聖書講話「聖なる歴史を担う者」ヨハネ福音書11章45~52節

聖書の宗教を奉ずるユダヤ人は、地上における歴史を問題にし、それに取り組んで、しぶとく生きている民族です。極めて現実主義的です。また、歴史というからには、単なる「時の流れ」ではありません。ある場所と民族社会に起こりゆく変化を非常に重大視し、意味をもって考えているのです。彼らは、時と場所を抜きにして、架空な話はしません。

ですから聖書を学ぶのに、抽象的な哲学や神学の勉強をするように聖書を読んだってわからない。神の摂理――神の約束とその実現――の信仰は得られません。

今日はそのことを、ヨハネ福音書11章45節以降を読んで学んでまいります。これは、イエスが死んだラザロを蘇らせる奇跡をなさった後の出来事です。

なぜ「時」を強調するのか

マリヤのところにきて、イエスのなさったことを見た多くのユダヤ人たちは、イエスを信じた。しかし、そのうちの数人がパリサイ人たちのところに行って、イエスのされたことを告げた。そこで、祭司長たちとパリサイ人たちとは、議会を召集して言った、「この人が多くのしるしを行っているのに、お互いは何をしているのだ。もしこのままにしておけば、みんなが彼を信じるようになるだろう。そのうえ、ローマ人がやってきて、わたしたちの土地も人民も奪ってしまうであろう」
彼らのうちのひとりで、その年の大祭司であったカヤパが、彼らに言った、「あなたがたは、何もわかっていないし、ひとりの人が人民に代って(原文は「~のために」)死んで、全国民が滅びないようになるのがわたしたちにとって得だということを、考えてもいない」。このことは彼が自分から言ったのではない。彼はこの年の大祭司であったので、預言をして、イエスが国民のために、ただ国民のためだけではなく、また散在している神の子らを一つに集めるために、死ぬことになっていると、言ったのである。

(ヨハネ福音書11章45~52節)

49節に「その年の大祭司であったカヤパが」とありますが、どうしてこのように書いてあるのでしょうか。このカヤパは紀元18年から36年まで大祭司を務めておりました。ですから、「その年の」というより「その年も」カヤパが大祭司であった、という意味です。

聖書は、イエス・キリストが十字架にかかられた年が、ただの年ではない、非常に大事な意味をもっている、と考えています。キリストが十字架にかかって亡くなったが復活された。そして弟子たちに聖霊が臨んだペンテコステの出来事によって、人類に新しい次元が開かれた。すなわち、聖霊に満たされた新しい人間が続出しつつあったことから、「その年」という言葉は非常に大事なのです。

神の歴史を体で感じる

ヨハネ福音書の記者は、歴史の決定的な瞬間である年を忘れません。「その年」とあるのはこのためです。こういう言葉がわざわざ使われているのは、「時」の概念を重視して聖書を読むことが非常に大事だからです。マルコ福音書1章でも、「時は満てり、神の国は近づけり」と、キリストの伝道の第一声を書きだしています。

西洋のキリスト教は、ギリシア人の思想の影響を多く受けています。

元来、ギリシア人は観念的な人種でありますから、概念的思弁をすることに長じています。今も、アテネの旧王宮前の広場にでも行きますと、朝からたくさんの人たちが、ぺちゃくちゃ喋りながら茶飲み話をやっています。悪く言えば観念的な遊戯をしているわけですが、それが哲学といったものにまで発達してきたのです。

それに対して、ユダヤ民族は歴史を問題にします。人間の問題に、歴史を通して神が直に答えている。神が書物の上だけでなく、歴史の上にも筆を執ってそのご計画を書き記し、諸国民の中に「聖なる摂理の歴史」が進行しつつある、という立場に立って宗教を考えているのです。

彼らによって書かれた聖書は、それぞれの時代を通して、歴史の方向と戦う者、すなわち聖なる歴史の担い手となる者たちに読まれるべき書物です。否、神の歴史のために戦う者たちにのみ、本当の意味で理解できるのです。私たちは小さいながらも、キリストの聖なる歴史を体当たりで書くことをしなければなりません。

歴史といえば、何か大言壮語するように聞こえるでしょう。だが、政治や戦争、文明の歴史、そんなものばかりが歴史ではありません。お互いの短い生涯でも一つの小さな歴史です。生活の歴史です。

熊本市辛島町の二階座敷の集会室

この原始福音運動を思っても、私が神の召命を受けた阿蘇の地獄高原、また伝道を始めた辛島町88番地、否、少年時代、初めてキリストにお出会いした熊本バプテスト教会の外庭から始まって、今や全日本にこの幕屋が成長しました。やがて世界にも及ぶでしょう。

もし、この辛島町のあばら家の二階座敷から歴史が始まるということになると、どうでしょう。歴史の足音を身近に感じませんか。私たちは、この時間の砂原に足跡を残そうではありませんか。小さくとも神の英雄らしく生きて、時の砂上に足跡を残すところに人生の意味があるのです。もちろん、一人では歴史になりません。全国の幕屋の民で、皆で書き上げるのです。

一人ひとりの血と涙で読む聖書

歴史というものは、時間における出来事のある特殊な見方をいうのですから、どのようなものでも歴史となります。たとえば、わが家の3代続いた物語を書くならば、それはスモール・ヒストリーながら、わが家の歴史です。

聖書は、社会的、歴史的な生活を通して書かれています。そして社会は個人個人を含むものなので、一人ひとりの血と涙と喜びと戦い、それらを通して学ぶ書なのです。

ですから、「その時」などという言葉が問題になるのです。宗教に歴史なんかいらない、神学だけでよいと思いがちですが、そうはゆきません。聖書は、時の流れの中で、人間に起きた出来事を通して学ぶものだからです。これを知らない者は、自分の頭だけで考えた独りよがりの観念的な信仰になるのです。それでは、現実の生活に対して何の力にもなりません。

皆さん一人ひとりが神の歴史の担い手であると思うならば、「神様、どうか私たちを用いて歴史を書かせてください」という祈りが湧きます。

今の西洋流のキリスト教は極めて個人的ですから、そこに歴史というものがない。だが私たちは、一人ひとりが共に神の歴史を綴ろう、と思うと考え方が違います。また、伝道的になります。ここに聖書の読み方の大事なポイントがあります。頭で読むのではなくて体で読むのです。私たちの現実の生活、環境の中で読んでゆけるのです。その時に聖書がほんとうに身についてきます。それを無視して独りぼっちで、教会に行って儀式にあずかったり、考え事をしたりするのが信仰ではありません。

このように、ヨハネ福音書が「その年の大祭司であったカヤパが言った」とわざわざ言うのは、歴史的にエポックメーキングな出来事を意識するからです。

オットー・ピーパー博士を迎える

O・ピーパー博士と手島郁郎(1963年 高野山聖会)

このたび、世界的な聖書学者として知られるオットー・ピーパー博士(プリンストン神学校教授)が、原始福音運動に共鳴されて、その応援に来日されることになりました。ピーパー博士は、組織神学というものに疑問を抱き、「聖書的現実主義(ビブリカル リアリズム)」という立場に立って、新約聖書の時代そのままの現実感をありありと認識すべきことを、聖書研究の目標としました。

私は戦後、独立伝道を志して、それまでやっていた事業も捨てて、新しい門出を決意しました。その頃、『The Christian Century(ザ クリスチャン センチュリー)』という雑誌でこの人の論文を読んで、私と同じ聖書観をもつ人のあることを知り、どれほど自分の信念を固めることに役立ったかしれません。老博士が日本の幕屋運動に深い関心を寄せられたのも、我らと同じ聖書的信仰に立っているからです。

ピーパー博士も、「キリストは『見よ、我はすべてのものを新たにせん』と言われるが、欧米キリスト教文明が急速に崩壊しつつある今日、聖霊の注ぎをもつ集団から、新しい文明の先導役が出てくると思う。日本に興った原始福音運動こそ、それではないか」と言われました。

日本のクリスチャンは、ピーパー博士のことをほとんど知りませんが、彼は若くして、ドイツのゲッチンゲン大学で組織神学の助教授となり、次いでミュンスター大学の教授として、有名なカール・バルトとも同僚となった人です。彼らは親交を結びつつも、激しく神学的論争を戦わしました。ピーパー博士は単なる神学者ではなく、国際的な政治、社会問題についても進んで活動し、第二次世界大戦の頃は、ドイツにいて激しくナチスを非難し、ヒットラーの政治に抵抗したために、国を追われて命からがら英国に亡命しました。やがて米国のプリンストン神学校に新約学の教授として迎えられました。今や、アメリカでも指折り数えられる聖書学者です。

千人の心で歴史をつむぐ

そのような方を、ただ私たちの幕屋だけで招待するのでは失礼になるので、先日、東京へ行ってキリスト新聞社の編集長や東京神学大学学長などにお会いしてきました。神学大学の学長は、我々の小さな群れがピーパー博士をお呼びするというのを聞いて、びっくり仰天されました。

数年来、私たちは日本のキリスト教界から、多くの誤解や罵詈讒謗(ばりざんぼう)を受けてきました。しかし、我らの小さな歴史が、国際的舞台にいよいよ描かれはじめるのです。千数百の男女が、日本の宗教の霊山である高野山に集まって、ピーパー博士を迎えて大聖会を開く。これこそは、歴史的聖会として後世に伝えられるエポックメーキングな出来事です。ここに、歴史を体当たりで書く、「Holy History(ホーリー  ヒストリー)」(聖なる歴史)を我らの手で書く、ということが始まるのです。

ところで、東京のその方々が言われるのに、先日もある有名な神学者を日本に招聘するため、キリスト新聞社が音頭を取ってキリスト教会に呼びかけたけれども、十分な資金が集まらなかった。それがキリスト教界の実情だという。

我ら幕屋の一群は、この世的には貧しく卑しい者たちばかりです。しかし、一人の力は弱いけれども、千人の力が一つになるから、いつでも私たちは強い。高野山で、千人でピーパー先生をお迎えしたいのです。ここに、この聖会の歴史的意義があります。

どうぞ全国から集まってください。聖霊という一つの磁力が働いて招かれたエクレシア(注1)こそ、我ら幕屋です。原始福音千人の兵卒で歴史をつくると思えば、「ここに歴史あり」ということが、皆様もご理解になれると思います。「一千の大和心を縒(よ)り合わせ ただ一筋の大綱にせよ」と、天の声が聞こえてくるようではありませんか。


(注1)エクレシア

「(神に)呼ばれた者たちの集団」を意味するギリシア語。日本語では「教会」と訳されている。

霊的な力ある宗教への反発

ここで47節に「祭司長たちとパリサイ人たちとは、議会を召集して」とありますが、議会というのはサンヘドリンと呼ばれたユダヤの宗教議会のことで、今でいう最高裁判所と国会を兼ねたようなものです。わずか一人のナザレの田舎大工であるイエスについて、このような議会を開かなければならないというのは、いかにも大げさです。最高の要路の人たちが皆そこに集まって、「えらいことになった」と言う。そして、イスラエルの誇りであり、宗教の華(はな)ともいうべきイエス・キリストが現れたことに対してこういう企みをする。イエスの出現が、また死んだラザロを蘇らせるほどの霊的な力ある宗教が、こういう偉い人たちには恐ろしいのです。

イエス・キリストはナザレの田舎大工です。無視したらいいんです。しかし、無視できないのはなぜでしょう。霊的な反発というべきものがあるからです。皆さん方も、いろんな人から非難の声を受けることがあるでしょう。聖霊に満たされ、こんなに喜んでいるのだから、「よかったですね」と言ってくれそうなものなのに、牧師などは妬んでケチをつける。

今から10年前、私が熊本で伝道を始めてまだ数年の頃のことです。東大総長まで務めたことのある無教会の偉い先生が、一生懸命に私を目のかたきにしました。「九州に手島というのがおるが、もしアレと交わったり、アレの本を読んだりする者とは絶交する」などと言いました。私のような九州の田舎者を、著名な先生が目のかたきにする必要はないはずです。けれども、無視できないんですね。これが宗教病という病気です。

マイナスの中にプラスを見る

ところが50節を読むと、時の大祭司カヤパが、「一人の人が人民のために死ぬべきだ、全国民が滅びないようにするためには」と言いました。愛国という名に隠れて一人くらい殺してもいいじゃないか、というのです。このようにイエス・キリストを殺そうという陰謀が着々と進みつつある時に、それに対して聖書は何と言っているか。これが大事です。

51節に、「このことは彼が自分から言ったのではない」とあります。無意識で言っている。神が背後におられて言わしめている、というのです。イエスが殺されようとしていることも、「ただ国民のためだけでなく、各地に散らされている神の子ら(イスラエルの民のこと)を一つに集めるために死のうとしているのだ」と言って、カヤパの言葉を善意に解釈しています。

そのような殺人の陰謀に対しても、神の御手を、神の摂理を読もうとするところに、聖書的な見方があります。これが信仰の心です。

私たちの人生においても、聞くだけでも嫌なことが起きることがあります。だが、どんな出来事が起こっても、神様はそのような迫害や殺人という出来事の中にも深い思い量りをもっておられる、ということを知らなければなりません。信仰はマイナスの中にプラスを見つける心です。

世の罪を負う小羊としての死

罪のないイエスを殺そうという発言を、大祭司という最高の宗教家がした。表面だけを考えたら、それだけでも宗教の名に値しません。しかし聖書は、このことを通して神の御手が働いている、というのです。それはどういうことか。

当時のイスラエルでは毎年、過越の祭になると、祭司たちが民のために神殿で犠牲の小羊をほふり、その血を祭壇に注いでおりました。その小羊と同じように、エルサレムに上ってきたイエスを犠牲にしようというのです。

もし、イエスが何か悪いことをしたというならば、死刑になっても仕方がないことです。けれども、イエスには何の罪もなかった。それなのに、なぜ犠牲として殺されなければならないか。これこそ、キリストが贖いの小羊となって死んでゆかれ、その流された血汐によって人類が救われるためなのだ、ということをヨハネ福音書は言わんとしているのです。

聖書は、見える出来事はマイナスでも、マイナスの中に、次にはプラスになるということを見ています。たとえ悲観的な出来事が私たちの目の前にあっても、その背後に神の御旨を読んでゆくのが信仰の心です。神は愛ですから、そのことを通しても最善が始まってまいります。

聖書は、イエスがキリスト(救世主 メシア)であり、贖い主である、神の愛の現れである、ということについて、至るところで訴えております。このように、イエスを殺そうという陰謀が行なわれつつあるという痛ましい出来事からも、なお「神はその独り子を与えたもうほど、この世を愛してくださった」という神の愛を読み込もうとする。これが聖書の読み方というものです。

聖書の選り好みをしない

今のキリスト教は、信仰をただ部分的に、十字架なら十字架、復活なら復活、再臨なら再臨という一つのことに絞って、「十字架、十字架」「ご再臨、ご再臨」などと言います。

それに対してピーパー博士は、「今のキリスト教はただ、聖書のある部分にとらわれて、全体を見失っている。そして、自分に都合の悪い、自分が体験できないことについては、ここはおかしい、といって取り去ってしまう。自分の信仰を基準に聖書を切り刻んでゆく。これは聖書の学び方ではない」ということを強調しています。

新約聖書は、登場人物がキリストに触れて体験したことを書いているのですから、そのまま読まねばならないのに、「ここは読めない」と言ってわからないところを省こうとします。

私は若い頃、ある無教会の先生の講義を何度か聴きました。その先生が言います、「聖書の学び方は、鯛の煮つけを食べるようなものだ。最初はうまいところから食べたらよい。そうして、骨とか頭などの食べられないところは残したらよい。同様に聖書も、読めないところ、信じられないところまで信じようとするから無理がある。魚の骨を無理に食べようとして、骨がのどに刺さって苦しむようなものだ」と。

当時の私は、なるほど上手な読み方だなあと感心しました。これは何も無教会だけでない、現代の多くのクリスチャンの読み方です。ここの聖書の記事は自分の歯が立たないからといって残す。そして、それをつまらないもののように思う。

だが、ピーパー博士は、「それは人間が自分本位に読もうとしているのであって、聖書から教えられようとする人の態度ではない。聖書の言葉は意味が深く、わからないところがある。だが、わからねばこそ、わかるまで学び、それを体験しなければならない」と言っております。

生きてみてわかる信仰

ここで、最高議会で判決が下り、イエス・キリストが殺されることになった。嫌なことです。けれども、信仰は外側の出来事を見ることではありません。私たちは、どんなことがあっても、自分をこの地上に造り出したもうた神の御心は何だろう、と思って神を見上げておりますと、人と違う答えが出てきます。そして、いつも神様が愛して守ってくださると思ったら、消極的にならずに、どんなときにも自信をもって歩いてゆけます。私たちの小さな人生の歴史を歩いてみて、信仰がわかるのです。それを歩くことはしないで、神学書だけ読んだって、本当の信仰はわかりません。このように、男、女にかかわらず、皆、歩かねばなりません。

本当の信仰は、危ないところを突破してみて、マイナスの中にプラスを見つけて、「ああ、神様は御愛でした」といってだんだん練習を積んで習熟してゆきます。そうしたらもう、その人には大人(たいじん)の風格があって、「ああ、頼もしいなあ」と言われるような人間ができ上がってきます。

このように、イエスを殺せという決議をしたような宗教会議の背後にも、なお神の御手の働きを見失わないのが、当時の初代教会の信者でした。ここに大事な、聖書の読み方があります。

どうぞ私たちも、聖書を歴史として読むというとき、自分の小さな歴史を通してでも信仰を読み込みとうございます。

(1963年)


本記事は、月刊誌『生命の光』2019年6月号 “Light of Life” に掲載されています。

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