信仰の証し「いま、御言葉で生きる」

神南一宇(かんないちう)

内装業で独立して、11年になります。コロナ禍にあっても途切れることなく仕事があるのは、ありがたいことだと思います。

「われ、導く」

去年、内装だけでなく、家の間取りから何から一新する、リノベーションの仕事の話を頂いて、引き受けました。私は内装職人でしかないので、私が手配して大工さんやほかの職人さんなどに手伝ってもらわなければできない、大きな仕事です。

でも、フタを開けてみたら、どう考えても収支が合いそうにありません。どうも、ほかの人が断った仕事が、私のところに回ってきたようなんです。

しまった、引き受けるんじゃなかった、と後悔しました。事業をしているのに、採算の合わない、赤字が出る仕事だなんて、こんなことやっていてどうなるんだと、頭を抱えました。

けれども、「神様、どうなんでしょう」という思いで、必死に天に向かって祈っていたら、「われ、導く」という声を聴いたんです。驚きました。でもその声を聴いたら、不安でいっぱいだった私の心が変わりました。

毎日その現場に出ていましたが、それからは、愚痴ばっかり言っていた大工さんに会っても、「ああ、神様が遣わしてくださった人なんだ」と思えるんです。心が転換したら、現場が明るく見えました。

すると、私が手配しているのですが、だれか違う人がその前に段取りをしているんじゃないかと思うぐらい、いろんな部分がちょうどいい具合にかみ合いはじめました。

まだつきあいの浅い職人さんが、「ほかの現場もあるけれど、この仕事を優先して、神南さんを大いに助けますよ」と言ってくださって、現場が一丸となったんです。

すべてがうまくいくようになって、年末、元請け業者さんの最終的な検査を受け、納めることができました。

そうして、材料費や職人さんへの支払いなどを差し引いた最終的な収支を計算してみたら、なんとプラスだったのです。私は神様に心から感謝しました。

祈りは覚えられていた

私が独立したのは、自分で計画したわけでは全くありません。ある事情でしかたなしに急遽、決断して、道具や車、名刺などの一切を1週間ぐらいで整えたんです。

でもずっと前、高校生のころに、幕屋の信仰をもって事業をされている方々が、「祈っていたら、こんなに不思議なことがあって、仕事上の困難を乗り越えることができたんだ」と話されるのを聞いていました。それで、事業が何なのかもわからず、「事業を起こさせてください」と何度も紙に書いて、神様に祈っていたことがあります。

そのことがよみがえってきて、神様はあの祈りを覚えていてくださったのだと知りました。

いちばん影響を受けたのは、私が社会人になってからお会いした、弓削田隆一さんという方です。日本航空に長年勤めた後、全く畑違いの繊維製品の販売業を起こされた方でした。信仰を同じくする若い人たちを雇って共に働きながら、実生活を信仰で生きることを、身をもって伝えておられました。

非常に具体的で、仕事の上でも、「神様にこう示された」と言って即実行されます。だれかにキリストを伝えることにおいても、とても行動的なんです。また、稼いだお金を神様のため、人のために使うことを、実際に見せてくださいました。何ともいえない豊かさと祈りの雰囲気を感じました。

故・弓削田隆一さんと

過去の話はあまりされず、聖書の言葉、また天からの霊感でどう生きているかと、”今”を問題にされました。車を運転していても、赤信号を見ては、「ああ、あの赤はキリストの御血汐(おんちしお)だ!」と言われるんです。それは、キリストが十字架上で流された尊い血があってこそ、聖霊を注がれて救われた自分があるということを、日々感じておられたからでした。

私は20歳の時、全国の幕屋の青年が集まる会に行きました。そこで祈っていたら、突然、まばゆいキリストがバッと現れました。その衝撃はすごかったです。

それまでも神様に祈っていましたが、そのころは環境の変化に戸惑ったり、生き方に迷ったりしてどうしようもない状況だったんです。それがありありとした出会いを通して、尊いキリストの血が流されたからこそ私があることがわかったのです。「ああ! 御血汐」と絶句してキリストへの慕情が突き上げてくることが、私の中に始まりました。そうしたら、それまでの行き詰まりなど問題でなくなっていました。

だから、弓削田さんが赤信号を見ても、「十字架の御血汐!」と霊感的に言われることが、私にはわかる気がするのです。

人を抱えてみると

気がつけば私も、信仰を同じくする若い人を雇い、一緒に仕事をするようになっていました。

人を抱えてみると、いろいろと教えられます。厳しく指導するだけでは人はついて来ません。そして、祈って神様に聞きながら自分の力以上の仕事をさせられている私の姿も、もう一方の、お酒が好きで俗っぽい部分も、自分の表も裏も見られているな、と思います。

でも、やりたいことが何も見つけられなかった青年が、「この仕事は自分に向いている。ぜひ身につけたいです」と、やる気満々で働いてくれているんです。子がいないと親になれないように、弟子がいないと師匠になれない、といいます。接しながら、私のほうが変えられてきています。

私は、親方として技術を授けるだけではなく、信仰をもって実生活を生きることを伝える者でありたい、と願っています。

そして、何ともいえない豊かさと祈りが、言葉にせずともしみ透っていく、そうやってキリストを伝えられるような、いつかそんな姿になりたいです。

「われ、導く」という声は今も胸に響いています。(東京都在住)


神南一宇(45歳)
趣味はデパ地下でのお土産探し。日ごろのリサーチで訪問先の方を喜ばせている。現在、2人目の弟子の青木さん(写真右)を熱血指導中。


本記事は、月刊誌『生命の光』826号 “Light of Life” に掲載されています。

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