信仰の証し「すべてはここから始まる」
―失業から起ち上がる力―

森下偉作矢

昨年、私が長年勤めていた会社が倒産しました。

10年ぐらい前までは、日本の大手電機メーカーのほとんどが、携帯電話機やデジタルカメラ事業で成功していました。私のいた電気製品向け部品販売会社も、その部品などを提供し、羽振りよくやっていたんです。

ところが、世界標準のスマホ化が進み、日本独自のいわゆる「ガラパゴス携帯」やデジカメは売れなくなりました。そして、シェアの大半を中国や韓国、台湾の企業に奪われ、日本の家電大手は次々と解体や身売りに追い込まれました。そのあおりを受け、私の会社は、ついに清算せざるをえなくなったのです。

私は大学を出てからずっとサラリーマンで、毎月お給料をもらい、安定した生活を送ってきました。最後は役員になり、ある意味、汗をかくこともなく、口だけでお金が入ってくる立場にありましたが、そういう安定した状況がなくなってしまったんです。大学生になったばかりの子供が2人おり、人生でいちばんお金がかかるタイミングです。

私はキリストの信仰をもつ両親の間に生まれ、幼い時に祈りの中で、神様の存在を感じるような体験もしました。祈れば助けてくださる神様を知っているつもりでしたし、信仰で生きてきたつもりでした。

けれど、「今後、どうなるんだろうか?」と考えると不安になり、口では祈っているようでも、私の信仰はどこへ行ってしまったんだろう、と思うぐらい力が出なくて、考え込んでしまっていたんです。

イエスが弟子に教えられた祈り

でも、そんな時に、私が通う幕屋、大阪の南部にある羽衣幕屋の集会で、マタイ福音書の「主の祈り」を皆で読みながら祈りはじめました。

天にいますわれらの父よ、
御名があがめられますように。
御国がきますように。
みこころが天に行われるとおり、
地にも行われますように。
わたしたちの日ごとの食物を、
きょうもお与えください。

マタイ福音書6章9~11節

これはイエス・キリストが弟子たちに直接教えられた祈りです。また、イエス様が十字架刑で亡くなられた後、聖霊がくだるまでの50日間、弟子たちが心を合わせて熱心に祈った祈りだといわれています。そして、その祈りにこたえるようにして聖霊がくだり、師を失って絶望していた弟子たちは起ち上がりました。

これは有名な祈りの言葉ですから、キリスト者として私も当然知っていましたが、その集会ではイエス様の深いお心に触れるために、ただ唱えるのではなく、一言一言、かみしめるように祈りつつ読みました。

私は自分の置かれた現実を思うと、とても上を向けない不安な心でいっぱいでした。でも、「主の祈り」の言葉を深く思いながら祈るうちに、冷えて固まっていた心が、だんだんと熱くなってくるのを覚えました。

そして、「日ごとの食物を、きょうもお与えください」という言葉を読んだ時、「食物」と訳されているギリシア語が、「パン」という意味だと知りました。

その時です。私の中に、「人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言(ことば)で生きるものである」というイエス様の御言葉が響いてきました。「そうだ! この“日ごとの食物(パン)”は、神様の言葉、聖霊のことなんだ!」という思いが私の心に迫ってきて、なぜか喜びの涙があふれてきたんです。

「ああ、神様、ありがとうございます。これなんですね。あなたの御言葉に込められた、聖霊の生命を汲め、と言っておられるんですね。私は自分の経験や考えに基づいて生きていました。神様、ごめんなさい! どうか聖霊を与えてください!」という祈りが噴き上げてきて、我を忘れて祈りました。

すると、「失うものは何もない。ここからすべて始まるんだ!」という声が響いてきました。

私は、「神様から来る“日ごとの食物”である神の言葉が、聖霊があれば、どんな状況だって乗り越えていける」という思いになって、それまで不安で暗かった心が、一瞬にして喜びに満たされたんです。

喜びは消えることなく

その時は、まさに会社を整理する業務に追われていて、本来なら心が暗くなるところです。でも、なぜか私の内側から笑いが込み上げてくるんですね。それで、「おまえはこんな大変な状況で、何で笑顔でいられるんだ?」と上司から言われるほどでした。

その後、これまで仕事で築いた、日本や海外の伝手(つて)という伝手を使い、新しい事業を起こせないかと思い巡らせていました。すると、海外企業数社から次々とオファーがあり、日本での営業を委託されました。

それで、「よし、やろう!」と、営業活動を開始しようとした矢先、今度は新型コロナウイルスの問題で、すべてが止まってしまったんです。

「ああ、まただめなのか……」という思いが一瞬よぎりました。でもそんな時にも、「主の祈り」によって与えられた喜びが消えることはありませんでした。

祈るたびに私の内側から「主の祈り」が響いてきて、天からやって来る喜びの生命に包まれます。そして、「大丈夫なんだ。ここから始まるんだ!」という思いがわいてきて、力が与えられて起ち上がることができるんです。

今は新しい職に就くことができましたが、失業という最悪の事態を通してでも、これまで知らなかった祈りの世界を教えられたことが感謝です。


本記事は、月刊誌『生命の光』2020年9月号 “Light of Life” に掲載されています。

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