友を訪ねて「100人のお母さんになりたい! ―子育てを終えて里親に―」

山崎アンネ

山崎アンネ 親の病気や、また虐待など、さまざまな理由で家族と一緒に暮らせない子供を児童相談所を通して里親の家で育てる、という制度です。施設のように数人の職員が入れ替わりで面倒を見るのではなく、家庭で同じ人が子供を見るということが、子供たちの心の安定につながっていくのだと思います。

自立するまでの長期委託、1年から2年くらいの短期委託、数日から数カ月程度の一時保護などがありますが、私は主に一時保護をしています。

資格は特に必要ないのですが、子供に対して豊かな愛情がある、里親の研修を受ける、経済的に安定している、などいくつかの条件があります。近年では里親の必要性が高くなってきているといわれています。

北海道でも年々、里親の登録数は増えていますが、まだまだ十分とはいえません。

神様の愛でしか救われない

山崎 ええ。半年間の研修なのですが、今の世の中の現実を知りました。

女性も外で働くことが当たり前の時代、両親の離婚によって行き場のない子供たちが増えている。また、自分の性を大切にすることが薄らいで、望まれないで生まれてきた子供も多くいる。以前に比べて育児放棄や虐待が増えてきているなど、日本の国はどうなっていくのだろうと思うことがたくさんありました。

研修の中で、ある講師の先生にお聞きしました、
「私はキリスト教の信仰をもっています。預かる子供を私の行っている集会に連れていっていいですか」と。

すると講師の先生は、
「ぜひ連れていってください。親の愛を知らない子は、神の愛でしか救われない」
と言われたのです。その先生がどういう意味で言われたのかわかりませんが、その言葉は私の中にとても強く残りました。

その後の実習で担当したのは、まだ1歳にならない赤ちゃんでした。全く表情がないのです。驚きました。私にできるのは、たくさん声をかけ、おむつを替え、ミルクを飲ませ、抱っこして、ずっと一緒にいることでした。

すると表情が出てきて、私を見て笑うようになりました。近くにいつも同じ人がいるだけでこんなに変わっていくんだなあ、と初めて実感しました。

山崎 それは、これまでの人生の経験からなんです。

私の名前はイエス様の祖母・アンナからつけられました。それもあってだと思いますが、私には小さいころから、お母さんになりたい、という夢がありました。

小学校5年生の時に、「私は100人の子供のお母さんになりたい」と作文に書きました。クラスの人たちは笑いましたが、本気でそう思っていました。

けれども23歳の時、腫瘍(しゅよう)が見つかり、左の卵巣全部と、右の卵巣も一部だけを残して摘出する手術を受けました。その時に、子供を産めるかどうかわからない、と医者に言われ、とてもショックでした。

そんな私に、同じ信仰をもつ主人が、「自分にも持病があります」と言って結婚してくれました。神様の生命の中でしか生きられない私たち2人を、天が祝福してくださって、3人の健康な子供が与えられました。

押し寄せる生命

けれども、3人目の子供を出産した後、主人の病気が悪化して、私一人が働いて生計を立てなければならなくなりました。子供たちを置いて朝から晩まで働いて、クタクタになって帰ってくる。

働けども働けども先が見えず、私は心身共に疲れきっていきました。こんな生活をしていていいのだろうか……。毎日、子供たちの名前を呼んで、泣きながら仕事をしていました。

すると、そんな私をだれかがジッと見ていてくださる。どん底にいた私を、黙って見ていてくださるまなざしを感じたのです。こんな生活から逃げ出したいと思っていましたが、見つめていてくださる神様を裏切れない、神様が与えてくださった子供たちを裏切れない、と思いました。いちばん大変な時に、キリストの存在を身近に感じました。

阿蘇で行なわれた特別な聖会の時です。最後の集会で、「神様、私はもう限界です」と切実に祈りました。

すると突然、とても温かい生命が前の方から波のようにうわーっと押し寄せてきて、私はその場に倒れてしまいました。その生命の波と共に、「ゆだねよ」という声が迫ってきました。私は、「そんなことを言われても何も変わらないです」と思いながら祈っていましたが、また「ゆだねよ、ゆだねよ」と、何度も私の内側にその言葉が力強く響いてくるのです。

その温かく力強い響きの中で、自分の思いをしっかり握りしめていた、かたくなだった心が解かされていきました。すべて神様にお任せして祈っていったら、必ず助けてくださる、と確信したんです。キリストに信じて祈っていったら大丈夫、と気持ちが大きく変わりました。

またしばらくして主人も、ある集会で祈っていたら光に覆われる経験をして、喜んで生きはじめました。

あの時、キリストの御愛に包まれて、私たち家族は救われました。子供たちが成長し子育てが一段落した後、これからは自分たちの生活のためだけに働く仕事はしたくないな、と思っていました。

そんなころに、家庭や親の事情で子供たちが犠牲になっている痛ましいニュースが続いて、私にも何かできないかなと思ったのが、里親になったきっかけです。

ただ抱きしめて祈る

山崎 短い子で数日、長い子でも半年くらい。次々と子供たちがわが家に託されてきます。実習の後、最初に家に来たのは、4カ月の赤ちゃんでした。

今まで、0歳から高校生までの子供たちを預かってきました。成長すればするほど自分の状況がわかっているので、なかなか本心は話しません。けれども一緒にご飯を食べて、夜は安心して眠れる、学校や幼稚園に行ける、という当たり前の日常を送る中で、ぽつりぽつりと心の内を話してくれることがあります。そうやって過ごした子供たちをそれぞれの道に送り出す時は、ほんとうに別れがつらいし、祈らずにはおれません。

また、どこまでわがままを聞いてもらえるか大人を試したり、虐待などつらい経験をしてきていると激しく夜泣きをしたり、抱っこされることに慣れていないので、抱かれることにも恐れを感じて暴れる子もいます。

主人も私と一緒に里子を迎え入れて、助けてくれていますが、私はお母さんというよりおばあちゃんのような年齢なので、だんだん体力の限界を感じて、もう里親をやめようかと思ったことが何度もあります。

けれども不思議にその数日後には新しく子供がやって来るのです。「ああ神様、あなたの愛を必要としている子が私に託されているんですね」と知らされます。

私が特別なことをしているとは思いません。「どうか神様、この子の心の叫びを聞いてください。慰めて、神様の愛で満たしてください」と、ただ抱きしめて賛美歌を歌い、祈るだけです。まず私自身が神様の御愛の中で毎日生きたいと願っています。

調子がいい時もあれば、不安定な時もあり、さまざまに心が揺れる子供たちです。けれども、当たり前の生活ができることに、「神様、ありがとうございます」と子供たちと一緒に感謝して、毎日を過ごしています。


本記事は、月刊誌『生命の光』873号 “Light of Life” に掲載されています。

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