信仰の証し「私もいっしょ」

ストレスで心を病んだ夫のそばで

吉國佳子

私は、大学生の息子2人と中高生の息子3人の、男の子5人の母親です。それぞれ思春期を迎えていて、こちらの想像を大きく超えることをしてきます。ですからハプニングの連続で、親の忍耐力が試される毎日です。

時々、小言を言ってしまうこともありますが、夫と私は、この子供たちは天からお預かりしたと思っているんです。ですから、私たちのところに来てくれた子供たちに、「ありがとう」って心の中で言っています。

主人は九州育ちの熱血漢で、キリストの福音を伝える生き方をしたいと、若いころから願っていました。その思いを実現するために、私たちは15年前に東京から埼玉に引っ越して、主人は働きながら伝道していました。

初めは張り切って生きていたのですが、数年たった時、思ってもみないことが私たち夫婦に起こりました。

分かれ道

ある日、東京の書店で働いていた主人からメールが届きました。急に胸が苦しくなり、体が動かなくなって倉庫から出られない、と。私は慌てて電話をかけたり、メールを送ったりしましたが、返信はありませんでした。

その夜、いつまで待っても主人は帰ってきません。私はよからぬことを想像して、ただ「神様、主人を守ってください。無事に家に帰してください」と泣きました。そして、気がついたら主人は帰ってきていて、翌日も出勤していきました。

でも、その日から主人は眠れなくなり、出勤はしても仕事には手がつかず、夜はなかなか帰ってきませんでした。心を病んでしまったのでした。心療内科で、ストレスが身体への障害となって表れてしまう、身体表現性障害と診断されました。

家の明かりがついていて、私が待っていることが、主人にはプレッシャーになってしまうのではないか。そう思った私は、夜は電気を消して寝たふりをして、主人の帰りを待ちました。

どのくらい枕を涙でぬらしたでしょうか。出口の見えないトンネルの中を、ずっと進んでいるようでした。いちばん苦しんでいるのは主人だとわかっていましたが、現実の生活のことも考えないといけない。何とか立ち直ってほしいと、いろいろと試みたこともありました。でも、どれもうまくいきませんでした。そのような日々を何年も過ごしていくうちに、私自身も心をすり減らして、すっかり疲れ果ててしまったんです。

そんなある日、神様に向かって祈っていると、私の目の前に幻のように一つの光景が映りました。それは、こういう光景でした。

私たち夫婦が分かれ道に立っていて、一方には道が前へ続いていました。もう一方は道がないのですが、なぜか、そちらへ進むんだ、進むんだと体が引っ張られているのか、背中を押されているのか、そのような感覚を覚えました。私はハッとさせられました。

そうだ、今から私たち夫婦は、自分たちが思い描いていたこれまでの道ではない、新しい人生を2人で歩んでいくんだ、と思ったのです。その時でした、「わたしが一緒にいるから、大丈夫だ」と、大きな声が心に響いてきました。

そうしたらもう、自分では止めることができないくらい、涙があふれてきました。真っ暗なトンネルの先に少しだけ、光が見えたのです。

一気にすべてが解決したわけではありません。主人の状態も、すぐによくはなりませんでした。それでも私は、待っていよう、と心に誓いました。そうしたら、自分がやらなきゃ、頑張らなきゃ、という気持ちが小さくなっていきました。

神様が私たち夫婦を見つめ、何もない道を一緒に歩いてくださるんだと、私の心には不思議な安心感があふれました。

人の心が変わることほど、大きな奇跡はない。そして、それをなしてくださるのが神様なのだと、私はこの体験を通して知りました。

そば近くに

あの幻を見て以来、私は、自分の周囲には家族のことで同じような痛みを抱えているママ友が、何人もいることに気がつきました。そして、その友人たちを思ったら、放っておけなくなりました。

ある日、家庭内での悩みを抱えた友人を訪ねました。玄関を開けて、「どうしてるー、顔が見たくて来たのー」と手を取った後は、2人とも涙があふれてきて言葉になりませんでした。

また、息子の運動会の時にお子さんの悩みを打ち明けてこられたお母さんがいて、その方にも、「大丈夫、私も同じだよ」と、これまで私が通ってきた話をしました。そして、子供たちが競技をしている前で、私たち母親は号泣していました。

もう十二分に頑張ってきた方に、「頑張って」なんて言えません。言葉で慰められるようなことではありません。でも私は、自分がこの数年通ってきた痛みと、それを慰めてくださる神様の御愛を知りましたから、同じ苦しみを抱えている方たちと一緒に、泣くことはできます。

そして、たいそうなことは言えませんが、私の顔から、相手の手を取る私の手から、神様の御愛が伝わってほしいと願っています。

少しずつ元気になった主人が、「元気なままでいたら、痛みを抱えた人たちの心の悩みはわからなかったし、気づくこともなかったと思う。でも今は、人の心の痛みがよくわかる。きっと神様は、このことに気づかせるために、ぼくに病気を与えられたんだと思う。これからは、そういう人たちのために祈っていきたい」と話していました。

私たちは痛みをいやすことも、問題を解決することもできるとは思っていません。でも、私たち夫婦と一緒にいてくださる神様が慰め、解決してくださる。私たちは傷ついている方たちのそば近くで一緒に、また陰で祈りたいと願っています。

それがあの時、神様がこっちに歩んでいくんだよと、私たち夫婦に示してくださった道だと思うのです。


Profile

埼玉県在住。現役の歯科衛生士。
新婚当初は主人の歯を磨いてあげたことも。しっかり指導したので、家族は全員、歯磨き上手です。


本記事は、月刊誌『生命の光』836月号 “Light of Life” に掲載されています。