信仰の証し「幸せにならんばんね」

家庭が崩壊、心の痛みを抱えイスラエル巡礼に。嘆きの壁でキリストに出会う

横田順子

だれしも幸せな結婚を願うものですが、それは私も同じでした。その人と知り合ったのは、私が熊本から宮崎に帰郷して、保育士として働きはじめたころでした。「この人となら一緒に暮らしてもいいなあ」と思い、しばらくして結婚することになったのです。

ところが結婚して間もなく、夫は外に女の人を作ったり、暴力団と関係をもったりして、多額の借金を抱えるようになりました。2歳になる息子がいましたが、家庭がバラバラに崩壊して、とうとう離婚という道を選ばざるをえなくなったのです。

そのころの私は、もう限界状況でして、とても子供を養育することはできない、ということで、親権は夫の両親に渡りました。

そうして、言葉にならないほどの痛みと悲しみを抱えて、私は家を出ることになったのです。

神様に包まれる体験

そんなある日のこと、ふと懐かしく思い返されたことがありました。それは、学生のころに通っていた、熊本のバプテスト教会での思い出でした。

当時の旧友に連絡すると、今はキリストの幕屋に通っていて、行き場のない私をしばらく預かってくれるというんですね。無一文だった私は、転がり込むようにして彼女の家に行ったわけです。

幕屋の集会に行くと、とっても明るい雰囲気でした。こんな私でも温かく迎えてくれたんですね。その場に行くたびに気持ちがほっとして、心の傷の痛みも少しずつ和らいでいくようでした。

やがて、幕屋の方が経営する東京の会社に勤めて、若い人にも負けないくらいバリバリと働き、信仰をもって生きはじめました。

ある時、私は幕屋の聖地巡礼に参加して、イスラエルを訪れました。多くの祈りが刻まれている「嘆きの壁」という場所に行った時のことです。何か特別に手を合わせて祈ったわけではありませんでしたが、突然、ふっと神様のご臨在に全身が包まれるような体験をしたのです。

「ああ、神様!」と思った瞬間、ものすごい喜びが突き上げてきました。「すべてをご存じの神様がおられる!」と魂が直感したのです。

離婚してからは、明るく振る舞っていたものの、心の奥底では、残してきた息子のことを思うと胸が張り裂けそうでした。

「私なんか……」と自分を卑下する心からどうしても抜けられず、外では笑っていても、内面はガチガチの石のような心だったのです。

それが、神様に触れて、はっと一瞬にして変わったのです。求めても得られなかった心の平安を、初めて与えられたんですね。

その後、聖書を読んでも、文字の一つひとつが生き生きと感じました。あふれるような感動をもって自分のことのように、「神様、私の人生はなんて幸せなんでしょう!」と読めるのです。

息子の言葉に涙した日

それからというもの、お小遣いや手紙を添えて、私は息子に『生命の光』誌を送るようになりました。そしてお互いの近況を伝え合ううちに、だんだんと心のやりとりができるようになったのです。

ある日、息子から立派な胡蝶蘭(こちょうらん)が送られてきました。その日は私の誕生日でした。

「おかんもこれまで大変だったんだから、もう幸せにならんばんね」と、私を気遣う息子の言葉を聞いた時、思わずその場で泣いてしまいました。

もう幸せにならなくては、という息子の言葉に後押しされるようにして、やがて私は、信仰をもつ人と再婚しました。

息子のことにしろ、私自身のことにしろ、まさかこんな時が来るなんて、と夢のようでした。憐れんでくださる神様の御愛を思っては、感謝でならなかったんですね。

私まで恵まれた!

その後、私たち夫婦は東京から夫の故郷の奈良に移りました。もう、かれこれ5年になります。

先日、私は一人の友人と一緒に、幕屋の特別集会に参加しました。その方は、複雑な家庭環境で育ち、結婚されても苦労が絶えない日々を送ってこられました。私の境遇と重なるところもあって、「神様、どうかあなたが働いてください。聖霊を注いでください!」と、彼女がキリストに救われることを願って祈りました。

その時でした。自分のために祈ったわけではないのに、これまでの数々の記憶が走馬灯のようによみがえって、感謝がわいてきたのです。不思議なことに、一緒にいた彼女も聖霊を注がれる体験をして、隣で泣きながら祈っていました。

祈り終わってから、私たちは思わず抱き合って喜んだんですね。つらい境涯だったお互いが、神様に目を留められて、神様の御愛の中に生きる人生に変えられた感激!

「この喜びさえあれば生きていける!」と力がわいて、泣けてならなかったのです。

あんなにうれしかったことは初めてでした。彼女のために祈っていたはずが、私まで恵まれたのです。これは、自分一人だけが喜ぶこととは、全く違う喜びですね。

一人でも多くの方に、キリストの救いをお伝えしていきたい。そう心に強く願わされ、明るい希望をもって、今、奈良の地で生きています。


本記事は、月刊誌『生命の光』2020年4月号 “Light of Life” に掲載されています。