友を訪ねて「イチゴ畑に託す夢」

松岡達憲・アンナ

高知で県の職員を辞め、イチゴ農家を始めた松岡さんをお訪ねしました。日ざしは強いけれど思ったより寒い南国の1月、イチゴ畑は大忙しでした。(編集部)

松岡達憲 「あまーい!」と、ここでイチゴを食べた子供たちは、無条件に喜んでくれます。

松岡アンナ 今、仙台からここに来てくれた幕屋の若者や、地元の婦人2人と週に3日、収穫をしています。たくさん実るので、2日空けるとちょっと大変。

達憲 それに選別が10種類ぐらい。パック詰めのやり方にもいろいろあるんです。せっかく私がきれいに詰めたと思ったら、農協で習った妻が「これ、だめね」と全部出して詰め直されて、私のプライドはズタズタ。

県庁の農業職だったので、ずっと農業の研究と、農業振興の指導、最後は農業大学校で教えていたけれど、パック詰めではおばちゃんのほうが上ですね。

やるべきことをやって

イチゴ畑を始める前、中学や大学時代の友達、職場の先輩といった身近な人が、若いのに次々と亡くなっていって。私もいつまで元気でいられるのかな、と。

それで家内に、「このまま弱って地上をおさらばするんだったらたまらない。やるべきことをやって天に帰りたい」という気持ちを話しました。

農家になりたいという思いはずっと、実は就職する前からあったんです。でも、やるべきことというのは、それだけではありません。若い時に自分が幕屋で体験したことを次の世代にも、という願いがあるのです。

私は高校2年の時に、『生命の光』に出合いました。人生とは虚(むな)しいな、という気持ちでいろんな教会を巡っていた私に、「神様は生きている」という一言が光のように入ってきて、それがすごい希望となりました。

でも父は宗教に理解がなく、なかなか幕屋に行かせてもらえません。何とか自由に幕屋に行きたいと、親元を離れられる栃木の大学を受験したのです。

大学生になって宇都宮の幕屋を訪ねたら、そこに住んでいた上野さんという方が、「さあ祈りましょう」と言われました。手を合わせて祈ったら、ストーブが近くにあるのかと思うぐらい手が熱くなりました。

それまで聖霊といってもよくわかりませんでしたが、祈り込んでおられる方が一緒に祈ってくださるとこういうことが起きるのかな、という体験をしました。

また当時、幕屋の人たちが働いていた会社があって、毎朝の祈禱会に学生だった私も加えていただきました。その方々は、祈って力を受けて精いっぱい働いておられて、信仰で生きる喜びが現れていました。生き生きとしたその姿が、ものすごく輝いていました。

「私、農業やりたいんです!」

あのような、何もわからない者にも祈りの感化が及ぶ世界、また信仰で仕事をする場を次の世代につなげていきたい、と家内に言ったら、賛成してくれたんです。それで、まだ大学生の子供がいるので私は仕事を続け、家内がパートを辞めて飛び込みで農協に行きました、「私、農業やりたいんです!」と。

アンナ 行ったら、貯金がいくらあるかとか家族構成とか、いろいろ聞かれて。その時は、夫は県の公務員ですとは言ったけれど、農業職とは言いませんでした。

主人から「それを言うな。県民のために奉仕するのが公務員だから、立場を利用して、何か有利になるようなことがあってはいけない」と言われていたので。

それで周りからは、この人、農業の経験はないし、体力もないだろうし、子供はまだ大学生だし、続かないだろうと思われていました。

達憲 最初は家の庭の狭い所に、まっすぐのパイプを人力で曲げて、穴を掘って組み立てるという、原始的なビニールハウスを建てて、休日や仕事の後にイチゴ作りを始めたんです。そうしたら親しい方が、親戚の使っていないビニールハウスをどうか、というお話を下さいました。そのうちに、どうやら本気だということが浸透していって、農協の方の紹介で普通のイチゴ農家並みの面積のハウスを譲っていただくことができたんです。これはめったにない話だ、と思いました。

そうしているうち、手が回らずに失敗することもあって、とても片手間ではできなくなり、思い切って定年より早く公務員を辞めました。それでも大忙しです。

ビニールハウスの中でイチゴの箱詰め。きれいに並べるのが難しい。

それでは意味がない

実は、高知県といったらナス、ピーマン、キュウリ、ミョウガなど、みんなそれで生計を立ててやっているんです。イチゴは、高知ではマイナーな品目で、それに、苗作りが大変だし、炭疽病(たんそびょう)という病気がはやって大被害が出て、多くの農家が生産をやめました。

でも、取れてすぐに食べる地産地消がいちばんおいしくて、みんな欲しいんです。地元の需要にもこたえられないほど衰退していっている現状で、大変なところを底上げできないかな、高知県に恩返ししたい、と。

それに、もし女子青年が働いてくれるとすれば、イチゴはケーキやお菓子など、いろんな可能性があるし。

アンナ 主人は、絶対に困難な方に行きますね。実際にやってみて、どれだけ大変かわかりました。

達憲 最初の年は、炭疽病で7割もの苗が枯れてしまいました。次は絶対に失敗できないですよね。それで、天を仰いで知恵を乞(こ)い求めました。その結果、今回も枯れはしたけれど、1割ぐらいで済んだんです。

取れたての大粒イチゴはとても甘い。

栽培のほうはおかげさまでうまくいって、収穫が多いというのはうれしい悲鳴です。でも、ただ農業で夫婦がある程度生活できるというのだったら、それはもう全然、自分たちの意図とは反することです。

神様が生きておられることを、その力を通して体験するこの信仰は自分にとって、やっと巡り合った最高の価値です。だから、まだまだですが、かつて宇都宮の幕屋で上野さんと祈った時に経験した、あのような祈りの感化が及ぶこと。そして、溌剌(はつらつ)とした生命にあふれて、信仰をもって勝利する。そういうことを目指して、1人でも2人でも若い人と一緒に働きたい。そうでなかったら、私たちの存在意義はないですので。

後々の大きな祝福

私の決定的な回心は、大学生で出た聖会でのこと。祈っていたら、あの時もこの時も神様は見ていてくださった、自分以上に私のことをご存じで、いつも慮(おもんぱか)ってくださっているということが、ビンビン響いてきましてね。どんなことがあったとしても、天においてあの愛の眼差(まなざ)しがあるから大丈夫なんだ。この神様のためだったら、地上で恵まれるよりも、苦労したほうが後々どれほど大きな祝福なんだろう。そんな価値観が、全く思ってもみない感情がわいてきました。

だから、極端な話ですけれど、私が生きているうちにならなくてもいいと思うんですよ。いつか、若者たちが育っていく場所になれば、と願っています。

毎朝、『生命の光』の手島郁郎先生の聖書講話を、皆で読んで祈っています。1月号の「あこがれが、希望が、私たちをそのごとくにする」という講話は、今の自分たちにピッタリで、心を一つにできてうれしいですね。

長年、県で農業職を勤め、経営効率のいい作物が何かよくわかっていながら、あえて大変なイチゴを選んだ理由。それは、地元への恩返しであり、次の世代の若者のため、と熱く語る松岡さんに、深く祈っている方らしい、世の価値観とは違う心を感じました。


本記事は、月刊誌『生命の光』843号 “Light of Life” に掲載されています。