信仰の証し「愛の情動がこの私にも」

岡本拓巳

ノイローゼ(神経症)と診断されたのは、私が高校生の時です。

それは突然のことでした。ある日、頭の中がいろいろなことでごちゃ混ぜになって、急に自分の感情をコントロールできなくなったんです。えたいの知れない恐怖に心がかき乱されて、授業中でも叫び出してしまうことがありました。

高校に上がるまではおとなしい性格でしたから、「反抗期がずれ込んだせいだ」と周囲は言っていました。半年ほど精神病院に入院しましたが、状況は変わりませんでした。治療と薬の服用をどれだけ続けても、医療の力では改善できなかったのです。

退院して間もなく、タバコを大量に飲み込んで自殺未遂を起こしたことがあります。母に止められてハッとしたんですが、何か暗い衝動に駆られて、自分が自分でないようでした。母は、私のことでよく一人泣いていました。家族にも、どうすることもできなかったんですね。心の病気といっても、病因が目には見えないので理解できず、苦しかったんだと思います。

やがて、私は再び精神病院に入院させられました。出口の全く見えないトンネルの中にいるようで、一日じゅうベッドの上で放心状態の日が続きました。もう絶望しかありませんでした。

精神病棟を訪ねてきた人

そんなある日、新しく高校の担任になった柳村仁士先生が病室を訪ねてこられたんです。家族以外に私を訪ねてくる人は初めてでした。

先生からは、何か鬼気迫るものを感じました。いったい何事だろうと思いましたが、先生はただ一言、「岡本君! キリストこそすべてなんだ!」と力強く言われたんです。言葉の意味はわかりませんでしたが、それが強烈に私の心に残りました。

このまま死の道を進むのか、それとも生きるのか、まるで私の奥深くにある魂のようなものが、ブルブルと揺さぶられているようでした。

先生が帰り際に置いていった『生命の光』をめくると、皆の顔の輝きに驚きました。「ああ、もしこういう世界があるなら行ってみたい」と思ったんです。

退院してからすぐ、先生が通っている高知幕屋を訪ねました。幕屋の皆さんは私を喜んで迎えてくださったんですね。それまで、心を病む私から目を背ける人はいましたが、温かく迎えてくれる人は初めてでした。

これは後で聞いたことですが、柳村先生は幕屋の皆さんに「岡本君という高校生のために祈ってほしい」と言って、私のことを祈ってくれていたそうです。

私はそういう祈りの中で、心が変わっていったんです。少しずつですが精神が安定してきて、高校も何とか卒業することができましたし、その後、なんと大学に進学、卒業までできたんです。先生はじめ、幕屋の方々は、自分のことのように喜んでくれました。

ある日、祈りの中で、キリストの生命にありありと触れる体験をしました。心の中がすっかり大平安に包まれて「もう大丈夫だ。矢でも鉄砲でも持ってこい」という力強い思いが湧いてきたんです。それ以来、ずっと抱えていた心の病気は消え去ってしまいました。身も心も破滅していたはずの私でしたが、死の淵に足を踏み入れるギリギリのところで救われたのです。

天国のワンシーン

あれから40年が経ちますが、私は今でも柳村先生から受けたご恩を忘れたことがありません。それに応える歩みがしたいと願ってきました。

2年前、これは家内と話し合って決めたのですが、一人の女子青年をわが家でお預かりすることにしたんです。彼女は何をやるにしても人より時間がかかってしまい、不器用なところもありますが、信仰に一途で素直な人です。30歳を過ぎてもまだ独り身でしたので、いい人が見つかることを願っていました。

お預かりしたものの、実際に生活を始めると細かいことまで目につきます。一人前になってほしいと家内も必死ですから、ご飯の炊き方だけでなく、「人の心をもっと汲みなさい」とか、「ハキハキしゃべりなさい」と厳しいことも言いました。いつか逃げ出してしまわないかとヒヤヒヤする場面もありましたが、気落ちしないよう励ましながら、時には真剣に語り、時には腹から笑って、共に祈りました。

それが最近になって、幕屋の方のお世話で、同じ信仰に生きる人との結婚が決まったのです。お相手は、若い時に母親を亡くされました。極度の緊張症のために、人前では話せなくなってしまうこともあるそうですが、何事にも黙々と打ち込む、誠実な方です。

結婚式は嬉しかったですね。優しく寄り添っている新郎新婦を見ながら、不思議な愛の巡り合わせを感じました。式場には、2人を知る大勢の教友が駆けつけ、突き抜けるような喜びが溢れていました。大げさかもしれませんが、天国のワンシーンを見ているようだったんです。「あーっ、私が初めて幕屋を訪れた時も、こんな雰囲気だったな」と思ったんですね。

味わったことのない思い

里親のように人を預かるなんてことは初めてでしたが、ほんとうに嬉しかったです。変えられたのは自分のほうだったのかもしれません。

昔、私の病室を、信仰をもつ一人の人が訪ねてきてくださった。そして、心の病で死んでいたような私のために、キリストの生命に救われることを、本気で祈ってくださった。

その先生を動かしていたキリストの愛の情動が今、私の中にも湧き上がっているのを感じたんです。それは、今までに味わったことのない感情でした。

またこれからも、もしそういう若い人がいるなら、一緒に祈り過ごしたい、そう家内とも話しつつ、毎日夢が湧いています。


本記事は、月刊誌『生命の光』793号 “Light of Life” に掲載されています。