信仰の証し「最善の未来が待っている」
―病をもった私が、イスラエルへ留学に―

石橋ゆづり

日系アメリカ2世の石橋ゆづりさんは、持病を抱えながらも思い切ってイスラエルへ留学しました。日本の幕屋から来た留学生の仲間と共に祈り、勉強する中で発見をしたことについてお聞きしました。(編集部)

私は子供のころ、柔道を習っていました。筋がいいと言われて、大会に出たら優勝して、州の代表に選ばれ、全米大会に出場することになりました。

ところが直前になって、突然、てんかんの発作が起きて倒れたんです。病気は私からすべてを奪いました。外を一人で歩くのもだめ、自転車に乗るのもだめって、楽しいことが何一つできなくなりました。

発作が起きて意識がなくなり、目を覚ますと、母や姉たちが心配そうな顔をして、「大丈夫?」と。その時の何ともいえない表情を見るのが、毎回つらくて……。

みんなは、「ゆづりが悪いわけじゃない」って言うけれど、時には私のせいで、姉たちが友達と遊ぶ約束をしていても行けなくなるし、家族に心配をかけているのが自分だと思うと、罪悪感が膨らんでいきます。

この現実を受け止めるのに、時間がかかりました。

転機となったのは、ハイスクールの時、日本の幕屋の女子高校生たちと一緒に、ハワイ諸島の一つ、モロカイ島に行き、ダミエン神父について学んだことです。

病気が勲章

ダミエン神父は、150年前、志願してハンセン病患者の隔離地となっていたモロカイ島に行って、世から見捨てられ、ただ死を待つ人たちのために尽くした方です。

現地を訪れた時、ガイドをしてくれた人が、「ダミエンは、自分もハンセン病になったことを知った時、これでほんとうにハンセン病患者の気持ちがわかる、ハンセン病は神様から頂いた勲章だ、と喜んだ」と言われました。

それまで私は、自分の病気のことで苦しんできましたが、「病気が勲章だ」と聞いた時にとてもびっくりして、「ああ、私の病気も神様から頂いた勲章なんだ」と思えたんです。初めて、自分に持病があることを受け入れることができました。

それから私は、がらっと変わりました。病気におびえるんじゃなくて、病気と共に生きていこう、キリストに祈りながら信仰で突破していこう、何が待っているかわからない未来に向かってチャレンジしてみたい、と。モロカイ島が新しい出発点になりました。

モロカイ島を訪ねた当時のゆづりさんと、女子高校生のグループ。ダミエン神父が生きた舞台を、崖(がけ)の上から望む。

チャレンジしよう

最初のチャレンジは、医療関係の仕事に就いて人を助けたいと願い、レントゲン技師になることでした。専門学校に入るのは、すごく難しいといわれていました。

暗記が苦手な私は、人一倍努力しました。そして、奇跡的に合格できたんです。学校の先生がたも私の病気を受け入れてくださって、発作が起きても冷静に対処してくださいました。

でも卒業1カ月前の実習の時も、発作が起きてしまいました。もう1年やり直さなければいけないと思いましたが、「あなたのスキルや患者さんと対話するようすを見ると、絶対に卒業できる」と先生がたが励ましてくださいました。

そうして卒業し、クリニックで4年間、レントゲン技師として働くことができて、楽しかったです。

神様に結ばれた友情

もう一つのチャレンジは、イスラエル留学でした。イスラエルにあるキブツ(共同村)の一つ、ヘフチバでは、60年も前から幕屋の留学生を受け入れて、働きながらヘブライ語を学ぶ機会を与えてくださっています。

私は5年前に留学を志していましたが、出発する1週間前、父ががんで倒れ、留学を断念しました。

父の召天後、幕屋の皆さんが押し出してくださって、一昨年、再び留学を願いました。

コロナの感染拡大で、海外への渡航が難しい時期でしたが、不思議に道が開け、イスラエルに入国できたのです。先に到着していた日本からの留学生とも、感激の中、合流できました。

これから旧約聖書の原語のヘブライ語を学ぶことができる。それに聖書の舞台・イスラエルの各地をみんなと一緒に旅して聖地を実感できると思ったら、期待で胸が膨らみました。

留学生の仲間に支えられて

ところが環境の変化からか、私は着いた日から毎日、発作を起こしてしまいました。初めて見る人もびっくりして怖いでしょうし、そういう姿を見せてしまう私もつらかったです。それでも仲間たちは、そんな私を心を込めて介抱し、生活できるように助けてくれました。

それまで私は、自分は努力の人だと思ってきました。けれども、自分の頑張りではどうしようもない、ただ留学生みんなの愛にゆだねるしかなかったんですね。

その時みんなが、「ゆづりさん、一人で頑張らないで、私たちを頼ってください。気を遣わないでください」と言うんです。

今まで家族に心配をかけつづけてきた私は、どうしたら迷惑をかけないかを考えて生きてきました。ですから、私は人に甘えることに慣れていなかったのです。

みんな自分のことで精いっぱいだろうのに、私のいないところで、どうしたらゆづりさんにとっていちばんいい留学になるか、と話し合ってくれていました。私がやっと歩けるようになって、久しぶりにヘブライ語教室の授業に出られた時、みんなが「今日はゆづりさんと一緒に勉強できることがうれしい」と言って、自分のことのように喜んでくれました。

こんなに愛を受けながらも、私はみんなに何もしてあげられない。けれども、みんなのために祈ることはできる。祈り合った留学生たちとは、普通の友達や家族と違う絆(きずな)、お互いの愛に身をゆだねられるような絆が生まれました。

3カ月という短い留学で、ヘブライ語の学びも十分にはできませんでしたし、イスラエル各地をみんなと一緒に旅することも、ほとんどできませんでした。けれども、神様に結ばれた、何ものにも勝る友情、愛を知ることができました。また、キリストにすべてをゆだねて生きることの大切さも知りました。

イスラエル留学は、私の人生にとってかけがえのない体験でした。

(アメリカ・カークランド市在住)


本記事は、月刊誌『生命の光』839号 “Light of Life” に掲載されています。

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