この人に聞く「科学と教育と神の世界」

西條隆繁

プロフィール
長野県松本市生まれ。93歳。工学博士。
国鉄鉄道技術研究所主任研究員、米テキサス州立大学教授、芝浦工業大学教授を経て、1993年に山梨県須玉町(現・北杜市)に自然学園高等学校を開校。その後、甲府市、大月市、相模原市にキャンパスを開設。


――山梨県の山あいにあるこのキャンパスは、素晴らしい環境ですね。私は以前から、西條先生の教育理念に感動し、話をお聞きしたいと願っていました。学園を創立された経緯をお話しいただけますか。

西條隆繁 自然学園は開校してから今年で32年目を迎えます。ここで掲げる教育目標の一つは「天職を見つける」ことなんです。生徒の個性と能力は一人ひとり違うから、その与えられている天分を磨き、将来、日本の社会に役立つ人を育てたいと思っています。

天職というと耳慣れないでしょうが、「天職探しの旅に出よう」と私がキャッチコピーを考えたら、これは名言だと、学園のパンフレットにも印刷されました。

――西條先生は工学博士として、リニアモーターカーの世界的権威でもあられますね。学園創立の思いは、先生がされた研究とも関係があるのでしょうか。

西條 1979年に日本のリニアモーターカーが、当時の鉄道の世界記録である時速517キロを達成しました。私は国鉄鉄道技術研究所のリニアモーター鉄道開発グループの主要研究者の一人でした。政治家が政治生命と演説されますが、私は技術者にこそ技術生命があり、技術でうそをついてはならないと思っています。

時速500キロは、当時の私には至上命令であり、これを達成しなければ責任をとって退職だ、と意気込んで仕事をしていました。

でも、時速500キロのトライ走行に初成功した瞬間は、「ありがとうございます」という静かな感謝の気持ちでした。そして、長年勤めた国鉄を辞める決意をしました。かねてからの依頼を受け入れ、アメリカの大学で教壇に立つことにしたのです。

学校内に展示されているリニアモーターカーの模型

日本に帰ってからもそうですが、私にとって研究と教育は一つなんです。本を読んで得た知識を教えるのではなく、実際にした研究や自分の実体験を通しての教育だからです。これが天から導かれた私の天職ですね。今も続けられているのは、ありがたいことです。

この学園は「自然に学ぶ」ことが主眼です。自然というのは神様がお造りになったものですから、自然を学ぶことは、神様の存在を知ることにもなります。

授業では、田畑で労作もしますが、ただ労働をするのが目的ではありません。天地万物が師であることを発見するためなのです。

神様は、それぞれに合った生き方を「これだよ」と学びの中で教えてくださる。それを謙虚に受け止めることで、自分の天職がわかってくるんです。

自然学園の心がけ「天地萬物皆我師也」

アメリカで考えさせられたこと

アメリカの高校を訪れた時のことです。そこの先生方が言われた言葉が、とても私の心に残りました。

「私たちは高校まで、人間教育に力を入れます。もちろん知識教育は行ないますが、将来成長しアメリカの一市民になった時、自分で考え行動できる人を育てる。それがアメリカの民主主義を支えているのです」

私はアメリカで、ずいぶん日本のことを考えさせられました。2年後に帰国し、東京の芝浦工業大学の教授になりました。当時の日本はバブル前でしたが、物質的にも精神的にも荒廃する状況を見て、私は憂えたのです。聖書が言う精神の上に日本人を育てる、そのような人間教育がどうしても必要だと思いました。

そこで、東京にあった土地・家屋、老後の蓄えなどをほとんど処分して、さらに2億円近い借金をしまして、およそ4億円の学校創立資金を工面しました。

そうして思い立ってから10年目に、ようやく自然学園をスタートさせたのです。私が62歳の春でした。

――すべてを投じて始められたのですね。西條先生と幕屋との関係は、どこから始まったのでしょうか。

西條 かつて甲府幕屋で伝道されていた空閑(くが)幸一さんに、縁がありましてお会いしました。空閑先生は熱心にキリストを語る方でした。私はそのころから手島郁郎先生の著書『日本民族と原始福音』などを読みはじめ、とても共感したのです。

それで、私は日本キリスト教団に籍を置いていますが、幕屋の夏期聖会や日曜集会に、何度も出席しました。三重での聖会の時には五十鈴川(いすずがわ)で禊(みそぎ)をし、信仰について徹夜で空閑先生と語り合ったのを思い出します。

自然学園で授業をしていただいた時も、大勢の生徒を前に熱烈に語られました。もう亡くなられましたが、空閑先生のような方がほんとうに必要だと思います。

常識をはるかに超える世界

――西條先生が神様を知るようになられたのは?

西條 私は、至って平凡なクリスチャンです。でも改めて考えると、神様を知るに至ったのは、やはり科学技術からかもしれません。

――科学と神様の世界とには、矛盾はありませんか。

西條 ありません。科学を極めようとすればするほど、私には人間の常識をはるかに超える世界があるとしか思えないのです。科学でわからないこと、不思議なことがあった時、一生懸命研究を進めると、そのこと自体はわかってくる。でも実は、またさらにわからないことが増えるんですね。いつまでたっても全体はわからない。そんなことを続けていくうちに、何か人間は大したことないなと、私には思えてきたのです。

でも、自然科学の学者で、研究が進めばすべてがわかると思っている人は、神なんかいない、と言う。今ここに神を出して見せたら、おれも信じてやる、と。

そんなことで信仰がわかるわけがない。

――そのことについてもう少しお話しいただけますか。

西條 ここで一つ例え話をしましょう。ある夏の夕方、庭で「蟻(あり)の行列」を見つけたとします。何か明日以降使う食料でしょうか、庭のこちらの端から向こうの端に一生懸命運んでいます。

そこへ急に人間の暴漢が現れ、蟻の行列を足で踏みにじったら、どうなりますか。

蟻の世界は大混乱。死傷者続出で、蟻の世界の救急車が総出動しても間に合いません。しかも、人間とは属する世界が違い、次元が違うので、構成員一個一個に生死を分けるほどの影響を与えているのに、その原因、理由などについて、蟻には全く知る術(すべ)がない。

いつまでも存続するもの

――その術こそが信仰でしょうか。私たちは信仰によって、天の次元を知ることができると思います。

西條 そうです。私はここ数年で、妻と娘を亡くしました。妻は一昨年、娘はこの春です。私の校長室には、娘の小さな写真が飾ってあります。「どうだ、元気でやっているか」とよく声をかけるんですよ。

娘は亡くなる3日前、病で入院していて、言葉もほとんど出せない状態でした。娘がやっと言った言葉が、「今日は、病院に泊まって」。私は病室には泊まったことがなかったので躊躇(ちゅうちょ)もあって、頭で考え事をしてしまった。でも私はこの時、神様から試されていると感じたのです。すべて天がよきように計らってくださると思えるかどうか、私は試されているのだと。

それを私は直感的に受け取って、その日は体の無理を承知で泊まりました。その時の喜んだ彼女の笑顔は、天使のように神秘的でしたね。

3日後、娘は全き平安の中、天に召されました。

私のいちばん好きな聖句にこうあります。

いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この3つである。このうちで最も大いなるものは、愛である。

コリント人への第一の手紙13章13節

いつまでも存続する大いなるものを感じます。2人を天に送った後で、最近、今までなかったような不思議なことが起こっています。私の周囲で起きた、どうにも解決がつかない大変な問題でも、最後の最後には、解決策が与えられるんです。

ここ1~2年、そういうことが多いのですよ。私は、そばにキリストの神様が立たれていることを、最近特に感じるようになりました。その思いを世の中に表すことができたらと、今は願っています。

――貴重なお話をありがとうございました。


本記事は、月刊誌『生命の光』859号 “Light of Life” に掲載されています。

日々の祈り

前の記事

9月15日
日々の祈り

次の記事

9月17日