モロカイ島の聖者ダミエン

わがいましめは、これである。わが汝らを愛せしごとく、汝らも互いに相愛せよ。人、その友のためにその命を捨つること、これより大いなる愛はなし。

ヨハネ福音書15章12~13節 私訳

人間、だれしも最も欲し求めるものは、愛というものであります。愛し、また愛されることなくして、人間は生きるに耐えられません。愛のない社会は冷たく、暗黒です。
キリスト教は愛の宗教だと言われます。聖書に「神は愛である。God is love」とありますが、神は愛であるといっても「愛 love」という言葉は非常に広く、雑多な意味で使われますので、何が愛なのか戸惑うことがあります。
新約聖書はギリシア語で書かれていますが、聖書の意味するところの愛とは何でしょう? ギリシア語では愛という言葉が3つあります。「φιλια フィリア」という愛は、友情や兄弟愛とか、親しい者同士の愛です。第二に「ερως エロース」という愛。これは男女間の愛情や、また美しいもの、真なるもの、力あるものを求め、あこがれる愛を意味します。「エロ的」などと、卑しめられて現代では用語されていますが、元来「ερως エロース」という言葉は、そんな卑しい愛情を意味するものではありませんでした。
「エロース」とはギリシア神話の女神の名前で、「欠乏」という意味です。すなわち、自分に欠乏する、欠けているものを満たそうとする愛の欲求から出ている言葉ですが、女は男性の力にあこがれ、男は女性の美を慕うともうします。自分に欠乏するものを満たそうとする心が「エロース」の愛です。自分に欠けているものを満たそうとすればこそ、人間の進歩もあります。
ところが、この「エロース」という言葉を、聖書では一度も用いておらず、この世俗的な「ερως エロース」に対して「αγαπη アガペー」という言葉を用いています。「アガペー」という愛は、親が子供を慈しみ、より強い者が小さい、弱い者を憐れむ愛です。低い者が高い者にあこがれ、自分に欠けたものを満たそうと欲する、自己的な愛の反対で、逆に、いと小さい者の苦しみを見るに見かねて抱き、救おうとする愛他心、低く卑しい者を顧み慈しむ心が「アガペー」の愛であります。
「ο θεος αγαπη εστιν  ホ テオス アガペー エスティン 神は愛である」といわれる時に、この愛なのです。神の愛は、私たちが立派で正しく、美しく、力があるから愛されるのではありません。価値があるから神は私たちを愛するのではなく、何ら価値ない、罪に汚れた卑しい身分の、小さい弱い者を見るに見かねて慈しまれる愛なのです。ただ「かわいそうに」と慈しむという慈悲心ぐらいではなくて、命をかけてでも愛そうとする激しい愛情なのです。
年末に、私はハワイのモロカイ島という小さい島に渡りました。ここに約100年前、ベルギー人でカトリックの神父、ジョセフ・ダミエンという人がいました。それで、全世界に有名になったのですが、この島にはアメリカ中のレプラ患者、ハンセン氏病とからい病と呼ばれる病人が、隔離されて住んでおりました。
1000名ほどレプラ患者が、追われて、政府からも顧みられず、この島で一生、死ぬまで乏しく過ごさねばなりませんでした。
この病気は最も恐れられた病気として、聖書にも幾多の例が記されています。義人ヨブもらい病になりました。
今では良い薬がありますが、当時はレプラをいやすに効く薬がなく、一度かかったら、二度と収容所を出ることもできませんでした。全く生き地獄のような所がモロカイ島でした。
ダンテの『神曲』には、「ここに入ろうとする者は、すべての希望を捨てよ」と『地獄の門』に書いてあるといいますが、まさにそのような悲惨極まりない無法地帯でした。
ハワイの伝道強化にやって来ましたダミエンは、この島に伝道を命じられますと、この気の毒な人たちを放っておくに忍びず、ついに死ぬまで16年間、この島で過ごしました。その16年間、死んで葬ること、1600人。次々と墓を建てて過ごしました。貧しい病人は棺桶を作ることもできず、ダミエンが大工となって作ったお棺は1000個以上もありました。
まことにレプラ村の状況は悲惨そのものでした。例えば、1人は手がなく、1人は足がない。この気の毒な2人の人が相助けて農業に従事するのですが、手のない人は手のある人をおんぶして歩き、手のある人は片手で豆の袋を持ち、片手でこれを蒔きます。手のない人は、足で土をかけて進んでいきます。
「見るもの、聞くもの、すべて涙の種ばかりだ」と手紙にも書いています。
ここで次々に子供が生まれてきますと、レプラにかからぬよう隔離します。その孤児たち700名を収容して、ダミエンは孤児院を建て、一緒に暮らしました。
ただ口で伝道するのではなく、いちいち患者の膿(うみ)を洗ってやり、また人々の教師として読み書きを教え、大工仕事もしなければなりませんでした。
鼻を突くようなレプラの悪臭、膿み爛れた患部、着のみ着のままで汚れた病人と隣り合って寝ました。肌と肌を接して病人と一緒に暮らし、何とかして「神は愛である」と伝えようとしますが、人々は信じませず、逆に「もし神が愛であるのなら、どうしてこんな悲惨な暮らしをオレたちはせねばならんのか。健康な者には神は愛でも、オレたちには神とは鬼だ」と言って、酷く反抗するのでした。
それでダミエンは、みずから「らい菌に侵されるように」と祈るほどでしたが、そして急にらい病に侵され、顔かたちも見る影もないくらい朽ち腐っていきました。
他のカトリックの神父たちは、「ダミエンが不衛生だからだ」と言ってなじりましたが、発病して一生、彼らレプラ患者と共に生き死にできることを、彼は喜びました。
何故、彼が急に猛烈なレプラ患者となったかについて、こんな言い伝えもあります。
一人の少年が下男として、その身辺の世話を手伝っていましたが、ある夜、ダミエンが神に祈りつつ「私をして、らい病にかからせたまえ」という声が聞こえるので、ジッと物陰から見ておりますと、こっそりレプラの膿を洗ったバケツから、膿を飲んだりしたためだ、と言われています。
それで、俄然、猛烈なレプラ菌の侵すこととなったのだそうです。
彼はこの島に来てから、あまりの臭い病気の臭みに耐えられず、パイプを咥えて、煙草の煙で膿の臭みを消しておりましたが、その臭みも、もう臭わないぐらい鼻が欠けてきました。
普通の人なら恐ろしくて困難ですのに、このようにハンセン氏病の人たちの隣りで抱き合って寝たりして、彼らの友となって生きました。なんと尊い生涯ではありませんか。
ダミエンが、同じ病にかかってまでも愛して、犠牲的な態度で生きるのに感動した彼らは、ついに神を信ずるようになりました。
一身に人々の尊敬を集めつつ、彼は1889年に死にました。
これが、聖書でいう「愛 αγαπη アガペー」です。まさに、神がこのようなアガペーの愛の存在でありたもうゆえに、私も神に憐れまれまして、この魂を救われた次第でした。
25年前、敗戦後にキリストの伝道を始めた当時、どこからも私なんかに伝道を求めて呼んでくれる人はありませんでした。
ただ、熊本の郊外にある国立療養所「恵楓園」の患者の石本さんや松本さん、西川春野さん。それに園長の宮崎博士の養父、この方は私の母方の親類にあたりますが、私を講師に迎えて集会が始まったのでした。
毎週日曜の午後、同じ、膿だらけの畳の上に一緒に座って、キリストの福音を語り合うことが、私にどんなにうれしかったかたわかりません。
今も私たちの原資福音の集会には、ハンセン氏病にかかった人々が、少なからずやって来ておられます。深く人生に悩まれただけに、神に魂が救われた喜びは普通の健康人以上なのです。これらの尊い兄弟たちは、療養所内で貧しい生活ですのに、逆に今では原始福音の伝道を助けて、献金を惜しまれません。なんともったいない出来事であり、なんともったいない人たちでしょうか。

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『生命の光』791号