信仰の証し「咲き誇れ、秋田よ!」
―北国の伝道に生きる喜び―

上野 正

秋田に来て3年になります。秋田はすごくいい所ですね。引っ越してきた当初は決まった職がなく、シルバー人材センターの紹介で、夏は草刈り、冬は雪かきの仕事をしていました。吹雪の中の仕事は大変でしたけれど、雲の切れ間から太陽が出てくるようすは、ものすごく素晴らしい。心が元気になりましたね。

秋田には素晴らしい県民歌があって、秋田のよさがこの歌詞に込められているんです。鳥海山や十和田湖(とわだこ)の美しさを讃(たた)え、皇室を尊んだ地元生まれの国学者・平田篤胤(ひらたあつたね)の偉業を謳(うた)っていて、秋田は日本の心の故郷(ふるさと)のように感じながら歌っていると、涙が出るんです。

また、何より米が美味(おい)しい。最近「あきたこまち」より美味しいといわれる「サキホコレ」という新品種の米もできたんです。私はこの秋田のよさを、もっと全国に発信していきたいと思っています。

ただ残念なことに、秋田県の高齢化率と人口減少率は、長年全国で一番なんです。若者の多くが、成人すると都会に出ていってしまうんですね。この前、中学1年生の女の子に、「あなたの将来の希望は何?」と聞いたら、「ちゃんと年金をもらって生活すること」と答えたので、びっくりしてしまいました。

私はこの秋田で、多くの人々の心に、生きる喜びと希望がもっとわき上がるようにしたいと、原始福音の伝道を私の生涯の使命と思って、取り組んでいます。

頼れるのは神様だけ

4年前、幕屋の全国規模の集会でのことです。秋田幕屋に伝道者がいないので、ぜひだれか来てほしいと、秋田のご婦人が声を上げられました。

「上野さん、秋田にどうですか」と友人から声をかけられましたが、当時、私は諏訪(すわ)で伝道していましたので、「いえいえ、私は……」と、自分のこととは受け止めていませんでした。

ところが、その夜寝ていると、「時期や場合は、父がご自分の権威によって定めておられるのであって、あなたがたの知る限りではない」という聖書の言葉が響いてきたんです。これは、秋田に行く行かないは、おまえが決めることじゃない、という神様の強い迫りじゃないかと思うと、夜中に目が覚めてしまいました。私はこのことを受け止め、翌朝皆さんにお話しして、ここに来ることになりました。

秋田幕屋は少数の幕屋です。病気の方や、年を取って施設に入っている方もおられるので、普段の日曜集会に集われるのは4、5人だけです。でも神様に救われたお互いが集い、共に聖書を読んで祈る時に、言いようのない喜びを覚えるんですね。

ここには頼れる人がだれもいないので、いつも「神様、助けてください!」と、追い込まれては神様だけに頼って祈らされます。それは私にとって、とてもありがたいことで、神様をそば近くに感じる毎日です。

開拓伝道ですから、私は昨年から地元の中学校で非常勤講師として働きながら伝道しています。学校が休みの日などは、秋田各地にたくさんおられる『生命の光』の読者の方々をお訪ねしています。

先日お訪ねした方は、ちょうど1週間前にご主人を亡くされたばかりで、「上野さん、亡くなった主人の魂はどこへ行くんでしょう」と聞いてこられました。それで、「あなたがキリストの神様に心から祈るならば、ご主人の魂は天使に伴われて次の世界に行くことができますよ」とお話ししました。すると、とても安心されました。『生命の光』の読者の方々とは、こういう信仰の話ができるのがうれしいですね。

魂の本願に生きる

私は中学2年生の時、和歌山県での幕屋の夏期聖会に初めて出ました。その時の学生集会で、若者たちが神様の聖霊に打ち倒されて泣きしびれている光景を目の当たりにしました。そして皆、尋常じゃない喜びに満たされました。その時から私も「天のお父様!」と祈りたくてたまらない者と変えられたのです。

やがて私は、幕屋の留学生としてイスラエルに行きました。エルサレムのヘブライ大学で歴史を学び、修士課程を終えて、7年後に帰国しました。

日本ではイスラエルで学んだことを生かして、イスラエル大使館で働くことや、大学で教えることを望んでいましたが、それらの道は開かれませんでした。ただその後、友人と共に日本で最初のヘブライ語・日本語辞典の編集・制作に携わることができました。

ところがある日、住んでいた借家が全焼してしまい、大切な書籍も全部焼けて、私はすっかり落ち込んでいました。その時です、「おまえは何によって生きようとしているのか、学問によってか。われに従え!」という、魂に呼びかける天の声を聞いたのです。すると、それまで自分を支えてきた学問も、学者になろうといった功名心も、一切消え去ってしまいました。そして、すべてを捨ててキリストだけにお従いしたい、という魂の本願がはっきりとさせられたのです。

その後、大阪で7年間、工事現場や工場などで働きながら信仰を培われました。その間に通信教育で教員免許を取りました。そして、各地へ伝道に出ていきました。今日まで、すべてが順調だったわけではありません。でも、私にとって大切な経験の日々でした。

秋田に来て願うのは、自分の力ではできませんが、神様の恵みによって、あの和歌山の聖会で起きた聖霊による回心が、もう一度ここでも起きることです。

私は今年、70歳になります。今の私にはキリストの神様がすべてのすべてです。神様なくしては、私は生きていけません。そういう者に変えられたんです。

今は少数であっても、キリストから聖霊の生命を頂いた方々と共に祈り、愛の中で生かされていることが、私には何にも代えがたい大きな喜びです。

上野 正:1951年生まれ、福島県出身。
山口、大分、諏訪でキリストを伝える。
好きな言葉は「Be fire! 燃えよ!」


本記事は、月刊誌『生命の光』818号 “Light of Life” に掲載されています。