信仰の証し「わたしの詩篇」

三塚和夫

私は16歳で絵を描きはじめ、今、87歳です。昨年、仙台の「新現美術協会展」という展覧会に出品した画家の中で、私が最高齢でした。

この1年、時々肺炎を起こすなど、いつ次の世に移されるかわからない状況になってきた時、「キリストと共に歩んできた感謝を絵にしよう」と思い、『わたしの詩篇』(上写真)という絵を出展しました。

聖書の「詩篇」の多くは神への賛美ですが、中にはサタンの力との戦いを表現しているものもあります。

そういう戦いがあるからこそ、神にすがって祈り、勝利の喜びの賛美が生まれます。この絵では、私の魂が経験しつづけた「負の力の流れ」と「キリストの生命の流れ」を表現しています。「詩篇」こそ、私の生涯そのものなのです。

十字架のキリスト

私は子供のころから絵を描くのが好きで、絵の勉強をしたかったけれど、終戦直後に母が死に、家は貧しくて、私が働かなければ家族は食べていけなかった。それで昼は働きながら、高校も大学も夜学に通い、美術クラブに入って絵を描いたんです。どれだけ働いても貧しくて、生きるのはつらかったですが、絵を描くことが私を支えていました。

大学の夜学に通っていたころから、キリストの絵を描きたいと思うようになりました。私はクリスチャンではなかったけれど、フランスのジョルジュ・ルオーという画家のキリストの絵を見て、惹かれていました。

でも自分はキリストを知らない。それで大学を卒業した後、教会に行ってみた。「もしかしたら、本物のキリストに会えるかもしれない」と思ったのです。

そして3度目の集会で祈っている時です。突然バーッと、私の目の前に十字架にかかったキリストが現れて、私はぶっ倒されて、わんわん泣いてね。それから私は、「十字架の画家になろう」と思って、十字架のキリストばかりを描きはじめました。新聞で「十字架作家」と紹介されたこともあります。

でも、その時代の絵は、暗いですね。もともと私の絵は、色彩も暗かったんです。確かに教会で不思議な体験はありましたが、その暗さは根本的に変わらなかった。教会の子供集会で十字架の絵を見せると、「怖い」と言って逃げていくので、ショックでした。

そのテーマで展覧会に10年くらい出しつづけましたが、見向きもされなかった。私は、芸術家として行き詰まってしまいました。

新生の喜び

そんなころ、教会の友人に誘われて行ったのが、手島郁郎先生の集会でした。その時のショックはすごかったですね。聖霊の世界が、強く私の全身にあふれて感じられるのです。

それは明るく、歓喜あふれる体験でした。それから、私自身も、私の作風も、全く生まれ変わってしまった。『新生』という、この体験の後に初めて描いた絵は、ある展覧会で賞を頂きました。その後、私はいろいろなテーマに挑んできましたが、何を描いても根底が明るくなったのです。

いちばん長く取り組んできたのが、自分の心の中に宿る「光」の部分と「闇」の部分の葛藤(かっとう)を描く、「2つのΚΑΡΔΙΑ(カルディア)」というテーマです。カルディアとはギリシア語で、「心」という意味です。

「2つのΚΑΡΔΙΑ」

聖霊を受けて喜んでいるといっても、キリストに従う自分と、それに反して人間の思いで生きる自分という、2つの自分の間に、いつも戦いがあります。そういう自分の中の二面性という深刻なテーマなのですが、絵の根底は明るいんですね。

ある評論家が、「三塚は何を描いても明るい。明るいというのは、もって生まれたものです」と評してくださったことがあります。その時、「私はキリストによって、根底から生まれ変わったんだ」と、しみじみ感激でした。

芸術は長く、人生は短い

若いころは、芸術家として認められたい、という野心も強かったです。何とかして東京で認められたいと、1987年、1988年と2度、銀座で個展を開きました。仕事もすべて休んでの賭けでしたが、個展を見にきた「モダンアート協会」の人たちから、「ぼくたちと一緒にやりませんか」と誘われ、やがて正会員にもなることができました。うれしかったですね。周りは芸大、美大の出身者がほとんどですが、私は専門的な美術教育を受けていない、サラリーマンをしながらの画家です。だから、必死だったし、闘争心も旺盛でした。 

ところが最近は年を取って、体はボロボロになり、「年を取ると、こんなにも不自由になるのか」と、がっかりするところもありました。

そんな時、『生命の光』800号でアメリカの詩人ロングフェローの「人生の詩篇」が特集されました。第4連の「人生は芸術である」という箇所を手島先生が講じて、「どうか人生を芸術と思って、死後にも香るような生き方をしてください」と語っておられます。それを読んだ時に、「そうだ、次の戦いは、地上で認められるための戦いじゃない。霊の戦いに勝利して次の世界に行きたい!」と腹に力が入ったのです。

そうして、人生最後にキリストへの感謝を作品として残したいと思って一気に描き上げたのが、4枚組の作品『わたしの詩篇』です。それはロングフェローの「人生の詩篇」でもあるし、聖書の「詩篇」でもあります。これは人に認められるための作品でなく、私の中に働く復活の生命の証しです。

しかし、「芸術は長く、人生は短い」という時に、いちばん素晴らしい芸術は、キリストに贖われ、導かれた私の人生そのものです。今は毎日、点滴をしなければ生きられませんが、それよりももっとキリストの生命に渇いて、賛美しながら次の世界に向かっていきたく願います。


本記事は、月刊誌『生命の光』2020年5月号 “Light of Life” に掲載されています。