信仰の証し「神様のドラマを見る日々」

岡本清美

子供が大好きで、小学校の先生を目指していた私は、実家を出て北九州の短大で教員免許を取りました。でも教員採用試験には落ちてしまい、地元の熊本県小国町(おぐにまち)で働きながら、翌年再び受験しました。

しかし不合格。3年目もまただめでした。4年目も、もし落ちたら先生になる夢はあきらめると心に決めて、試験に臨みました。そして届いた通知は「不合格」。

目標を失った喪失感で、私はどう生きていけばいいのかわからなくなりました。そのことを親にも言えず、1週間部屋で泣きつづけていました。その時、姉が家に置いていた『生命の光』がふと目に留まったのです。4歳年上の姉は、高校生の時に幕屋の信仰に触れ、そのころは福岡で幕屋に集っていました。

その『生命の光』を手に取り、開いた瞬間、目に飛び込んできたのは、私と同年代の女の子たちの笑顔があふれる写真でした。「お化粧もしていないのに、なぜこんなにきれいな笑顔なんだろう」と思いました。

岡本さんが見た笑顔の写真(『生命の光』誌320号)

私はその笑顔の秘密を知りたくて、幕屋に行ってみたくなり、住所欄に載っていた小国町の幕屋の方に電話をかけて、集会の日に訪ねていきました。

そのお宅に伺い襖(ふすま)を開けると、そこは何とも言えない温かな雰囲気でした。私が自己紹介をしたら、姉のことを知っていたあるご婦人が、「直美さんの妹さんの清美さんていうの」と、やさしく言われました。

その途端、閉ざしていた心が開かれたのか、涙があふれてきたのです。人前で涙を見せるのが恥ずかしくて、でも止まらなくて、集会が終わるまで泣き通しでした。

「清美さんていうの」と名前を呼ばれた時、私のすべてをご存じのお方がいてくださったというのか、その時はまだ、それがキリストの神様とはわかりませんでしたが、とにかくそれまでにない体験でした。

やがて3カ月後には、黙(もだ)しがたい思いがつのり、実家から熊本市の幕屋に出ていきました。魂が帰るべきところに帰ったというか、磁石に引き付けられるような感じでした。そんな、まだ何もわからない私を、皆さんは温かく迎えてくださいました。そして、信仰で熱く生きる人たちとの生活が始まりました。

そのころは、喜んではいてもまだ皆さんの話を通しての信仰でした。はっきりと自分自身で回心を体験したのは、2年後に参加したイスラエル聖地巡礼でのことです。神様との出会いを求めてガリラヤ湖畔で祈っている時、神様がじきじきに、私の魂の中にやって来てくださったんです。言葉では表現しにくいのですが、その時、「私の神様」をありありと実感したんです。もううれしくて、飛び上がるような気持ちでした。

白装束の若者と

やがて私は結婚し、主人の実家の高知に移りました。かつて高知には、心熱く燃えて伝道していた新保恒男先生がおられました。先生は、当時まだ幕屋のなかった高松に、新たに伝道に出ていくことを神様から示されました。そして、車で高松に出かけられた途上で交通事故に遭い、天に帰ってしまわれたのです。

ある時から、新保先生の伝道の志を嗣(つ)いでほしいという天の願いが、私に迫ってきてならなくなりました。そのことを主人に話すと、主人も同じように思っていたのです。それで一家を挙げて高松に移ってきました。

そんなある日のこと、お遍路をしていた人から、道で『生命の光』を手にして読んでみたら感動したので、訪ねていきたいという電話がありました。その夜わが家に現れたのは、白装束姿の27歳の若者でした。

お遍路さんの青年と共に(2014年)

足立悠(ゆう)さんという優秀な青年(リンク先を参照)ですが、自閉症で多くの悩みを抱えていました。勤め先を飛び出して、心の解決を求めてお遍路の旅に出たそうです。その夜は、夫婦で彼の悩みを聞きました。

それから足立さんは、わが家に泊まりながら、あちらこちらの幕屋の集会に参加しました。私は、『生命の光』を読んで感動して訪ねてきた青年だから、必ず神様が彼の魂を導いてくださると確信していました。彼は、いろいろな哲学書や宗教書を読んでいて知識はあるのですが、温かい信仰の雰囲気に触れたのは初めてだったそうです。その後10日ほど共に過ごして、喜んで兵庫の家に帰っていきました。

あれから彼はどうしているのかなと、いつも主人と話していました。そんなある日、神戸幕屋の方から、あの青年が、家に帰ったものの仕事がうまくいかず、悩んだ末、「自分の行く所は幕屋しかない」と言ってやって来た、という連絡がありました。

その後、彼は幕屋の集会で神様から聖霊を注がれ、回心しました。そして今は家庭をもち、元気に仕事をしながら、喜んでこの信仰で生きています。

涙、涙の結婚式

またある時は、30歳を過ぎた娘さんをわが家でお預かりしたことがありました。彼女は、とても素直できれいな心をもっていましたが、家事や人づきあいなどがあまりうまくできませんでした。

それで一度実家を出て、わが家で一緒に生活することにしました。毎朝、共に聖書を読んで祈り、そして普通の主婦のすることに取り組みました。料理や掃除、スーパーでの安いお肉の選び方まで。毎日一緒に読書もしました。そうして彼女と泣き笑いしながら、2年近く、共に生活しました。

そんなある日、彼女とぴったり心の波長が合う方との、結婚のお話を頂いたのです。先方も人づきあいが苦手だそうですが、とても誠実な方で、このお話をすごく喜んでくださいました。

これは、神様が天で備えてくださったとしか思えないことで、式の当日は、神様への感謝があふれた、喜びと、涙、涙の感動の結婚式でした。

またここに至るには、先に天に帰った彼女の友人の執り成しがあったことを覚えました。それは、結婚式の日がその友人の命日で、これはまさに天上での祈りが実った結婚だと感じたのです。

神様から託された人々

その後も若い人を預かっていますが、知人からは、「よく知らない人を泊めて面倒を見たり、人を預かって結婚のお世話をしたりされますね」と言われます。でもそれは、私自身がそうだったからなんです。

人生に行き詰まって泣いていた私の名を呼んで、すべてを知り、抱きかかえてくださったお方がおられたから、今の私があります。またそこには、多くの方々の愛のかかわりと励ましがありました。

私たち夫婦は、多くの人を相手にというより、一人の人の魂と、どうしたらいいかね、ああしたらいいかねと言いつつ、神様に祈りながら接しています。

先生として児童に向き合う夢はかないませんでした。でも今は、神様から愛する人々を託され、キリストの愛の中に共に生かされる、感激の日々を与えられていることが感謝でならないんです。神様は私にこのことを願われていたのかな、と思います。

今わが家は月に1度、ご近所の方々に自由に来ていただく時を設けています。また、かつて私がそうしてもらったように、若人たちと共に食事をしながら、わが家を、心の底にあることを何でも話せる場、魂の解放の場にできたら、と願っています。


本記事は、月刊誌『生命の光』2020年11月号 “Light of Life” に掲載されています。