母の日に寄せて「玉子焼きの味」

山口家の玉子焼き
山口ハンナ

私の実家では、玉子焼きの味が二通りありました。一つは塩味、もう一つは、甘い玉子焼きです。理由は単純で、その日に作るのが祖母か母かの違いでした。

母は少々ややこしいお嫁さんでした。後妻、3児の継母(ままはは)、姑(しゅうとめ)と同居、といった具合です。結婚のいきさつは、まだ幼かった兄2人と私を残して母親が亡くなったわが家に、父と同じ信仰をもつ母が嫁ぎ、私たちのお母さんになってくれたのでした。

その当時、母は贖われた感謝の中で、「キリストの神様、どうぞ、あなたの御思いを行なう者にしてください」と祈りつづけていたそうです。それで、子供が3人いる相手と聞いても、「これは、神様が私に用意してくださった縁談だ」と思えて、その場で「お願いします」と返事ができた、と聞いています。


結婚して半年後、私1人を連れて母が里帰りをした時、信仰に理解がなく結婚に反対だった祖父から、ひどく叱(しか)られたそうです。

私は3歳になる前でしたが、怒っている祖父の声を覚えています。怖くなった私は、「お母ちゃん!」と言って、母の首にギュッとしがみついて大泣きしました。母が言うには、そのようすを見て祖父は安堵(あんど)したようです、「ああ、もう親子になれたんだ」って。


母が来て変わったことの一つが食卓です。たとえば冒頭の玉子焼き。少し焦げめのあるデコボコした塩味は祖母、甘くてふわふわできれいな黄色は母です。

料理の味付けは地方によって違いがあるといいますが、祖母の出身地は秋田、母は下関でした。父によれば、亡くなった花子お母さんの玉子焼きは、出汁(だし)の効いた塩味だったそうです。そんなことを聞くと、母も味付けには悩んだのかなと思います。

「もちろん料理には苦労したわよ。でも、母親としての力不足ほどつらいことはなかったわ……。子供のあやし方も、叱り方もわからなくてね。炊事場に立ちながら、ワンワン声を上げて、泣いてしまったことがあったの。あなたたち3人がちょこんと座って、私を心配そうに見上げていたわ。

ハンナたちの生みのお母さんである花子さんを、恨んでしまった時もあってね。『花子さん、どうして死んでしまったの? あなたが生きていれば、私はこんな苦労をしなかったのに』って。それでも、何度も天に向かって名前を呼んだの、『花子さん、私はここで頑張るから、助けてよ!』って」

うちの床の間には、花子お母さんの写真がありました。私たち兄妹(きょうだい)が生みの親を忘れないようにでしょうが、子育ての力添えを頼む、母自身のためでもあったのかもしれません。

若いころの私は、母のことを我慢と努力の人だと思っていました。でも、私自身が3人の子供を育ててきて今、痛いほど感じるのは、我慢と努力だけでは乗り越えることは無理だったろうということ。私の知らないところで、どれほど母は涙を流し、どれほど天を見上げて祈ってきたのでしょう。

そしてどれほど、キリストの慰めと励ましに助けられてきたことでしょうか。そういう母の存在が私の人生の選択に与えた影響は、大きかったと思います。

幼いころからの夢は看護師になることだった私ですが、高校2年生で回心の経験をしたことをきっかけに、「看護師になる人はほかにもたくさんいる。神様、私はどうしたらいいでしょうか?」という気持ちに変わっていきました。そうして、主人との結婚後、共にキリストの福音を伝えることを願いながら生きています。


母が嫁いできて2年半ほどして妹が生まれ、今は4人の兄妹がそれぞれ結婚。父と母には、孫が13人います。

先日、久しぶりに両親のもとを訪ねてきました。

たわいない話をしながら、「継母、継子(ままこ)」といった言葉とは縁遠い親子だったなあと改めて思い、そんな家庭にしてくださった神様への感謝で、胸がいっぱいになりました。

父と母が結婚して46年。母の本棚には、小さいころから目にしていた花子お母さんの写真が、今もありました。

プロフィール
山口ハンナ
千葉県在住6年目。趣味はガーデニング。
房総の青い海と空が大好き!


本記事は、月刊誌『生命の光』855号 “Light of Life” に掲載されています。