信仰の証し「兄は天の万軍の一人として」

佐藤芙佐子
私は現在、愛知県の医科大学大学院で高度実践看護教育に携わっています。以前は長年アメリカで看護師として、重症患者を対象とし、またその家族をケアする、重症・急性期病棟(ICU)での勤務を専門としていました。
ICUでの治療、看護は、最も重症な患者を担当するので、多くの方々の最期、死の場面に立ち会ってきました。
現在の医療現場では、尊厳死が問題になっています。その中で私の看護の現場では「スピリチュアルケア」と「実存的擁護」ということに取り組んできました。それは個々の患者がもつ生きる意味や価値、希望など、その人の実存や魂に寄り添う、全人的な看護なんです。
でも私はある時、患者の実存や魂を守り導くのは、看護師ではなく神様ご自身なんだと、天から教えられたのです。患者が亡くなる時に、そばにいるのが私だけということがよくありました。そんな時、どのような患者でも、その方の魂を神様におゆだねして、祈りと共に寄り添ってきました。
それは私が25歳で看護師として渡米し、31歳の時、同じ看護師の友人を通して幕屋の信仰に触れたことによります。
最初に参加した集会で、「愛なり 愛なり 救い得るは主の愛……」という賛美歌を歌っているうちに、涙があふれ出てやまず、初めての不思議な感情に包まれました。後に、それはキリストの生命による回心だと知りました。
それ以来、このキリストの生命に生かされていることが感謝です。そして今日に至る長い歳月を、喜びの中で過ごしています。
この信仰に導かれて、私が大きく変えられたのは、永遠の生命の世界があることに目覚め、それを慕う魂にさせられたことでした。そして今年の春、参加した慰霊の旅の中で、先の大戦で戦死した兄の死について、さらに神様から大切なことを教えていただきました。
● 慰霊の旅に出かける ●
昨年、戦後80年を迎えた時に、私は長年心にかかっていたいちばん上の兄の慰霊をぜひしたいと思いました。そんな時、幕屋の有志で台湾南端とフィリピンの間にあるバシー海峡で戦死された方々の慰霊をすると聞き、私もその旅に参加しました。
20歳年上の兄は、私が生まれる前の17歳の時に志願兵として出征したので、私は兄に一度も会ったことがありません。
戦争末期の1945年2月、海軍に従軍していた兄は、乗っていた船がマレー半島のコタバルの沖で敵の魚雷によって沈められ、戦死しました。
ただ、私1人ではなかなかマレー半島までは行けないので、日本よりコタバルの海に少しでも近い所にあるバシー海峡に行って、今も海の底に眠る兄を弔いたいと思ったのです。
私は10人兄弟の末っ子ですが、上の兄や姉たちはすでに他界したり、施設に入っていたりで、まだ元気に飛び歩けるのは私だけになってしまいました。
今回、台湾へ発(た)つ前にどうしても両親と兄の墓参りをしたいと思い、岡山の田舎にある実家に帰りました。そして跡を取っている甥(おい)たちに会い、台湾に行く思いと、私が信仰している幕屋のことを話しました。
実家には両親の写真と共に兄の似顔絵が飾ってあるのですが、写真はなかったので、私は今まで戦死した兄の本当の姿を見たことがなかったんです。
ところがそんな話をしていると、甥が「ぼくは毎年、護国神社にお参りに行っているけれど、そこに伯父さんの写真があるよ」と言うのです。それで、兄の写真を私は初めて見せてもらいました。
それは兄が入隊した時の凛々(りり)しい顔つきの写真でした。兄は長男でしたから、本来は跡取りとして家を継ぐはずでした。でも祖国の現状を思うと、軍隊に志願せずにはおれなかったのでしょう。私は、その写真をスマートフォンに収め、故郷のお米と地酒を持って、台湾へと旅立ちました。
● 蘇った枯れ骨 ●
この旅に参加するに当たり、備えて読んだ本があります。それは、兄と同じように敵の魚雷で乗艦を沈められ、筏(いかだ)にしがみついて海上での過酷な漂流をした、日本の海軍兵の実話です。大波が来るたびに、1人、また1人と波にさらわれて消えゆく中、12日間の漂流の後、奇跡的に助かったのでした。
私は、同じように海軍兵として海底に沈んでいった兄の最期のようすを思い巡らし、涙なくしては読み進められませんでした。
台湾では、バシー海峡戦没者の慰霊と遺骨収集の調査をされている舘量子(たち かずこ)さん(関連記事参照)が案内してくださいました。
私たちはまず、バシー海峡の見える浜辺に行って、舘さんが作っておられる慰霊場で、日本から行った皆で献花をし、お酒を注ぎ、『海行かば』を歌いました。
私も、日本から持っていった故郷のお米と地酒を、兄のいるコタバルの沖に届けという思いで、大きな波が打ち寄せる海の、できるだけ遠くに投げ入れました。
そして、その慰霊場で皆さんと祈りを捧(ささ)げる前に読まれたのが、旧約聖書エゼキエル書の「枯れ骨の谷」の箇所でした。
彼(主)はまたわたしに言われた、「これらの骨に預言して、言え。枯れた骨よ、主の言葉を聞け。主なる神はこれらの骨にこう言われる、見よ、わたしはあなたがたのうちに息を入れて、あなたがたを生かす」
エゼキエル書37章4~5節
そこには、主の言葉が臨むと、枯れた骨が次々と集まって相つらなり、その上に筋ができ肉が生じ、やがて人々が生き返るという預言が書かれていました。
● 慰められたのは私 ●
そこで語られるエゼキエル書の言葉を聞いているうちに、天からの生命がワーッと迫り、私の心を覆ってきました。
すると、80年以上たった今も遺骨収集されることなく海の底で眠っている兄、という感覚ではなくなったんです。
そして、身は海底の「水漬(みづ)く屍(かばね)」であっても、兄の魂は霊となって天上の天使たち、天の万軍の一人として、永遠の生命の中に生かされているんだ、という思いが確信となってわいてきたんです。
バシー海峡では、10万人とも20万人ともいわれる多くの方々が亡くなっています。その場で祈っていると、このエゼキエル書の預言のように、霊となったその方々の魂が、浜辺で祈っている私たちと一緒におられる。波が引いては押し寄せる、濃い青緑の海を見ながら、そのような幻というか、不思議な感覚を覚えたのです。
それは慰霊というより、逆に私のほうが「よく来たね」といって慰められた思いがしました。
この旅で神様から教えられたのは、生前は会うことなく天に帰っていった兄の魂の、天界での消息でした。兄は確かに天の万軍の一人とされて、霊となって今も生きている。
そして、神様がこの信仰の世界に導いてくださったことによって私を、天界の兄の魂のことを知り、祈る者とさせてくださった。そのことを思うと、私を贖ってくださったキリストに心から感謝がわいてなりませんでした。
このたびは、私の兄をはじめ、国のため、尊いもののために命を捧げられた、多くの先人たちのことを霊において身近に感じ、また祈ることができました。
私にとって、とても大切な旅となりました。

本記事は、月刊誌『生命の光』881号 “Light of Life” に掲載されています。

