「A Psalm of Life 人生の詩篇」第9連によせて どんな運命にも勇気をもって

知的障害がありながら、ヘルパー2級を取得した娘と母の話
―満っちゃんの夢から始まった―

吉野康子さんと娘の満恵さん

札幌に住む私たち夫婦に生まれた長女の満恵は、大きくなっていくにつれて、他の子より遅れていることが、だんだんはっきりしていきました。

小学5年生の時、教育相談の先生から、「お子さんは、知的障害をもっています。養護学級をお勧めします」と言われました。

私は信じたくありませんでした。この子に普通の幸せはやって来ないのでしょうか、と毎日泣きつづけました。

その前から、娘は学校でいじめに遭っていたようです。物を隠されたり、バカにされたり、転ばされたり……。いつしか笑顔が消えて、いつも独りでぼーっとしていました。

また、弟たちも姉のことでからかわれ、泣くのを必死で我慢して、家に帰ってくることもありました。そんな子供たちのようすを見ていると、かわいそうでたまりませんでした。

ハートを育てたい

そんな時のことです。私の尊敬する婦人がある会で話されました、「子供の成長の過程で、いろいろトラブルがあっても、お母さんの魂が何を願って、どこに根ざしているのかが、いちばん大切なことです」と。

この言葉が、私の魂の中にずーんと入ってきました。そしてその時に、「頭でなくハートを育てなさい、あなたがおばあちゃんにしてもらったように」と、私の心の中にささやく声が聞こえました。

私は子供の頃、ひどい小児ぜんそくで、外で元気に遊ぶことができませんでした。その私を喜ばせようと、祖母がよく本を読んでくれました。祖母に本を読んでもらっている時の心地よさと安心感が、私の中によみがえってきたのです。

それから、家族で祈り会を始め、その中で読み聞かせをすることにしました。聖書物語から始めて、日本の神話や昔話、偉人伝などなど。子供たちはこの時間をとても楽しみにしていました。

小学生の頃、満恵さんは
お気に入りの本を、
枕元に並べて寝ていた

天のベール

そんなある日のこと、満恵が担任の先生との交換ノートに「私のゆめは、マザー・テレサになりたいです。おいのりをしたりするのです。歌を歌ったりするのです。外国の人を助けてあげるのです。インドのカルカッタの人に食べ物をあげたり、薬をのませたりするのです。小さい子には歌を歌ってやりたいです。そのためには歌を練習したいです。だから音楽クラブに入ったのです」と書きました。

満恵さんが小学6年生の時に書いた夢
(担任の先生との交換ノート)

以前、マザー・テレサが人々に尽くす姿をテレビで観て感動していました。ずっとそのことを覚えて、思いつづけていたんだと胸がいっぱいになり、涙があふれました。

その後、15歳の誕生日に家族で祈っていると、満恵が泣きながら祈りだしました。「神様、病気の私を15年間育ててくださってありがとうございました。お父さん、お母さん、ありがとう」

主人と私はびっくりして目を開けますと、一瞬でしたが、満恵がとてもきれいなベールに包まれているのが見えたのです。キリストが覆っていてくださる。主人と泣きました。このころから満恵は少しずつ明るくなり、言葉も増えてきました。

ヘルパーの資格が取れた!

高等養護学校3年生になり、就職先を決める実習の時期になりました。知的障害をもった娘には、就職は厳しい状況でした。

私は心配していましたが、娘は「神様が行きなさいと言われる所は、どこでもいい所だよ」とニコニコしています。すると、数日前に見学に行った小規模作業所から、採用の連絡がありました。

その施設の代表の竹田保(たもつ)さんが、「作業所としては、人を入れる予定はありませんでした。けれども満恵さんが施設の見学に来た時に、マザー・テレサのようになりたい、と言ったのです。驚きました。

それまでこの施設では、トマトの箱を作ったり、新聞を折ったりしていました。知的障害をもった人はこれぐらいの仕事が精いっぱいだ、と思っていたんです。

でも満恵さんが自分の夢を語りだした時に、私はハッとしました。この子の夢をかなえたい。満恵さんの夢を、私の事業に取り入れよう、と強く思ったんです」と言われました。

それから、知的障害をもった人もヘルパーになれるようにしよう、という企画が立ち上げられました。満恵たち数人に専門の先生がついて、ヘルパー3級、2級の資格が取れるように、1年かけて辛抱強く教えてくださいました。

先生方は、ほんとうにこの子たちに資格が取れるんだろうかと何度も思ったそうです。ついに資格が取れた時には、皆さん泣いて喜んでくださいました。

満恵さんのヘルパー研修2級
課程修了証明書

それから18年、身体の不自由な子供たちの生活介助を主な仕事として、働きつづけています。

そして、このことがきっかけとなって、今では小樽の高等支援学校で、ヘルパーの資格を取るためのカリキュラムが、授業に組み入れられるようになったそうです。

竹田さんは言われます、「すべて満恵さんの夢から始まったことです。これはパラリンピックに出るような、鍛えられた子供たちではない、普通の養護学校を出た、普通の子供たちがしたことなんですよ」と。

満恵さんが働く介護施設での主な仕事は、身体に障害を
もつ利用者さんの生活の介助。今は2人を担当している

生命の木につながって

満恵の願いを、神様は覚えていてくださいました。心からの「こうなりたい」という思いを、漏らすことなく聞いていてくださいました。

私が、「満っちゃんは神様から愛されているね。いちばん大切なのはここよね」と言って、娘の胸をポンポンとたたくと、うれしそうにガッツポーズをします。そして、「お母さん、ほんとうに私は神様につながっていなければ生きられないんだね」と言います。

娘は、「わたしはまことのぶどうの木、あなたがたはその枝である」というイエス・キリストの言葉が大好きです。

神様がいつも、いちばん大切なことを教えてくださいます、「外側はどんな姿でもいい。わたしにつながって生きなさい」と。


吉野満恵さん

趣味 タブレットでかわいい動物を見ること
好きな食べ物 めん類なら何でも好き
ひと言 「私は○○したい!」これがいちばん大事です



本記事は、『生命の光』800号 “Light of Life” に掲載されています。