人物訪問「明日への希望に乾杯!」

室園マリ子

福岡市にお住まいの室園マリ子さんは今年86歳。幕屋の信仰に触れて60年余り、この道一筋に生きてこられて、老境に至った、今の喜びを語っていただきました。(編集部)

私は週に3回、デイサービスに行ってるの。

リハビリしたり、書をしたり、絵を描いたり、ちぎり絵をしたり、けっこう楽しいですよ。そこではみんな、愚痴を言うのよ、「どうせ自分らは手も動かんし、そのうち、あの世に行ってお終(しま)いなんだから」ってね。

私は、「そうじゃないのよ、これからなのよ。死というのは通過点だから、魂には、それから先があるのよ」と話すんです。

そしたら、「えっ、そうなの、魂って生きつづけるの?」と聞かれるので、「そうなのよ、これを見てごらん」と『生命の光』を渡すの。

私は肝臓がんも皮膚がんもしたし、1年前には脳梗塞(のうこうそく)にもなった。半身が麻痺して、マグカップも持てなかった。去年の正月は、病院でお雑煮を食べていたの。でも、クヨクヨしないのよね。今では家に帰れたし、コップも持ててお茶を飲んでる。書に熱中したりすると、いつの間にか、よだれが垂れていたりするけれど、こうして生かされているのは感謝よね。

病院もリハビリ施設もデイサービスも、行く先々が私の最善の場所なの。だれと話してても、神様がこんなにしてくださったって話す、それが私の喜びね。

結核だった青春時代

「この花は日本水仙よ、こっちは西洋水仙よ」と話していると、「室園さんは、どうしてそんなに草花が好きなの?」とよく聞かれるの。

私が近寄れるのは、草花か虫くらいしかなかったの。私は若い時、重度の肺結核だったから、だれも近くに寄ってきてくれなかった。肺にはリンゴ大の空洞があって、私は隔離された小屋に置かれて。お医者さんもマスクを三重にして、白い服を2枚着込んできて、でも私に触ることはなかった。もう助からないと思われていたの。食事は小さな窓から渡されるだけ。

絶望しかなかったわね……。23歳で人生が終わると思うと、とても悲しかった。青春時代だったからね、結婚もしたい、家庭ももちたい、と思ってた。

そんな私に、花は季節が来たら咲いてくれた。ゴキブリを見かけると「ゴキブリさん、私、友達がいないから近くにおってね」と話しかけた。それほど孤独だった。今だったらバシーンと叩きつぶしてしまうけどね。

そんな私を、同じ結核で入院していた幕屋の方が、夜明け前に「今だ!」と、その病院からおんぶして連れ出してくれたの。始発のバスに乗って、汽車で横になりながら、福岡から熊本の聖書塾まで行ったのね。何とかたどり着いたら、手島郁郎先生が結核の私を、「よく来たね」って迎えてくださった。

集会が始まり、祈りの時に手島先生が私のところに来て、「お嬢ちゃん、治りたいの?」と聞かれたので、「はい」と答えると、「じゃあ、祈るよ」と言われて。私の頭に手を按(お)いて「汝の信じるごとく汝になれ!」と一言祈られたら、私はバターッと倒れて意識を失っていたみたい。今だったら、それは聖霊が注がれたのだとわかるけれど、その時はわけもわからず、ただうれしくて、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになっていたわ。

その夜は、同じ病気の婦人のお宅に泊めてもらった。翌朝は近くの川で禊(みそぎ)したのね。川に入って、祈り方もわからないから「助けて、助けて」と叫んでいたら警察の人が来て、綱を投げて「それにつかまれ!」って。それ以来、常習犯になって、「あの人たちは祈ってるんだ」と警察の人も見過ごすようになった。

飲んでいた薬を全部その川に捨てて、そのまま2カ月くらい熊本で過ごさせてもらったの。愛に包まれて、喜んで、病気は吹き飛んでしまったみたい。福岡に帰った時には、すっかり病気がいやされていて、学校の教師に復帰したの。それが私の信仰の初めね。

財布を1つにして生きる

その後、結婚することもできたのね。当時、福岡にはまだ幕屋がなくて、飯塚から伝道者の方が通っておられた。でも、汽車賃もかかるし、家を探すけど安い所はないし。それで、その伝道者の家族は、私たち夫婦と一緒に住むことになったの。

6畳に伝道者の家族3人、4畳半に私たち夫婦。主人も教師をしていて、2家族で財布を1つにしてね。伝道者の奥さんと八百屋さんで、くず野菜のいいところをもらってきたり、つくしや野蒜(のびる)を採ってきたりして食事にしてたね。貧しかったけど、うれしかったわ。

伝道者の方は押し入れで、毎日、異言(いげん)で祈っておられた。人を訪ねていって祈ると、不思議なことが起きるのよ。次々と人が集まって、1つの団地から7家族が集会に集まってきてたわね。

キリストが救ってくださったという感激があったから、伝えずにはおれないものがあったわ。この喜びを知らないなんて、人生損してるもんね。

去年、大学の同窓会に参加してきたの。幹事の人が、「腰が痛い、足が痛い、苦しい、でも頑張って生きていきましょう」みたいなことを言われたのね。

私に乾杯の音頭を、と頼まれたので、『生命の光』800号の「人生の詩篇(しへん)」を引用して、「そうじゃないですよ、これからが最善ですよ。『行動せよ、行動せよ、生ける現在に』。昨日のことは考えずに、一歩前進! 年取ったからって引っ込まずに、行動しましょうよ。明日に希望をかけて、乾杯!」って言ったの。

神様に一筋に信じて生きていくと、最善をなしてくださるのね。私は悪口を言われても、お金を貸しても、認知症なのかと思うくらい忘れてしまうの。焦らず、欲張らず、神様のレールに乗って今日を生きていたら豊かに生かしてもらえるの。毎日、一呼吸一呼吸が感謝なのね。人生で、今がいちばん充実しているわ。


本記事は、月刊誌『生命の光』2020年2月号 “Light of Life” に掲載されています。