信仰の証し「雲のドーナツに囲まれて ―レビー小体型認知症の夫との暮らし―」

齋藤則子
結婚してから五十数年、キリストの信仰をもって、主人と過ごしてきました。
主人は、幼いころに戦争で父親と2人の兄を亡くし、貧しい中を苦労しながら育った人でした。キリストに救われて、伝道的な生き方を願っていましたが、人とコミュニケーションをとることがとても苦手で、ある時期は夫婦関係も厳しいところを通りました。
けれども、神様の御前に出て、お互いに固くもっていたわだかまりが解かされることがあり、それからは支え合って生きることができるようになりました。
私が70歳を迎えた3日後のこと、台所で野菜を刻んでいると、「神に寂聴する信仰」という声が、一瞬でしたが心に響いてきました。
これはどういうことなのかしら、と心に留めていました。それからしばらくして、主人はレビー小体型認知症を発症したのでした。
「うちの則子はどこに行きましたか」と私に聞きます。初期のころだったので驚きましたが、
「ええ、則子さんはね、買い物に行ってるから、近所の私が手伝いに来てるんですよ」
「ああ、そうですか」と。しばらくしてから、
「コーヒーでも飲まない?」と聞くと、
「ああ」といつものように答えました。
それからは、いろいろなことがありました。
ある会に参加するために、私が泊まりがけで外出しました。そのころはまだ主人も運転ができていましたので、車で空港まで送ってもらって、翌日迎えに来てほしいと伝えていましたが、そのまま最終便まで空港で待っていたようです。夜遅く会が終わって、携帯電話の着信回数を見た時、驚きました。
翌日、急いで帰ると、用意していた食事に全く手をつけずに、台所にぽつんと座っていました。もう主人を置いて遠くには行けないな、と思いました。
その後は徘徊(はいかい)もありましたし、警察のお世話になったこともあります。私はどうあったらいいのでしょうか、と神様に問いかけ、祈る日々でした。
けれどもある時、部屋の中で一人、キリストを見上げると、わーっと滴るようにも覆ってくる生命がありました。天からの慰めは大きいですね。
それからは、現実をそのまま受け入れることができました。
「ああしたらいい、こうしたらいい」と、知恵が与えられる。「神に寂聴する信仰」というのはこのことだったのか、とわかりました。
内側は変わらない
私は、主人が穏やかに暮らすことを第一にしていました。認知症患者の言動には連続性がないので、その時その時に合わせていけばいいんですね。ただレビー小体型認知症は、幻覚や幻聴などの症状が現れます。たとえば「今、青年たちがな、土足で家の中を、どかどかと走っていった。塀を乗り越えていったんだよ」と言うので、 私が 「どれどれ」 と外を見て 「こらーっ」 と言ったりしましたね。それで納得するんです。
主人の病状が進んで要介護3になったころ、お世話になった信仰の先輩の記念会に、2人で参加しました。最後に祈る時があり、司会者が主人を指名しました。
ほとんどわからなくなっていたころでしたので、私は、人前で祈るのは無理だろう、と思っていたのですが、「天のお父様!……」と言って、その方への感謝を込めて大きな声ではっきりと祈ったのです。驚きました。
理性はなくなり、外側はぼろぼろでも、内側の魂は変わらない。そのことを主人の姿を見て確信しました。
ケアマネージャーさんや病院の方から、「ご主人は不思議な方ですね。治療や受け入れる施設など、困った問題が起きても、必ず道が開けました。齋藤さんの神様のおかげでしょうか」と言われました。
キリストの福音を伝える願いをもっていた主人ですが、存在するだけで伝わることには驚きました。
自分が変わること
地域で認知症の家族会というのがありまして、ここでしか言えないといって、中には泣きながらお話をされる方もいます。私もできるだけ参加して、主人との生活で経験したことなどを話していました。
認知症の人は現実とは違う世界に生きているから、説得してもわからないんですよね。時には家庭崩壊になったりする。だから、「私たち介護する側が変わればいいと思うんです」と言いました。
そうすると、「えーっ、そんな、自分が変わるなんて、できない」と言われます。
ある時、一人の男性が話されました。民生委員をするようなしっかりした奥さんが認知症になったそうです。朝、化粧道具を渡すと、口紅を出して鼻の頭を丸く塗り、目の周りにも塗っていた。「そこじゃないだろう」と言って取り上げると、奥さんが怒って取っ組み合いの喧嘩(けんか)になってしまった、と。「今日もやっとの思いでここに来たんです。こういう時はどうしたらいいでしょうか」と私に聞かれました。
「この場には介護の専門家がおられるから、そういう方に聞いたほうが……」と言いましたが、
「いいえ、齋藤さんに」とおっしゃいますから、
「今度もし奥さんが同じようなことをされたら、やあ、かわいいね、すてきだよ、と言ってあげてください」と答えました。その後どうなったかなと思っていましたが、1カ月後の家族会の時、その方が言われました、
「齋藤さんがこの前、言われたようにやってみたんです。きみ、すてきだね、と。そうしたら大変喜んで、それ以来、家庭の雰囲気がよくなったんです」と。
私はその時その時に、神様に教えられることを自分でもしてきましたし、それを話しただけなのです。
それからしばらくして、医師会の方が家に見えて、介護のシンポジウムにパネラーとして参加してくれないか、と言われるようなこともありました。
今も続く霊的体験の感覚
やがて主人は、天に帰っていきました。
告別式などで「天国から地上の私たちを助けてください」と言う方がありますが、私はあまりそれは言いたくありませんでした。とにかく天国に行ってほしい、働いてくれるのはずっと後でいいと思っていたのです。
召天から1カ月ほどたった時のことです。
熊本幕屋の集会で、皆と一緒に祈っていました。そうしたら、私の背後から白い雲のようなものがふわーっと私を包んでいきました。これは何だろう、と思っていると、それがドーナツ状になって私を囲み、内側はやさしいオレンジ色に輝いていました。キリストの臨在を感じて、圧倒されるようにしていました。
そして、右の肩の後ろに何かを感じると、それは、主人でした。「聖地イスラエルに一緒に行くよ」と言われました。私は、もう泣き崩れてしまいました。
ずっと以前、まだ認知症の初期のころ、「どこか行きたい所はないか」と聞かれたので「そうねえ、イスラエルかしら」と答えると「車で連れていってやるよ」と言われました。
「えっ、車で行けるの?」と聞くと、
「そりゃあ、行けるさ」とうれしそうに言ったのです。そのことを思い出しました。
それからすぐに、翌年行なわれる聖地イスラエル巡礼に申し込みました。聖地に主人の写真を持っていき、記念植樹をすることもできました。心から喜んで、主人と共にキリストの歩まれた道を歩くことができたのです。

ありありとした、霊的な体験、光る雲に囲まれている感覚は、今も続いています。主人が亡くなったら、1年くらいは寂しくてたまらないだろうと思っていましたが、悲しみやとらわれがなくなってしまいました。
そういう体験をしたら、自分自身が変わらざるをえないです。
本記事は、月刊誌『生命の光』870号 “Light of Life” に掲載されています。