嵐は逆まくとも

※音声は1974年1月6日にラジオ放送されたもので、これが手島郁郎最後の放送となりました。以下の文章はラジオ講話の原稿として書かれたものですが、一部音声と異なる点がありますので、ご了承ください。(編集部)

(冒頭・聖歌2分42秒 講話9分29秒)

わがたましいを 愛するイエスよ
なみはさかまき かぜふきあれて
しずむばかりの この身をまもり
天(あめ)のみなとに みちびきたまえ

われには他の 隠所(かくれが)あらず
たよる方なき このたましいを
ゆだねまつれば みいつくしみの
つばさのかげに まもりたまいね

きみはいのちの みなもとなれば
たえず湧き出で こころにあふれ
われをうるおし かわきを止(とど)め
永遠(とこしえ)までも 平安(やすき)をたまえ

疾風怒涛、嵐逆まく年を迎えました。今年は次々と私たちの度胆を抜くような恐ろしい変化が続出する年となりゆくでありましょう。

この賛美歌はメソジスト教会の創立者ジョン・ウェスレーが、祖国イギリスからアメリカ伝道に向かう途中、大西洋で大暴風雨となりまして、今にも船は沈みそうになり、生きた心地もせず、船室から「神様、助けて! 助けて」と、何度も叫び祈ったということを、その弟のチャールス・ウェスレーが聞いて、それを回想して作ったのだといわれています。

“The Gust” (Willem van de Velde the Younger)

嵐の中の平安

この歌を唱うたびに、私も同様の経験を終戦の直後にいたしまして、嵐が鎮まり助かったときの喜びようといったら、言いようもなく、対馬(つしま)の岩の上で、ひとり神に感謝したときのことを忘れることができません。

終戦となりましたので、日本に帰る以外になく、朝鮮の京城(ソウル)から釜山の港まで来まして、日本に帰ろうとしましたが、アメリカ占領軍の命令で、すべて日本行きの船の航行が禁止せられまして、帰ろうにも帰れそうにありません。それで港の船だまりを、あちこち歩きながら、一隻でも出してくれる船はないか、と思って探しておりますと、ちょうどその時、海難救助のサルベージ船を持っている老人がありまして、「この船は快速船だから、対馬まで行くのはワケもない。わずか4時間か、5時間あれば行きつける」と申しますので、その船を一隻、借り切ることといたしました。

私ひとり単独で行くのはもったいないと思っていますと、元山(げんざん)の海軍病院から逃げ出してきました水兵たちが十数名ほど「乗せてくれ」と申しますので、「どうぞ」と言って乗せました。何でも2日ほど前、ソ連軍が急に朝早く上陸してきて、たちまち海軍病院を取り囲み、医薬品は掠奪(りゃくだつ)され、次々と医師や看護婦を連れ去り、目の前でアクどい残忍な暴行をするのを見て、すっかり怖くなって、取るものも取りあえず脱走してきたことを、彼らが怯えながら話しておりました。

終戦の直後は、占領軍が全国の気象情報の放送を禁じていましたので、海上の至るところで遭難や難破が相次ぎました。しかし、私の船は静かな月明かりの夜、静々と港を出まして、外海に出ると快速力で走り出していました。今にも対馬の沖を過ぎる頃になりましたら、次第にシケ模様となり、大暴風雨に襲われてしまい、いつになったら嵐が止むのか見当もつかず、ますます激しくなって、荒れ狂うので、ついに船長は機関を止めて成りゆきに委せたまま、船は木の葉のように嵐に揺さぶられました。名だたる海軍の水兵たちも生きた心地もせず、船酔いするやら、まっ青になって死を待つばかりにしておりました。

実は静かな月明かりとは、台風の目の中だったということを、船長も知らなかったからでした。しかし、嵐の中にも、私はキリストの御守りを堅く信じていましたので、船酔い一つせず、この賛美歌をうたったりして過ごしたことでした。

嵐の中でも平気で陽気に歌うたう私を見て、みんなが驚いていました。これは自分の力ではなく、ただ信仰のおかげなのです。やっと30時間ぶりに、対馬の小さな漁港に避難できまして、そこで一夜を明かし、翌日、博多に着きましたら、敵の空襲で福岡市の大半が丸焼けとなっておりましたのには、驚いてしまいました。

信なくば立たず

この新しい年は、昨年と違って、疾風怒涛、悩みの嵐が荒れ狂い、逆まき、生きた心地もしないような出来事が相次ぐことでしょう。こんな時に、どう私たちは心がけたらよいか?

聖書を読みますと、昔、アッシリヤの大軍が潮(うしお)のごとくに近隣の国々に次々に襲いかかり、侵略し、大国のエジプトを攻略する前の血祭りに、ユダのエルサレムなんか一呑みにしようと20万の大軍で取り囲んだことがあります。王様も人民みな戦々恐々として恐れおののきましたときに、ひとり神の人、イザヤは立ち上がって「信なくば立たず」と叫んで、王様に何よりも信仰をもつようにと励ましました。その時、作られた歌が、有名な詩篇の第46篇です。

神はわれらの避け所また力、
悩める時のいと近き助けである。
このゆえに、たとい地は変わり、
山は海の真中に移るとも、われらは恐れない。
たといその水は鳴りとどろき、あわだつとも、
そのさわぎによって山々は震え動くとも、
われらは恐れない。
もろもろの民は騒ぎたち、もろもろの国は揺れ動く、
神がその声を出されると地は溶ける。
万軍の主はわれらと共にあり、
ヤコブの神はわれらの避け所である。
来たれ、主のみわざを見よ、
主は驚くべきことを地に行なわれた。
主は地のはてまでも戦いをやめさせ、
弓を折り、やりを砕き、戦車を火で焼かれる。
「静まって、知れ、われこそ神であることを。
われはもろもろの国民のうちにあがめられ、
全地にあがめられる」

(詩篇第46篇)

全能の神が自分と共にありたもうと信ぜられる者にとって、どんな困難や周囲の迫害圧迫も、何でありましょう。かえって、逆境の悩みが神を容易に発見せしむる機会となります。預言者イザヤの言ったごとくに、奇跡的な大勝利を博して、エルサレムは救われたことでした。

神がわれらの避け所

どんなに天変地異がつづき、山は海の中に移り、逆まく潮は鳴りとどろいて、あふれ出し、日本列島が水没するようなことがありましょうとも、全能の神を避け所とし、神を力として生きる者にとって、悩める時こそ、神様がいと近き助けであることを知ります。

「悩めるときのいと近き助け」とは、悩める時に最も大いに、確実に見いだされる助けである、という意味です。だから神を身近に感じて何を恐れよう。何をか恐れましょう! 敵の大軍は潮のように押し寄せてきて、日本を囲み、日本の産業、経済はインフレに悩み、事業は動かなくなりましょうとも、また、神に敵する者たちの中に、クリスチャンがひとり囲まれ、私たち神の民が孤立無援、ヒドク圧迫されるようなことがありましても、しかし、私たちは「神がわれらの避け所、また力、悩めるときのいと近き助けである」と言い切って、今年を歩き抜きとうございます。勝利は確実にわれらのものです。大きい希望をもって、あなたが逆境にも生き抜かれるよう、祈っています。

宗教改革者のマルチン・ルッターは、この詩篇を最も好みまして、不信心な人々と戦いました。彼はローマ法王をも恐れず、宗教的真理のためには、全ヨーロッパの権力者をも大向こうにまわして戦った、信仰の人でした。ですから、こう言っています。

男子は、決して貧窮を口にするなかれ。風よ吹けよ、波よ荒れよ。出ずるに所なく、逃ぐるに道なからしめよ。すべからく暗夜の孤燈も消えて、すべてが絶望であれ。この時において、いまだ大志をためすに足らず。一層激しく、一層暴虐の限りをつくさしめよ。この手も縛れよ、背をも撃たしめよ。かくて希望が近づく。

と、これ神の大能の保護に信頼して、奇跡的な救出を知る人のみが言い得る言葉です。

希望は近し、どうぞ今年の初めから勇気を出して、神を信じてご出発ください。あなたのために祈っております。