信仰の証し「天国のような施設を作りたい」

河原聖彌(きよみ)

1978年生まれ(42歳)。
女の子3人の父。趣味は野球観戦。横浜市在住。


老人介護施設での仕事に就いて、もう18年になります。私がこの仕事を始めたころは、男性で介護の仕事をしている人は、まだ少数でした。

高校卒業後、あこがれて自衛隊に入ったのですが、4年後の昇任試験に受からず、やむなく退職しました。

その後、建設会社に勤めました。高校が土木科だったので、いきなり工事現場の監督の仕事を任せられました。でも親のような年齢の職人さんたち相手に指示を出しても、「若造が何言ってんだ」みたいな雰囲気でした。心身をすり減らし、精神的に参って、とうとう1年半で職場から黙って逃げ出してしまったんです。

神奈川の実家に帰って、希望もなくニートのような生活をしていた時、父が知人の家庭集会に連れていってくれました。それが幕屋に集うきっかけで、それ以来、時々集会に出るようになりました。

そのころ、介護の仕事をしていた兄の誘いでこの仕事を始めましたが、ケアマネジャーの資格も取り、今はこの仕事が好きで、やりがいを感じています。

●白い光に包まれて

現在は特別養護老人ホームに勤めていますが、最初は高齢者向け病院での介護でした。そこではお世話をしている方が、毎週のように亡くなっていかれます。そんな現場にいると、「人間は死んだらその先はどうなるのか」という問いがありました。幕屋に行けば、何かその答えがありそうな気がしていたんです。

当時の私は、信仰といってもまだよくわからなくて、日曜日の集会には出たり出なかったりでした。でも、年に一度の幕屋の全国青年集会には集っていました。11年前、長崎で行なわれた青年集会でのことです。ほかの青年たちは信仰に熱く燃えているのに、私はまだ回心していなくて、どうしたら皆のような姿に変われるのだろうかと思っていました。

一夜をかけて祈る集会で、「私もキリストの生命で生きる者にしてください!」と祈っていると突然、周りがバーッと白く輝いたんです。光に包まれた時、私はまるで赤ちゃんになったような気持ちになり、それまでにない体験をしました。その時、「これが聞いていた、神様と出会う体験なんだ」と感じました。

この時以来、信仰で生きていく心が定まりました。集会から帰ると、「あなた変わったね」と、自分が感じるよりも、家族や職場の人たちから言われるほどで、以前よりポジティブな性格に変わっていました。

そして、その秋には同じ信仰をもつ家内と結婚し、夫婦で共に祈る生活が始まりました。

●神様が選んでくださった子供

以前の私は、困難にぶつかるとすぐ逃げ出すような弱い人間でした。でも今は、職場でも家庭でも次々と起こる問題の一つひとつが神様から与えられた課題だと思えて、祈って天の導きを求めるようになりました。

今年の春、小学校に上がった次女の祥代(さちよ)は、障害をもって生まれてきました。骨の病気と知的障害があり、言葉も話せません。初めは将来への不安があり、私たち夫婦の気持ちは落ち込みがちでした。でもある時の集会で、神様から「これは神の御業が現れるため」と示され、私たちの心は強められ、引き上げられました。

それでも、親としてできることは何でもしてやろうと手を尽くし、セカンドオピニオンをもらったりして、もがいた時期もありました。そんな時、祈っていると、神様が私たちを選んでくださったように、娘もきっと神様が私たちのもとに、選んで送ってくださったんだという思いが、強く迫ってきたんです。

そのことがわかった瞬間に、おたおたすることがなくなりました。むしろ、「祥代はこういう個性をもった子なんです」と、周りの人たちにも抵抗なく話せるようになりました。

祥代は不思議な子で、いろいろと怒りたくなるような大変なことが起こっても、この子が笑うとその場の雰囲気がパッと変わるんです。「さっちゃんが笑っているから、もういいか」ってなる。その笑顔を見ているだけで、周りの者がいやされるんです。

障害のため祥代の顔はちょっと特徴的なので、公園に行くとほかの子供たちが、その顔のことをストレートに言ってくるんです。でも私はその子たちに、「ねっ、1回で覚えたでしょ。この子の名前は”さっちゃん”っていうんだよ。よろしくね!」と言えるんです。

私も娘も神様に愛されている、ということを知らなかったなら、こうは言えなかったと思います。

●私の夢は

私には一つの夢があります。それは賀川豊彦先生(※注)の絵を見た時にわいてきたんです。イエス様が幼児(おさなご)に手を差し伸べておられる絵ですが、それに天国のような温かい雰囲気があるのを感じて、その絵のような施設を作りたい、と。

高齢者の人たちと子供たちが一緒に交流できる場所。また、祥代のように障害がある子も、いろんな病気や精神障害で苦しんでいる人たちも、そのつらさを感じない場所。この世で生きづらさを感じているどんな人がやって来ても、すべての壁が取り払われて、「ここにいると、まるで天国のようだね」と、皆が感じられるような施設を作りたいんです。

まだ全く具体的じゃないし、介護や障害者のこと、施設運営のことなど、これからなお勉強しなければいけません。でも夢がわくんです。実際はとても大変なことだと思いますが、神様の生命を知っているならできないことじゃない、と思っています。

(※注)賀川豊彦:大正・昭和期のキリスト教伝道者、社会運動家。

本記事は、月刊誌『生命の光』819号 “Light of Life” に掲載されています。