私のチャレンジ「心が天に向く映画を」【ミニ動画つき】

田中大志

人に思いを伝えることが苦手な田中大志さんが映画制作に燃える。イスラエルで学びながら、信仰に生きる人々を映像で描き出す。

“We are all in the gutter, but some of us are looking at the stars.”
「私たちは皆ゴミの中にいる。しかし、そのなかにも星を見上げている者はいる」

劇『ウィンダミア卿婦人の扇』(オスカー・ワイルド作)より

この台詞に触発され、田中さんは以下の動画『looking at the stars』を制作した。
(編集部)


【再生時間4分51秒】


エルサレムの展望山の頂に建つ校舎からは、隣国ヨルダンまで荒涼としたユダの荒野が広がっているのが一望できます。ぼくは今、イスラエル国立ベツァレル美術デザイン学院の2年生として、ここで映画制作を学んでいます。

クラスは少数で、ユダヤ人が9人、アラブ人が2人、日本人のぼくで12人です。毎回の授業では課題が出され、生徒が作ってきた作品を、皆で批評し合います。

ここでは一人ひとりがはっきりと自分の意見をもっていて、先生も生徒も対等に意見をぶつけ合います。先生に対しても「それもあるかもしれないけれど、ぼくはこう思います」と言うと、先生も、「なるほど、そういう意見もあるね」と受け入れてくれる。そんな自由な雰囲気の中で学んでいます。

心を映し出すビデオ

ぼくは小さい時から、人に自分の思いを伝えることが下手でした。そんなぼくが、高校2年生の時に、アルバイトで得たお金でビデオカメラを買いました。

そのカメラで撮った映像を通して、ぼくはこんなものを見ている、こんなことを考えている、と表現できるようになったんです。それがすごくうれしくて、毎日外に出て撮影し、その映像を徹夜で編集していました。そして、将来は映画監督になって映画を作りたいという願いをもつようになりました。

その後、情熱を抱いて京都の大学の映画制作を学ぶ学科に入りました。ところが、技術的なことは学べても、学生たちの間には熱情をもって映画作りを語り合うような雰囲気はありませんでした。

次第に「こんなはずじゃなかった」という思いに陥り、いつしか授業にも出ず、図書室で毎日映画を何本も観る生活を続けていました。でも心の中は、これじゃあ、たまらないという気持ちでした。

兄を変えたイスラエルへ

そのころ、5歳上の兄が幕屋のイスラエル留学から帰ってきました。その姿が以前の兄とは全く変わっていたのです。なよなよしていた兄が、見違えるほど力強い姿になったのを見て、「イスラエルは人を変えるんだ!」と、衝撃でした。

大学での行き詰まりを、ぼくは周りの人たちのせいにしていましたが、実は自分の問題だったことに気づきました。そして、幕屋の集会で祈っていると、ぼくも熱く燃える者に変わりたい、と願いがわきました。イスラエルに行けばぼくも変われるに違いないと思い、イスラエル留学に申し込み、同世代の者たち12人で留学にやって来ました。

イスラエルではキブツ(農業共同体)で半日仕事をしながら、夜中の2時前には絶対に寝ないと決めて、毎日必死でヘブライ語の勉強をする生活を続けました。また、早朝の祈り会で、みんなと一緒に祈ることがすごくうれしかったです。

そうして2年がたった時です、ビザの更新ができなくて、美術学院に入れないという事態が起こりました。それで、一時的にでも観光ビザを取得するため、いったんギリシアに出国しました。

浮かない気持ちでアテネに着いたその日、スリに財布をすられたんです。その時、「ああ、神様はもうぼくを見放されたんだ」と、ほんとうに落ち込みました。

そんな気持ちで、使徒ヨハネが過ごしたという洞窟(どうくつ)に行き、独りで祈っていました。すると、神様から見放されたと思っていたぼくを、背後から見つめていてくださる、熱いキリストの眼差(まなざ)しを感じたんです。その体験をして以来、ぼくは神様をそば近くに感じるようになりました。

その後、再びイスラエルに帰ると、なんとビザが与えられ、願っていたベツァレル美術学院で学べるようになったのです。

ゴミ収集車での祈り

授業の1つにドキュメンタリーを学ぶ時間があります。それは、ある人物や場所に焦点を当てて、映像の制作を行なう授業です。ぼくはゴミ収集の仕事をしている信仰深い人を撮ろうと思いました。それは、一見汚なくて人の嫌がるようなゴミ収集の仕事の中でも、祈りつつ働いている人がいるということを描きたかったからです。

それで、エルサレム市のゴミ収集場に撮影の許可を取りに行きました。でも、そう簡単にはいきません。何度も足を運ぶのですが、なかなか許可が下りません。

もうダメかと思った時、あるゴミ収集車の運転手のおじさんに出会いました。しかも敬虔(けいけん)なユダヤ教の信仰者です。この人が親身に話を聞いてくださり、代表の方に掛け合ってくださいました。すると、撮影の許可が下りたのです。

ゴミ収集車は朝まだ暗い5時に街へ出ていきます。ぼくは特別におじさんの隣に乗せてもらい、撮影しました。車が停(と)まり、外の人がゴミ箱のゴミを車に移す作業が始まると、おじさんは、ポケットから小さな祈祷書を取り出したかと思うと、朝の祈りを始めました。

映画作品の1シーン

ゴミ収集という、人がやりたがらない仕事をしていても、心を天に向けて祈っている。ぼくは感動して、夢中でその姿を撮りました。

ぼくが映画監督になって作りたいのは、作品を観た人の心が、天に向くような映画なんです。

現代の映画には、流血やエロなど、狂気に走るようなものが求められがちです。でもぼくは、映画を観た人の心が自然に天に向いて、神様の存在を感じる。また、どんな苦境の中にいても、天を向いて再び力強く歩き出せる。そんな作品を作りたいと思っています。

今の目標として願っているのは、来秋、ベルリン国際映画祭の短編映画部門に応募して、賞を取ることです。その内容は、すでにぼくの心の中に描かれています。


本記事は、月刊誌『生命の光』788号 “Light of Life” に掲載されています。