信仰の証し「湧いてくる『愛』がある」
― 企業戦士がキリストを伝える者に ―

バリバリの企業戦士だった苔口さん
苔口貞夫

役員会議が終わって、家内に電話しました。

「おい、どうやらボクはもうクビみたい」

そしたら、家内、何と言ったと思います?

「お父さん、よかったわねー。これで、仕事だけに夢中ってこと、なくなるわね!」

そのころ、私はある大手企業の食品開発部門の取締役をしていました。「ノンフライ麺」という画期的な商品を開発し、会社の経営危機を救い、「社長賞」まで頂きました。実は当時、私は社長のイスを狙っていたんです。若いころからもっていたキリストの信仰を忘れたわけではなかったんですが、ヒット商品を次々開発し、日曜集会もそっちのけでやっていました。

そんな時、大問題が起きました。下請けの工場が、ラーメンの麺が入ったカップに間違ってうどんの粉末スープを入れて、出荷したんです。それが新聞に出て、マスコミで騒がれ、大変なことになった。役員会議が開かれ、ほかの部門から、「うちの社名に傷がついた。どうしてくれるんだ!」と責め立てられました。社長も怒ってしまって「責任取れ!」と。結果的には事後処理をして、辞表を提出することもなく仕事は続けられました。けれども、これは「第一のものを第一として生きよ」との神様の警告だったんだと思います。

定年を迎えるころ、一つの疑問が湧(わ)いてきました。今まで、「娑婆(しゃば)」の世界にどっぷり浸(つ)かって生きてきた。苦しいところを、神様に祈って助けられてきた。それなりの成果もあった。でも私の人生、このままでいいんだろうか、と。

目に見える成果を喜ぶのでなく、もっと筋の通った信仰、霊的な信仰を身につけたい。それと、私は人に対して好き嫌いが激しく、人を見て判断し、行動する癖がありました。それで、もっと爽(さわ)やかで、愛のある人間に変わりたい。悩んでいる人、苦しんでいる人に、当たり前の幸せを与えられるような人間になりたい。二度とない人生だから。

出雲で伝道

そのあこがれが次第に心の渇きとなり、キリスト聖書塾の近くに移り住んで信仰を学ばせていただきたい、と願い出ました。最低でも1年間は学びたいと思っていましたが、3カ月くらいたった時、「出雲(いずも)に伝道に行ってくれないか」と声をかけられたんです。

これから信仰を学ぼうとしていた矢先でしたから、「自分のような者が……」と躊躇(ちゅうちょ)する思いもありました。けれども、「これは天の声だ」と思い、家内と共に出雲に出かけました。

行くに当たって、ある信仰の先輩からアドバイスを頂きました、「とにかく、毎日3時間は祈れ。1時間は自分の信仰のメンテナンスのため。2時間祈ったら周囲の人が喜びだす。3時間祈ったら奇跡が起きる」と。私はそれを信じて、徹底的にやりました。

悩みを抱えている人たちの名を呼んでは、毎朝執り成しの祈りをしたんです。そして、地元の幕屋の方と一緒に、毎日のように人を訪ねて伝道しました。伝道といっても、何か特別なことをしたわけではありません。訪ねた方のお話を、まずお聴きしました。最初は出雲弁がわからず、まるで外国に来たみたいでした。でも、一緒に行った方に”通訳”してもらいながら、とにかく相手のお話を全部聴く。そして、最後には必ず祈る。それしかしなかったです。

ところが、不思議なことが起こりはじめました。

たとえばある時、入院中の方をお訪ねしたことがあります。見ると、片足が壊疽(えそ)を起こして、腐って真っ黒になっている。正直「怖い」と思いました。ところが、「祈れ」と天から指示があった。それで、患部に手を按(お)いて祈り、「絶対いやされますから、これからも祈っていきましょう」と思わず言ってしまいました。

医者は、その足を切断しなければならないと言っていたんです。ところが、日を追うごとに患部が白くなり、手術は延期。1年半後には、完全にいやされてしまいました。このことを通して、ご本人だけでなく、ご家族がこの信仰で生きるようになられました。

また、統合失調症で苦しむある婦人のために、出雲の教友たちと毎朝、必死に祈ったことがあります。すると3カ月たったら、医者もびっくりするほど元気になられて、仕事にも就くことができたんです。ご自分で焼いた手作りのお菓子を持って、出雲幕屋に感謝に来られた時は、涙が出るほどうれしかったですね。

人生最大の贈り物

出雲での5年間を通して、私は人生最大の贈り物を頂きました。それは、キリストの愛。悩んでいる人々に、ものすごい愛が湧いてくる。自分で湧かすんじゃなくて、湧いてくるんです。

その背後には、家内の助けがありました。私たちが出雲幕屋の皆さんに最初にお会いした時、家内は開口一番、「主人は平信徒ですので、絶対『先生』と呼ばないでください。皆さんと一緒にやらせてください」と言ったんです。それは、私たちは人の上に立って何かをするんではなくて、人々にお仕えするんだ、との決意表明だったんですね。家内は、心にかかるお一人おひとりのために陰で心の底から祈り、幕屋に来られる方々を、いつも美味(おい)しい料理でもてなしていました。

東京に帰って2年後、家内は突然、天に帰っていきました。もともと体が弱かったせいもあるのかもしれません。でも、出雲で人々に精いっぱいお仕えして、すべてのエネルギーを使い果たしたんだと思います。家内がいなかったら私、変われなかったなあ……。

人間、どんなにこの世で栄えても、やがて肉の身は滅んでいく。そして何も残らない。でも、神様に贖われた魂は、この愛の中で生きつづけることができる。

キリストの言われる「永遠の生命」というものが、私たちの中に芽生えてくる。だから、私たちは次の世界にも喜んで進んでいける。それが、私が今、リアルに感じていることです。

(埼玉県在住)


本記事は、月刊誌『生命の光』851号 “Light of Life” に掲載されています。