「A Psalm of Life 人生の詩篇」第1連によせて あなたの理想があなたを決定する【ミニ動画つき】


いちばん辛かった時の自分へ ―難病(CIDP)から立ち上がった青年の心の軌跡

ぼくは、この3月に通信制高校を卒業することができました。卒業式では、壇上までの階段を、一歩一歩杖をついて上り、卒業証書を受け取ることができました。こんな時が来るとは、夢にも思っていませんでした。

そう明るく話すのは、神奈川県平塚市に住んでいる光永紘一郎(こういちろう)さん、19歳です。今から6年前のこと、中学校2年生だった時に突然、CIDP(慢性炎症性脱髄性多発神経炎)という病気を発症しました。神経線維を覆う膜構造が破壊されてしまう難病です。寝たきりとなってしまってから今日までのことを、話してくれました。(編集部)

6年前の夏、部活の野球をやっていて突然倒れ、病院に運ばれました。すぐに元気になると思っていたら、入院することになりました。ご飯も食べられなくなり、手にも足にもどんどん力が入らなくなっていって、ベッドの上で寝返りもできない、スプーンを持つこともできなくなりました。

失われたように見えた希望

検査でCIDPという、10万人に1人の難病だということがわかりました。その時は、何が何だかわからなくって、ベッドの上で「これからどうなっていくんだろう」と思っていました。

それから何年もベッドの上で寝たきりの自分。どんどん気持ちが落ち込んでいって、こんな病気になったのは自分が悪かったからなんじゃないか、だから神様は罰を与えられたんだ、と思うようになりました。

こんな人生なら、早く終わってほしいと、ずっと思っていました。もう、絶望しかないんだ、と。

突然、身体の自由が奪われて、恐ろしかったのですね。いちばん辛かったことは、やはり寝たきりになったことですか?

いえ、それよりも、心が否定的になって、希望がもてなかったことです。誰にも会いたくない、話したくない、声もかけられたくない、こんな自分の姿を見られたくない。

車椅子を押されて家族と外に出かけても、いつも逃げるように人を避けていました。心が荒れて、何カ月か家族とも会話をしない日が続きました。

そんな状況で、暗い表情のぼくを見た病院の先生から、「回復の望みが見えないので、電動車椅子にしたらいい」と勧められたことがありました。

でもなぜだかその時、むらむらと怒りが湧いてきて、ぼくは、はっきり「いやです」と断りました。心の小さな小さな片隅で、「いつか、歩けるようになりたい」と願いが起こったんです。

暗闇のような状況でも、心の中に希望が残されていたのかな。それはどうしてだと思いますか?

なぜだかわかりませんが、今から思うと、自分というよりも、神様が希望をもたせてくださったんだと思います。

それに、友達やいろんな人が、手紙をくれたり、ぼくの好きな野球チームの試合に招待してくれたり、まるで自分のことのようにしてぼくを励まし、祈りつづけてくれました。

それでも、状況の変わらない日が続きました。

心が開けた瞬間から

聖書の信仰をもつ家庭に育った紘一郎さんでも、病状が変わらない日々が長く続くと、辛かったでしょうね。いつ頃、大きな変化が訪れましたか?

去年の8月、ぼくに声をかけてくれる方がいました、「紘一郎君! 希望をもって生きるんだよ」と。

それは、キリストの幕屋の「びわ湖世界聖会」に参加して、最後に会場の玄関にいた時のことでした。

その人は母の親友で、がんの末期でした。ご自分も車椅子に乗っていて、ぼくよりも大変な状況なのに、ぼくを励ましてくれました。その時、「ぼくもこんな人になりたい!」という思いが急に湧いてきて、心がパッと開けたような気がしました。

帰ってきてからは、今まで祈ってくれていたみんなに会いたい、と嬉しい気持ちが湧いてきました。今思えば、あの励ましの言葉は、その1カ月後には亡くなっていかれた、母の友人を通して、神様がぼくにかけてくださった声だったように思います。

そして、杖を使ってリハビリをしていた時です。それまでは足の裏にほとんど感覚がなかったのに、急に地面を蹴る感覚がしたんです。ほんとうにびっくりしました。

それからどんどん回復していって、どこに行くにも車椅子でなければ出かけられなかったのが、自分一人で杖だけで移動できるようになりました。

主治医の先生は、「何があったの?」と驚いていました。また、長年リハビリの担当をしてくれた先生は、何よりもぼくの顔が明るくなったと、涙を流して喜んでくれました。

杖で歩いて学校に行けるようになった時は、ほんとうに嬉しかったです。なんだか世界が広がったような気持ちでした。

立って歩けることがどんなに嬉しいことか、当たり前に生活できることが、どんなに幸せかを知りました。体が強められただけでなく、今は心が上を向いていて、ぼくは生まれ変わったんだな、と実感しています。

神様は罰を与えたんじゃなくて、ぼくの心を強くしてくださったのかな、と思います。

あの頃のぼくへ

すごい! 心が変わって、状況も変化したんですね。もし6年前の自分に会えたとしたら、何を伝えたいですか?

自分の人生は辛いばっかりで、夢も希望も何もない、と思ってベッドで布団をかぶっていたぼくに言いたい、「今は辛いかもしれないけれど、ぜったいに希望は失望に終わらない!」と。

これからも戦いはあると思うし、今でもすぐに疲れてしまうし、人生に不安は全くないとは言えない。

でも、自分の思いどおりにいかなくても、壁があっても、「そうじゃない! 否定ばっかりじゃない! 苦しいばっかりじゃない!」、今は、そう思える自分になった、と伝えたいです。


光永紘一郎さん(19歳)

趣味 野球、サッカー観戦、アニメ観賞
好きなこと 広島カープの応援
ひと言 「ぜったいに希望は失望に終わらない!」これです



本記事は、『生命の光』800号 “Light of Life” に掲載されています。