおられました。私はきっと、先生の見上げるキリストの愛の感化を受けたのだと思います。

先生の愛読する聖書は、手あかと書き込みでいっぱいで、すり切れていました。狭い路地裏にある小さなアパートで質素な生活をしておられましたが、心の豊かさという価値は目に見えるものでは測れないと、先生の人柄に触れて知りました。

今はもう、先生はこの世にいません。優しかったあの笑顔は、遠く過ぎ去った思い出の中です。

しかし、かけがえのないイエス・キリストの香りともいうべき宝を、私に遺してくださいました。その生涯は今もなお、遺産として私の心の内によみがえり、火をともし、生きつづけています。

一生をささげて先生が伝えようとされたキリストの香り。今度は私も、この生涯をかけて伝えていく者でありたいと願っています。

*文中の「先生」は、吉村騏一郎さん(1928~2009年)。手島郁郎に師事し、その生涯を原始福音運動にささげる。


神田留嘉

『生命の光』誌編集員。東京の下町育ちの39歳。奈良県に在住。旅が好きだが方向音痴。2児の父。


本記事は、月刊誌『生命の光』821号 “Light of Life” に掲載されています。