エッセイ「空梅雨のでんでん虫のように」
小林美幸
梅雨とは名前ばかりの空梅雨(からつゆ)にどこですごしたでんでん虫よ
これは昨年、私が初めて作った短歌です。梅雨なのに日照りが続いたある日、庭先の乾いた土の上を1匹のでんでん虫が這(は)っていました。

それを見た時、神様に守られて歩んできた私の人生と重なるように思われたのです。
私が3歳、弟が1歳の時、離婚した父のもとに来てくれたのが、幕屋の信仰をもつ母でした。
父は、お酒を飲むと人格が変わって暴れる。そんな大変な家庭でしたが、私は母に連れられて群馬の幕屋に集うようになり、幕屋のおじさん、おばさんにかわいがられて育ちました。
貧しい生活の中にあって、母はよく祈っていました。夕方には、「みーちゃん、一緒にお祈りしましょう」と言って、母が聖書を読み、賛美歌を歌っては共に祈りました。それが私の信仰の原点なんです。
やがて成人した私は、同じ信仰をもつ人と結婚しました。2番目の子がおなかにいた時のこと、私はひどい下血を起こし、病院で潰瘍性(かいようせい)大腸炎と診断されました。難病指定されている病で、何度も貧血になり、激しい腹痛が襲ってきます。
元気だけがとりえの私でしたのに、病はその後も、長年、完治しないままでした。
そんなころのこと、夫は不況で仕事を失い、落ち込んで、家に引きこもるようになってしまいました。私はそのような体でしたから、たびたび寝込むこともありましたが、何とか働きながら家計を支えて過ごしてきました。
でもある日、「私は、信仰しているのに、いつまでもこのままじゃたまらない。神様に祈って、この病をいやされたい!」という思いが、私の内から突き上げるようにわいてきたんです。
ちょうどその時、幕屋のイスラエル聖地巡礼の申し込みがあって、「聖地に行って祈り、病をいやされたい!」と願いました。現実は大変でしたが、この巡礼にかける思いで参加したんです。
聖地では、聖書に出てくる箇所を次々と巡っては、熱く祈る。私の魂は日を追うごとに喜びに満たされ、神様が身近に感じられる特別な時を過ごしました。
そして巡礼を終えて日本に帰国した時、なんと、体の調子がすっかりよくなっているじゃありませんか。「ああ、神様、ありがとうございます!」と、いやされた感激に涙しました。
ただその後の人生、すべて順調にいったわけではありません。山あり谷ありでした。でも、事あるごとに夫婦で神様に祈っては、不思議と守られてきました。
5年前、キリストに祈ることを私に教えてくれた母が、天に帰っていきました。私の人生、こうして祈って神様に守られなければ、とても過ぎ越してくることはできなかった。
そう思うと、空梅雨の日照りの中を、何かに守られるようにして生き延びていたあのでんでん虫が、まるで私のように思えたのでした。
本記事は、月刊誌『生命の光』867号 “Light of Life” に掲載されています。