友を訪ねて「寄り添ってくださる! ―視力障害者の夫と共に―」

守屋百合子

無邪気な笑顔がすてきな守屋さんをお訪ねしました。目の見えないご主人と30年余りを過ごし、天に送って2年を迎える月でした。(編集部)

今朝、亡くなった主人が初めて夢に現れたの。目が見えない人だったから、きっと私の顔を見てびっくりしたんじゃないかしら。

昔、主人が私の顔に触れた時、「こんなに鼻ペチャなんですけど」と言ったら、「鼻がついてるだけ、ましだよ」なんて笑いながら話したことを思い出しました。今はもう、見えているんですよね。

覚悟したつもりでも

私が40歳のころ、知人が視力障害のある方を紹介してくださいました。20代の時に交通事故で視力を失い、失意のどん底から単独でアメリカ留学をするような、ポジティブな人でした。私は知的障害のある子供の福祉施設で20年ほど働いていましたので、障害に対して不安はなく、むしろご縁を感じ、この方と一緒に生きていきたいと思いました。

多少の大変さは覚悟したつもりでしたが、結婚してみると盲導犬の扱い方、家具の配置や生活動線など、わからないことばかり。緑内障で目が見えない90代の義父と、70代の義姉との同居生活。それに主人は鍼灸院(しんきゅういん)を始めて1年半で経済的にも安定していない状況。家族は温かく迎えてくれましたが、急激な生活の変化に戸惑い、泣くこともありました。事情を知る人は、いつ飛び出していくか……と心配したようです。

ある時、ホテルの食事が付いた桂枝雀(かつらしじゃく)さんの公演に、一緒に出かけました。食事中に、私が主人のお弁当の仕切りのバランをさっと取った瞬間、「おれは園の子供じゃないぞ!」。普段は穏やかな主人ですのに、人目もはばからず烈火のごとく叱(しか)りました。施設の仕事をしていたからか、言葉や動きが先に出てしまい、主人の心に寄り添っていない自分の姿に気がつきました。

台所の片隅で

独身の時に親しくなった方に結婚を知らせると、毎月『生命の光』誌が送られてくるようになったんです。日曜の集会に誘ってくださいましたが、主人の手伝い、義父や義姉への気兼ねもあり、家を空けるのは難しいことでした。でも、思い切ってある特別集会に飛び込むように参加しました。話の内容はわかりませんでしたが、激しい祈りの中でいつの間にか赤ちゃんのように、わんわん泣いていました。不思議な体験でした。

それからは心ひかれて、近所の家庭集会に集うようになりました。皆さんと聖書を読み祈っていると心が慰められて、家に帰ってもその余韻が続きました。

主人はお酒が好きで、晩酌の時はラジオの面白い情報を話題にしながら、楽しい食卓でしたね。ですが、私が集会から帰って喜びを語っても、「信仰は自由だよ。でも、ぼくには押しつけないでね」と言うのです。信仰で生きる喜びを夫婦で分かち合えないことに、心の深い場所が触れ合わない寂しさを感じました。

いつも集う家庭集会に、イスラエル巡礼から喜びいっぱい婦人が帰ってこられました。うれしい雰囲気がその場を覆う中で、私だけ皆さんの喜びについていけないのです。「私には願ってもかなわない夢なんだ……」。そんな冷めた心でその場に座っていたように思います。

家に帰ってからも私の心には暗いものが覆っていて、たまらない気持ちで台所の洗い物をしていました。すると突然、「寄り添う」と心に響いてきたのです。

もうおなかの底から祈りが噴き出してやまず、涙があふれてその場に立ち尽くしました。「ああ神様、どんな時もあなたは私のそば近くに寄り添ってくださるのですね!」。台所の片隅にもやって来てくださるキリストを感じました。気がつくと心がすっかり明るくなっていました。その日はちょうど主人の誕生日でした。

「ああ、主人も私も神様に愛されている! 神様は、主人のことも見ておられたんだ!」とわかったんです。

「一緒になれてよかったぁ」

70代に入って主人に次々と病気が見つかりました。

しばらくすると悪性リンパ腫(しゅ)から白血病にもなり、治療しても1年、何もしなかったら2カ月と言われ、緩和ケアを勧められました。訪問診療・看護を受けながら、いちばん落ち着く自宅で療養することにしました。

昼も夜も気が抜けない中で、主人の調子が悪い時は、「神様、助けてください」と叫んで祈ったこともありました。どんな時も賛美歌を歌い、聖句に励まされながら、共に過ごすことができました。

弱音を吐かない主人でしたが、病状が進むにつれてつらそうな表情を見せるようになりました。思わず体を摩(さす)ったり揉(も)んだりすると、「鍼灸師のぼくが、あんたからマッサージしてもらえるなんて……ありがとう。ほんとうに気持ちよかねぇ。あんたと一緒になれて、よかったぁ」とさりげなく言ってくれました。うれしかったですねぇ。涙があふれました。一人で人生を謳歌(おうか)していた私に、神様は主人と生きる道を備えてくださり、どんな時も寄り添ってくださることを知りました。

主人にかかりきりだった生活から一人になり、寂しくなりました。1年余りが過ぎたある日、ふっと思い出したのです。毎日晩酌を楽しむ主人が、必ず1時間で切り上げて、「さあ、ここから後はあんたの時間だよ」と私を気遣っていた優しさを。

ああ、くよくよしていてはいけない。主人は私に残りの人生の時間をプレゼントしてくれたんだ。そう思うと胸に迫るものがあります。75歳となり、残された人生は何を目指しどう生きるのか、と。

もっと神様に喜ばれる歩みをしたい。「あなたのために何ができるでしょうか」、そう祈っていたら、感謝と共に大きな喜びが突き上げてきました。

こんな気持ちは初めてです。キリストの、広く深い御愛の世界の中で、まだまだ変わっていける人生が、希望でなりません。


本記事は、月刊誌『生命の光』877号 “Light of Life” に掲載されています。

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