信仰の証し「美味しいブドウが実るには」

祈りを込めて琵琶湖の畔でシャインマスカットを栽培する

弓削田清弘

琵琶湖の畔にある近江八幡(おうみはちまん)市の大中(だいなか)の湖干拓地で、近江牛を飼育している弓削田清弘さんは、現在ブドウの栽培も手掛けておられます。弓削田さんに、信仰と農業についてお聞きします。(編集部)

畜産のほかに、なぜブドウ栽培も始められたのですか。

弓削田 聖書には天からの祝福として、たくさんブドウの話が書かれていますね。聖書を読む者として以前から、ブドウを栽培したいという思いがあったのです。

でもブドウ栽培は素人でした。それで何も知らず、琵琶湖周辺の肥沃なこの土地で、ブドウの露地栽培をしてしまったのです。なぜか樹(き)ばかりが太く育ち、枝と葉が茂りすぎて、よい実が生(な)りませんでした。

調べてみると、ブドウは荒野に育つ植物だから、栄養が豊富で水も十分ある土壌では根が伸びすぎて、樹は太く育っても、よい実は生らないことを知りました。

そこで栽培方法をもっと知りたくなって、いろいろ調べていたら「根域制限栽培」という方法にたどりつきました。これは根を狭い箱のような枠に入れる栽培法で、ブドウにとっては窮屈で水や栄養が乏しい荒野のような状態になるわけです。でも、それがシャインマスカットをとてもよいブドウにする秘訣(ひけつ)なんですよ。

そうなんですか! ブドウ栽培を十数年続ける中で、そのほかにも印象に残る出来事はありますか。

弓削田 ええ、ブドウ栽培を始めて5年ごろ、ある大きな失敗をしてしまいました。5月のこと、外出していて半日ハウスの温度管理ができず、芽が焼けてしまったのです。春でしたが、室温が50度以上になって、配管がぐんにゃり曲がるほど暑くなり、伸びはじめていた芽が全部だめになりました。

翌年も、またその翌年も、芽が出ても縮れてしまい、うまく育たない。ブドウも生き物ですから焼けた記憶があるのか、縮こまってうまく育たなくなったのです。

「リセット」の霊感

困り果てて、いろんな研究所や栽培経験者に相談しても、だれにも答えがありません。ある時、農業仲間から「リセットしてみたら」と言われました。スマホやパソコンのリセットならわかるけれど、ブドウのリセットはどうしたらいいのか、言った彼も知りません。

でも、私にはその言葉が霊感的に響いてきたので、根元から数十センチを残して、その上を全部切り取ってみたのです。根しか残っていない、もう伸るか反るかです。私はハウスの中で祈りながら、「がんばれ」と声をかけることしかできませんでした。

すると、切り株の周りから芽が出てきて枝となり、それが太くなって幹のように変わり、切った部分を覆うように上に伸びていったのです。そして元どおり、いやそれ以上の立派なブドウの樹に成長しました。

感激でしたね。今では、毎年たわわに甘い実をつけ、多くのお客さんに喜んでもらっています。

ブドウの生命力はすごいなと思いました。でもそれ以上に、リセットという霊感をもって神様が確実に導いてくださることを、ブドウを通して教えられました。

白く見える部分がリセットした切り株。切った周囲から芽が出てきて再生した。
今では大粒のブドウが実る。弓削田さんは、天からの恵みがぶら下がっているようだからブドウ栽培が好きだ、と言う。
ご自身の信仰の歩みについてお聞かせください。

弓削田 この農園は長く義父が営んできました。新潟で会社勤めをしていた私は、義父に頼まれてここに来たのです。私にはこの地域でキリストを伝えたいという願いもあったので、農園の名前は新たにある方が、聖書から「シャロン農園」とつけてくださいました。

でもしばらく生活してみると、私は家内の実家の中で次第に居心地が悪くなってきました。農業の経験はなく、経営もフタを開けたら1億円もの借金がありました。現実を見れば悪いことばかりで、「神様の導きはここにはない」と思い、心を閉ざしてしまったのです。もう逃げ出そうかと、追い詰められた気持ちでした。

ここで生きるのをあきらめかけたその時、私はあるサインを見ました。『生命の光』誌の読者会をする会場を探していて、公民館で「『生命の光』の弓削田さんですね」と見ず知らずの人からかけられた一言でした。

それだけですが、私は「ここに留(とど)まって福音を伝えよ」と神様から言われたような衝撃を受けました。

光に包まれて自分が変わる

その帰り道、車中で思いもしない、光に包まれる経験をしたのです。そして、聖句が心に響いてきました。

傷ついた葦(あし)を折ることなく、ほのぐらい灯心を消すことなく、真実をもって道をしめす。

イザヤ書の一句でした。自分が神様を信ずることができない、心折れそうな時でも、神様が私を信じて御愛をかけ、真実な道を示してくださる。

それまで私は自分で考え、自分の願いを祈り、自分の力で行動してきました。でも自分の頑張りを捨てさせられ、神様の愛に涙した時、光と聖句で心がガラッと変えられたんです。それは聖霊による体験でした。

この体験は、それまでの自分が切り取られる、私にとってのリセットだったと思います。昨年の『生命の光』の講話で手島郁郎先生が、「ありったけの力を絞って祈っても、聴かれない。それである時、『主様、もう私はだめです』と降参し、キリストの霊をわが胸に迎えたら聖霊が働きだした」と語っておられました。私も自分の現実の中で、それを体験しました。今もあの時を思うと、感謝で涙が出ます。

私の心が変えられ喜びはじめたら、思わぬ人との出会いがありました。その方のアドバイスで経営的にも上向きになり、あれだけあった借金もすべて返済することができました。でも、経済的な問題の解決以上に私がうれしいのは、聖霊の働きを経験できたことです。

シャロン農園の使命

私は、この喜びを自分だけにとどめておきたくないと思っています。しかし、農家の生活は忙しく、仕事も生易しいものではありません。

ですから日々の祈りも、ブドウ栽培のハウスの中を歩きながら、牛の世話をしながらです。常に祈り心地で働いています。

そして農園だけではなく、天からの救いを求めて私たちの集会に来られる方々にも、祝福が及ぶことを願っています。ここシャロン農園の使命は、ブドウを育てながら、生けるキリストを証しすることなんです。

広がりつつあるシャロン農園

 弓削田さんの周囲では、人生に行き詰まっていた方々が救いの喜びに息づいています。それは、ご自身がどん底を通られた時に知った神様の御愛が、祈りつつ生きるうちに人々に伝わっているからだと感じました。
「人知れず祈る祈りを、隠れた所にいる神様は見ておられる」、そう言われた弓削田さんの言葉が、印象に残りました。


本記事は、月刊誌『生命の光』828号 “Light of Life” に掲載されています。