インドネシア紀行「豊かに実る祝福 —細井龍子さんを訪ねて—」

昨年(2018年)、琵琶湖畔で開かれた幕屋の聖会に、インドネシアから三十数人の方が参加されました。そのうちの約半数が、細井龍子さんというご婦人の親族です。
聖会後、私は細井龍子さんを取材しようと思い立ってインドネシアに行きました。ジャカルタの空港には、その地で伝道しておられる浅野良之さん、春子さん夫妻が出迎えてくださいました。
ジャカルタから、龍子さんの住むマランまで列車で16時間、夕方5時に中央駅を出発して、翌朝、9時に着きました。車窓からは、朝早く田植えしている人や、田の草を取っている人も見えて、懐かしい日本の田園風景を見るようでした。

(聞き手:長原 眞)

* * *

どこか遠くへ行きたい

長原眞 龍子さんは、どうしてインドネシアに住むことになったのですか。

細井龍子 私は故郷の秋田にいた時、好きな人がいたんです。その人が東京に行って働いていました。彼を訪ねて東京に行ったら、他の女性がいたんです。失恋したんですね。そのショックが大きくて、どこか遠くの、誰も知っている人がいない所に行きたかった。

東京でアルバイトをしながら看護専門学校で学んでいた時、友人に誘われてアジアの学生との交流の会に行きました。そこで主人のジョコと知り合ったのです。心の優しい人でした。

ジョコさん、龍子さん夫妻

結婚してインドネシアに渡りました。でも、最初はホームシックになって、毎日、空ばかり見ていました。ああ、この空は日本につながっている、と思ってね。

長原 信仰に導かれたきっかけは何ですか。

龍子 インドネシアに来て7~8年経った頃でしょうか。私は現地の言葉があまり話せないし、習慣も文化も全く違う環境の中で苦しんでいました。そんな時、ジャカルタで知り合った日本人の奥さんから、『生命の光』を頂いたんです。

それを読むと、皆さんの信仰の体験談が心に沁みわたってきます。何冊か読んでいくうちに、私も皆さんのように神様に会いたい、と思うようになりました。

ある日、休んでいたら、幻のようにスクリーンが出てきて、そこに今までの苦しかったことが走馬灯のように次々と映し出されてくるんです。

ああ、神様は私のすべてを知っていてくださった、と思ったら、涙が出てたまらない。それが最初に神様に出会った体験でした。それから、手島郁郎先生の聖書講話がよくわかるようになったんですね。

神様から離れられない

木の幹に直接なる果物
「ナンカ」
果肉は黄色でジューシーです
(長原)

長原 龍子さんはしばらく日本に来ておられましたね。

龍子 長男が悪い仲間に入って、どうしても抜け出せません。でも本人が、「ぼくは立ち直りたい」と言います。それならジャカルタを離れ、日本でしばらく暮らそうと思い、日本に行ったんです。息子を助けたい一心でした。

東京に着いたものの、行く当てもありません。お金もあまりもっていません。でもお金がなくなった時、偶然出会ったインドネシアの人が、自分の家に来たらいいよと言ってくださいました。それで息子と一緒に、その方のお世話になることになりました。天使のような人が現れて、助けてくれたのです。そのうえ、デイサービスの仕事にも就くことができました。

知る人のいない東京で、大手町で開かれている幕屋の集会は、私にとって慰めの場でした。聖霊が覆っているのがわかります。行くたびに力を受けました。

ある時、集会に向かう電車の中で突然、ああ、私はキリストにとらえられた、もう神様から離れられない、という思いが湧いてきて、うれしくて涙が止まりませんでした。

私が信仰の喜びに生きはじめましたら、だんだん息子も立ち直ることができて、一般社会で働けるまでになったのです。ほんとうに日本に行ってよかったです。東京で過ごした10年間が私の信仰の土台となりました。

長原 昨年、娘さんたちやその親族の方も、琵琶湖の聖会に来られましたね。

龍子 ええ。娘たちは、私の苦労を知っていますし、私が神様なしには生きられないことも知っています。

今、何よりもうれしいことに、娘や息子たちがみんなこの原始福音の信仰につながりました。それだけでなく、娘の嫁ぎ先の家族も日本の聖会に参加して喜んで帰ってきました。皆さん、教会に行っている人たちですが、聖会に参加して、普通の教会にはない、聖霊の働きを見たんですね。

喜び、賛美、踊り

長原 私は、マランからジャカルタに帰り、浅野さんのお宅で夕食を頂きながら、インドネシア伝道の近況をお聞きしました。

浅野良之 私は、インドネシアで仕事をしていたものですから、日常会話は不自由しません。インドネシアで『生命の光』を読んで喜んでいる人たちを見て、定年後の人生をインドネシアでその方々と祈り合い、励まし合いたいと思って、こちらに参りました。

初めは日本人の集まりでしたが、インドネシア語で集会をしはじめましたら、こちらの人が喜んで集うようになりました。それで日本の幕屋の聖会に、大勢の人が参加することができたのです。私の力というより、神様が導いてくださったんです。

龍子さんは子供さんたちを立派に育てられました。娘さんの一人は内科医で、一人は歯科医です。彼女たちは日本婦人のようによく気がつき、いつも私たちを助けてくださいます。日本から幕屋の人たちが来られた時など、いろいろな手配を全部してくださるんです。私たちにとっては天使ですね。この人たちがおられるので、私たちもインドネシアでやっていけます。

日本からも応援に駆けつけ、
「幕屋ペンテコステ記念集会」が開かれました

* * *

旅の最後、ジャカルタで「幕屋ペンテコステ記念集会」が開かれました。すべてインドネシア語で、通訳なし。何を言っているのかわかりませんでしたが、共に祈るだけでうれしかったです。

後で内容を聞くと、聖会の喜び、とくに火渡りの霊修で、キリストが共におられることを実感した、という証しだったそうです。インドネシアにも、キリストの生命なしには生きられない人たちがおられるのです。集会の最後は、喜びが爆発し、賛美と踊りの輪になりました。


本記事は、月刊誌『生命の光』2019年6月号 “Light of Life” に掲載されています。