信仰の証し「人との関わりをあきらめた男が」

桑山郁郎

「小学生がなりたい職業」というアンケートが毎年あります。男の子のランキングに電車とバスの運転手が並んでも、私の職業・タクシードライバーは入りません。人気のなさをぼやくと決まって、「夜勤も多くて大変だからでしょう」と言われます。むしろ私は夜勤が好きというか、夜から朝に変わる時間帯が大好きです。一日のうちで最も美しい時間だと思います。

わが魂は夜回りが暁を待つにまさり、
夜回りが暁を待つにまさって主を待ち望みます。

詩篇130篇6節

1回の乗務は20時間続くので、夜勤が明けるのはもちろん待ち遠しいです。でも、その朝の光を待つうちに、神様を仰ぐ心が自ずとわく。夜通し働く者に与えられた特権です。

願望はあったけれど

今の職業を選んだ理由の1つに、ちょうどいい人づきあいの距離感という点があります。

小さいころから人と話すのが大の苦手。話しかけられても、気の利いた言葉が出ない。自分から心を閉ざしてしまい、いつもひとりポツンとしていました。

信仰をもつ家庭で生まれ育ちましたが、幕屋の中でも活き活きと話す同世代の中に入れない。それが苦しくて、高校生の時、集会に行くのをやめました。大学生になっても性格は変わらず、友人もできない。やりたい勉強があるわけでもないので、行く意味が見つからず、2年の前期で退学しました。

男ですから、やりたい仕事に就き、結婚して家庭をもつ――そんな当たり前の願望はありました。けれども現実は、20代のほぼすべての時間を家業の絨毯(じゅうたん)クリーニングを手伝いながら、家族の中だけで過ごしました。どこにいても生きづらい、そんな私には、実家を出ることも、会社勤めにも恐れがあったんです。

気分転換ができる趣味はもっていたので、自分だけの世界をひとりで生きていけばいい、そう決めていました。そんな生活を続けて10年がたったころ、何をしても気持ちを紛らわすことができなくなってしまいました。

仕事に生きがいは見いだせず、ストレスでしかない。せめて寝る時くらいはリラックスしたいのに、満足に眠れない。悩みを分かち合う親友はいない。夫婦の愛や家庭の温(ぬく)もりにあこがれてみたって、恋人のいない者には結婚など縁遠い話。ひとりで過ごす長くて寒い夜。心も体も限界でした。

自分を信じたい

転機は祖父の召天でした。告別式が執り行なわれるので、久しぶりに幕屋の門をくぐりました。

その場で、一家がどのように救われたかを聞きました。キリストに出会って人生が一変した祖父。父も同様です。キリストの愛の中で育(はぐく) まれてきた、命の連なりを感じました。桑山郁郎という人間は、ポツンと存在しているんじゃない。祖父がいて、父がいて、今の私がいる。そして、家族のそばには、いつもキリストがいてくださった。

帰宅後、聖書を引っ張り出してきて読むと、涙が止まりません。昨日まで苦痛だった夜、今日は寝る時間が惜しいほどに聖書が読みたい。それから毎晩「ヨハネによる福音書」を読みました。読みながら眠り、目覚めては、また読む。

ある晩、私はイエス・キリストのこの言葉に出合いました。

「わたしにつながっていなさい。そうすれば、わたしはあなたがたとつながっていよう」

ヨハネによる福音書15章4節

祈っていると体が熱くなって、風邪で高熱が出た時のように汗が噴き出てきます。鼻水が止まらず、小さな子供がお母さんにすがって泣くように、泣きじゃくって祈りました。

「ひとりぼっちじゃない。ダメな人間なんかじゃない」と、声に出して言っていました。

私のすべてを理解し、肯定してくださるお方との出会いでした。幼少時からの心の傷、劣等感、そんなかじかんだ心に神様は手を差し伸べ、その温もりを肌身に感じるようにも、温かい光に包んでくださいました。

毎日毎晩、聖書を読んで祈った1年間。神様への信頼が強まり、それとともに、自分を信じたいという思いがわいてきました。一世一代の決心――家を出て、仕事を変え、祖父の告別式から2年後、同じ信仰をもつ妻と結婚しました。

妻の裕子さんと共に
毎月自宅を開放して祈り会を行なっている

私と話したい!?

一昨年、結婚25年を迎え、銀婚式の記念に家族で千葉の房総半島を旅行しました。家族旅行といえば、お墓参りで里に帰るくらいだったので、写真を見返すだけで胸がジーンとしてきます。

人との関わりをあきらめた男に、思いもよらない人生を与えてくださった神様。この祝福を自分だけにとどめないために、私は何をすればいいのか? それが、日々の祈りです。

若い男性客が話しはじめました。
「今、恋人とケンカして別れてきた。連絡も取れないかもしれない。どうしたらいいでしょう?」

私はクリスチャンだからと前置きして、福音書の一場面を話しました。めったにないことです。
「兄弟に恨まれていることを思い出したなら、祭壇にささげようとしている供え物を後回しにして、真っ先に仲直りをしなさいって書いてあるんですよ」

しばらくの沈黙。短い言葉が返ってきました。
「簡単じゃないけど……はい」

また、ある人が言いました。
「あなたとは、長い時間一緒にいても疲れない。もう少し話していたいなあ」

自分の性格を恨めしく思ってきた私にとって、あまりに意外な言葉――性格がどれほど変わったのかはわからない。でも、人生はこんなにも変わった。

夜から朝に変わるいつもの時間、私を包んだあのキリストの光、その温もりが、今日もよみがえってきます。


本記事は、月刊誌『生命の光』821号 “Light of Life” に掲載されています。