信仰の証し「憎しみはやがて祈りに」

岩田邦子
2月23日は私にとって、とても大切な日です。それは、ようやく授かった新しい命を流産した日でした。まだ形もはっきりしないほど月の浅いころでしたけれど、宿した子を失った悲しみは深く残りました。
この日が来るたびに心が沈んでいましたが、ある年、偶然にも幕屋の集会がその日と重なり、私は流産した子を想いながら祈りました。すると、ものすごい喜びが心に満ちあふれてきたのです。重い足取りで向かったはずの集会でしたが、帰りは坂道をスキップしてしまうほどの歓喜に包まれていました。
私は、地上では子を生むことはありませんでしたけれど、天で成長しているわが子の姿が目に浮かんできた時、不思議と涙は消えていました。
人間の力では解決できない問題も、天では覚えられ、執り成してくださる。キリストへの信仰に生きる中で、私はそれが確信となる経験をしてきました。
つらく、孤独だった者を
私は幼いころから、酒に溺(おぼ)れる父が大嫌いでした。
父は酒に酔うと暴れ、家族を怒鳴りつけ、延々と説教をするのです。それでも、父にはだれも逆らえないので、事が収まるまで耐えるしかありませんでした。
私は結婚して実家を出ましたが、今度は夫の家族との軋轢(あつれき)に苦しみました。なかなか子供を授からなかったこともあって、関係は悪化。流産したことがわかった後は、出ていけと言わんばかりの無神経な言葉を何度も浴びせられ、とてもつらかったです。
それが10年ほど続いていたころ、ある自然療法研究家が書かれた本を手にしました。そこには「運命は変わる」という一文が載っていたのです。私はその言葉に惹(ひ)かれて、「私の暗い運命を変えたいです」と書いた手紙を、その方に送りました。
後日、『生命の光』誌と一緒に返事を頂きました。そこには「片付かない重荷を背負っているようですね。ふらふらした心で生きるのではなく、一筋の道を目指して歩みなさい」と書いてありました。
私はすぐに山形市内にある幕屋へ電話をして、次の日曜日には集会に参加しました。
集会室に入って座った途端、涙がポロポロとこぼれてきたんです。それまで私を理解してくれる人なんてだれもいないと思い、ずっと孤独でした。でもその場で、私の嘆きや悲しみをすべて知りながら、なお愛してくださるお方がおられる。そう感じたら、泣けて泣けてしかたがなかったのです。
すべてを神様に頼って生きていけば、運命は変わる。そう信じられるようになり、うれしくて毎週、幕屋の集会へ通うようになりました。
魂は天の光が射す方へ
長年、酒乱の父に耐えてきた母のことは、絶えず祈りに覚えてきました。そして亡くなる半年前、私は母を自宅に引き取り、看病しながら一緒に過ごしました。
その時まで母は、父の暴力による怪我の診断書をもっていたほど、父への恨みつらみで心がいっぱいでした。それでも、天の慰めが覆うようにと、私は毎日、賛美歌を歌い、祈りつづけました。そんな日々の中で、母が一言、「お父さんを許す」と言ったのです。
その翌日、母は突然、両手を天に伸ばし、目をパッと見開いて、これまで見たことがないほどの喜びに満ちあふれた表情を浮かべました。私はその姿を見て、母の魂が大勢の天使たちに迎えられながら、神様の御許(みもと)へと上がっていくのを感じました。
母は苦労の多い人生を通ってきたな、と思います。けれども神様は、母が流した涙の一粒さえもご存じで、愛と喜びの世界へと移し替えてくださいました。そのことに感謝が込み上げてならなかったです。
私がキリストの生命に触れてからは、あれほど憎んでいた父にも、違う思いがわいてきたんですね。私には残忍な人に見えても、神様の目にはどのように映っているのだろう、と意識するようになりました。
小さいころ、養子としてもらわれてきたり、戦争を経験したりと、父もつらいところを通ってきました。そんな父のために祈りたい、キリストの御愛を伝えたいと思うようになり、一緒に幕屋の聖会にも参加しました。
父にキリストのあわれみが注がれてほしいと願った時から、私の中にあった憎しみは祈りへと変わりました。
母の召天から2年後、父にも最期の時が訪れました。息を引き取る間際、「お父さん、お別れですね」と声をかけると、父は死の恐怖からか、首を横に振るんです。でも「天の光の方へまっすぐに行ってください」と私が語り、祈りつづけると、父の顔が驚くほど穏やかになりました。そして、静かに頷(うなず)きました。
その表情に、私は、「父も神様に愛された一人だったんだ」と深く心に迫ってきました。
不思議なことに、父はその時、子供夫婦や孫に囲まれていました。だれからも慕われず、地獄に落ちてもおかしくないような父だったのに、神様が最期の時を飾り、天へと迎え入れてくださったのだと思います。
愛する者に変えられて
私は、義父母にも心から仕え、感謝の気持ちをもって天へ送ることができました。
実は、長く続いた義母の介護に、疲れ果ててしまったことがありました。その時の私は、嘆くようにしか祈れませんでした。それでも、祈りつづけていると、「おまえがやるんだ」という御声が響いてきたのです。「はい」と答えた瞬間、私の中にあった重く固い憎しみの塊は、解かされるように消えていきました。それからは、疲れなど感じることはありませんでした。
許し難いことさえ赦(ゆる)す神様の御愛がある。かつては恨む心を抱えていた私が、こんなにも愛がわき、尽くせる者へと変えられるとは。
神様が執り成し、私をこのように変えてくださったことに、感謝があふれてなりません。
本記事は、月刊誌『生命の光』867号 “Light of Life” に掲載されています。