若いひとの声「朝と共に喜びが来た!」
聖地で見つけた宝

聖地で考古学を学んでいたころの桑山さん
桑山 天(たかし)

イスラエルの考古学に興味をもったのは、高校2年生の時に参加した、幕屋の高校生イスラエル研修ツアーがきっかけでした。

ある遺跡で発掘体験をしました。皆で宝探しをするように夢中になって掘っていると、陶器のカケラや釘(くぎ)などがザクザクと出てきます。

ガイドの方から、一つひとつが今から2000年以上前、聖書時代のものだと聞いて、すごく驚きました。

それまで、聖書って「浦島太郎」みたいなおとぎ話だと思っていたんです。でも実際に聖書時代の物に触れた時、聖書の話ってほんとうにあったことなんだ! と感じたんです。

また共に生活し、祈り合いながら各分野の大学で学ぶ、幕屋留学生の姿にあこがれました。「ぼくも、大学で考古学を勉強したい」と留学を願い、20歳でイスラエルに出発しました。

大学に挫折(ざせつ)して

最初の2年間は、大学に入るために必死にヘブライ語を勉強しました。そして、エルサレムのヘブライ大学に合格することができたんです。

夢に見た大学の授業は面白くてしかたありませんでした。古代の遺跡を見学したり、イスラエルの歴史を詳しく学んだり……。毎日ワクワクしながら大学に通っていました。

でも、内容が専門的になるにつれ、ついていくのが大変になってきました。時には、先生が何について話しているかもわからないんです。2年目には、必修科目の試験を落としてしまいました。その試験が通らないと、大学を続けることができません。

先生に直談判しましたが、結果は変わりませんでした。帰国することが決まり、頭が真っ白になりました。

その夜、幕屋留学生の寮に帰って、部屋のベッドに倒れ込みました。「何のために一生懸命頑張ってきたんだ。こんな形で留学が終わるのか」と思うと情けなくて、悔しくて、涙がとめどなくあふれてきます。

留学生の仲間や、高い学費を出して応援してくれた両親に申し訳なくて、しばらく言い出せませんでした。

エルサレム幕屋の先輩に相談すると、「落ち込んだ気持ちのまま帰国してもらいたくない。本気で祈って突破してほしい」と言われました。

帰国までの日々、毎朝聖書の詩篇を読んで祈りました。でも、なかなか心は上を向きませんでした。

響いてきた聖句

悶々(もんもん)としていた時、留学生の友人と共に、モーセが神に召命された、シナイ山に出かけました。

深夜、麓(ふもと)から登りはじめて3時間、険しい山道を「神様、神様」と祈る思いで、ひたすら歩きつづけました。

ようやく山頂にたどり着くと、空が白みはじめていました。地平線を眺めていて、朝日の光がパッとさし込んできた、その瞬間でした、「夜はよもすがら泣きかなしんでも、朝と共に喜びが来る」(詩篇30篇)という聖句が胸に響いてきたのです。暗やみにあった私の心にも、キリストの光がさし込んでくるようでした。

聖地シナイ山頂から見た朝日
シナイ山頂から見た朝日

「どんなに暗い道でも、神様と共に歩めば必ず喜びが来るんだ」という確信が与えられました。すると、沈んでいた心がガラッと変わって、「今日まで導いてくださった神様、ありがとうございます」という感謝と喜びがわき上がってきたんです。

その体験があったから、上を向いて日本に帰ることができました。

今は、都内の建設現場で日雇いのアルバイトをしながら、就職活動をしています。現場で出た土砂をひたすら運ぶ仕事ですから、体力的にはきついです。また就活がうまくいかない時は、将来への不安や留学での失敗を悔やむ気持ちもわいてきます。

でもそんな時、シナイ山で見た光景を胸に祈ると、力が出るんです。

イスラエル留学に行ってよかった、今は心からそう思えます。


本記事は、月刊誌『生命の光』850号 “Light of Life” に掲載されています。

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