友を訪ねて「いぶりがっこの味わい」
三浦きく

秋田県大仙市・大曲(おおまがり)にお住まいの三浦きくさんは、秋田名物のいぶりがっこを作るのがとてもお上手です。近年は、実に30キロも漬けておられます。その特製のいぶりがっこを頂きながら、三浦さんのこれまでの歩みをお伺いしました。(編集部)

いぶりがっこを作るには、まず取れたての真っ白い大根を、専用の燻(いぶ)し小屋で数日間、じっくりと燻します。その小屋の中は、息をするのも苦しいほど煙でいっぱいです。そこで燻された大根は、だんだんと黒く、しわしわに干し上がっていきます。それを私が仕入れて、樽(たる)に漬け込んでいくんですね。
そんな工程を見ているうちに、思わされたことがあります。私の信仰の歩みも、息もできないほど苦しい中からの始まりでした。




しわしわになるまで
私は、同じ大曲に住む主人のもとに嫁ぎました。長男を授かりますが、その後、私はバセドウ病を患ってしまったんですね。本当は、2人目の子供が欲しいと願っていました。でも病気が長く続き、薬に頼るしかない苦しい毎日を過ごしました。
同居していた義母はとても厳しい人で、自分の考えどおりに完璧を求めるんですね。私はそれにこたえようと努めながらも、心のどこかで追い詰められているのを感じて。病気のことも重なり、まるで燻し小屋の大根のように、しわしわに干された心の状態でした。
そんな私を心配した姉は、何度も電話をかけて励ましてくれました。「薬に頼っていたら、子供は与えられないよ。祈り一本で乗り越えよう。私も祈るから、あなたも祈って」と。
姉もかつては、賭け事が好きだった夫が多額の借金を抱え、離婚も考えるほど切羽詰まっていました。
そんな時、姉は偶然手にした『生命の光』に心を動かされ、救いを求めて幕屋の集会所を訪ねました。そこでキリストの神様の生命に触れて、回心したんですね。
「ここには素晴らしい世界があるのよ!」と連絡をくれた時の姉は、喜びにあふれていました。
祈りはじめるとそれまで抱えていた不安がどこかへ消えてしまった、と姉は言います。やがて、食も住も支えてくれる仕事が与えられ、借金の問題もあれよあれよと解決していきました。
それまでキリスト教とは無縁だった両親と私も、そのあまりに不思議な姉の体験を聞き、「神様はおられる」と思って、秋田の幕屋に通うようになりました。
私も、バセドウ病を祈りで乗り越えようと願うようになり、姉と共に祈りました。すると、病がいやされたのです。さらに、念願だった2人目の子供も授かることができたんですね。それは、生けるキリストに触れる体験となりました。
けれども、試練はそれだけではありませんでした。いぶりがっこに例えるなら、いよいよ樽に漬け込む工程になります。

燻されて黒くなった大根に味をつけ、30キロもの重石(おもし)をのせて、ぐっと搾っていく。……私もまた同じように、さまざまな感情に揺さぶられて、心に重石がのしかかっていると感じた時がありました。


•炊いた玄米
•ザラメ
•お酢をかける

重石はだんだん軽くする
重石のような日々
私が2人目の妊娠を知ったのは、ちょうど家を新築する話が進んでいたころでした。そのことを義母に伝えると、「家を建てるというのは、人生の一大事です。そんな時に出産するのですか。私は面倒を見られませんよ」と、厳しいことを言われたのです。
新築の家は、設計や建築についての業者との打ち合わせ、不動産の手続きや予算のことに至るまですべて、義母が取り仕切っていました。それで家の中はいつもピリピリと張り詰めた空気があって、とても私の思いを話せるような状況ではありませんでした。
私は産みたい。けれども、義母はそれを許さない。やっと授かった命なのに、どうして……。私の胸は締めつけられました。まるで、あの重石がのしかかっているようで、心がつぶされそうになる日々でした。
姉や両親、そして秋田幕屋の皆さんが、集会ごとに祈ってくださいました。私も、仕事の合間や、わずかな時間を見つけては、トイレや人のいない場所で祈りつづけました。
そんな祈りの中で、秋田幕屋の方がこう言われたのです、「お子さんを産みなさい。私たちも祈っていますから、絶対に大丈夫ですよ」と。
その言葉に、私はキリストの生命を感じたのです。神様は必ず不思議なことをなしてくださる。だから、もう引き下がらない。そう腹をくくりました。
妊娠がわかってから数カ月後、私は覚悟をもって、義母と話し合ったんですね。
新築の家は、いよいよ建築作業が始まろうとしていました。私は、どれほど厳しく叱(しか)られるだろうか、とドキドキしていましたが、「どうか、赤ちゃんを産ませてください」と伝えました。すると義母は、「うん、いいよ。産んでおくれ」と答えたのです。そんなことを言われるとは、夢にも思っていませんでした。
信仰についても反対していた義母でしたが、私が一切に耐えながら、それでも子供が欲しい一心で祈りつづけていた姿に、何かを感じ取ってくれたのかもしれません。
私は、自分の部屋に戻り、神様の導きに泣いて泣いて感謝したことを、今でも忘れることができません。
月日がたって仕上がる
無事に娘が生まれました。そして、その子をいちばんかわいがってくれたのは、ほかならぬ義母だったんですね。私にとって娘の誕生は、祈りによる勝利を体験した、人生の大きな節目だったと思います。
義母が亡くなる前のことでした。「ありがとう」と、私に向かって声をかけてくれたのです。その一言だけで、これまでの苦労が神様によって報われたように感じました。私は感謝と祈りを込めて、義母を天に送ることができました。
私の信仰生活も、40年以上になります。幾度となく試練を通りましたけれど、そのたびに祈りによって乗り越えてくることができました。
いぶりがっこも、一足飛びにはできません。手間と時間をかけ、思いを込めなければ、美味(おい)しくは仕上がらないものです。でも、そうしてでき上がったいぶりがっこには、深い味わいが生まれるんですね。
信仰の味もまた、周りの人の助けや励ましによって、うま味がより増していくのかな、とも思います。
今でも、幕屋がある秋田市まで往復3時間以上かけて電車で通っています。毎週の集会が、私には待ち遠しくてならないんですね。
もちろん集会の後、皆で食卓を囲む時には、自慢のいぶりがっこをお出しして、喜んでもらっています。
これは、あの燻し小屋の煙や、30キロの重石の工程を通って仕上がった、特別な味だと思います。

本記事は、月刊誌『生命の光』879号 “Light of Life” に掲載されています。

