信仰の対話「祈る姿から伝わるもの」

森脇弘子・烈

神奈川に住む森脇烈(れつ)さんは、久しぶりに故郷の高知に帰り、お母さんの弘子さんに会いました。お子さんたちの成長ぶりを伝えていると、話は亡くなったお兄さんのことに及んで……。

息子・烈 出社する時、たまに、2歳になった長男に泣かれるので、後ろ髪を引かれる思いで出かけるよ。

母・弘子 フフッ。やっと言葉が出るようになったのね。あなたもそう、話しだすのが遅かったわ。

 下の妹のほうは、早いよ。

弘子 やっぱり、女の子はそうね。あなたはのんびり、弟の義樹のほうがやんちゃで、ちょっかい出されても受け流しているお兄ちゃんだった。あなたは次男だけれど実質、長男みたいな感じで。

 それはそうだよ。冠哉(かんや)兄さんは、ぼくが生まれる前、赤ちゃんの時に亡くなっているんだから。

弘子 冠哉のことは、烈に話していたかしら。

 そんなには……。ただ、いつもいちばん目立つ所に写真が置いてあったので、だれ? と聞くと、あなたのお兄さんよって。

拭えない恐れ

弘子 そうだったわね。冠哉は生後4カ月の検診で異常が見つかって、骨髄性白血病だったの。兄弟がいれば骨髄移植の可能性もあるけれど、長男だったのでそれもできず、ほかに根本的な治療法はないって言われて。
初めての子育てでそういう重い病気になって、私はオロオロするばかり。小さな細い腕に何回も注射針を刺されるのを見るのは、つらくって。7カ月の闘病で、ハイハイもできないまま、亡くなってしまった。

 うちの子供たちもまだ小さいけれど、そんな時に死んでしまうなんて信じられないというか、自分だったらどうなんだろう、立ち直れるんだろうかと思うよ。

弘子 信仰をもっていた私だって、立ち直れなかった。胸に風が吹き抜けていくようで、何度も冠哉の名前を呼んでいないと落ち着かないほど、不安定になって。
あの時、同じように幼いお子さんを亡くしたことがある幕屋の方が、すごく励まして、祈って支えてくださって。そういう方たちがいたから、過ぎ越してこられたと思う。
でも、あなたや2歳下の義樹が生まれてからも、恐怖心みたいなものが残っていてね。小さいころって、よく熱を出すでしょう。そうすると、何か悪い病気の兆候なんじゃないかと思って、すぐに病院に連れていっていた。二度と子供を失いたくない、という思いからくる恐れが、どうしても拭(ぬぐ)えなくて。

 ああ、それを聞いて、合点がいったことがあるよ。子供のころ、ピンク色の甘い薬があって、がぶ飲みしたら、お父さんは、「大丈夫だよ」って言っていたのに、お母さんに病院に連れていかれて、すごく怒られた。なんでそんなに怒るんだろうって思ったけれど、冠哉兄さんのことがあったから、心配だったんだね。

「この子たちはあなたのものです!」

弘子 あなたが小学5年生の時、私が聖地イスラエル巡礼に行ったことは覚えてる? うちにおばあちゃんが来て、あなたたちを見てくれて。

 うん。小さかったからお母さんが何でイスラエルに行くのかは、わかっていなかったけれど。

弘子 お父さんが私のことを思って、ぜひ行ったらいいと勧めてくれたの。その巡礼がとってもうれしくてね。どこに行っても、自分は神様に愛されている、とひたひたと感じて、エルサレムにある「嘆きの壁」で壁に手を突いて祈っていると、柔らかい、温かい、神様の胸にすがって祈っているっていう、そんな感触がした。

 ぼくも子供心に、帰ってきた姿を見て、お母さんがうれしそうだな、と思っていたよ。

弘子 帰ってきて集会で祈っていると、巡礼中の光景がよみがえってきて。あの時の何ともいえないうれしい雰囲気に包まれたら、「神様、私の2人の息子たちも、あなたの御愛に生かされる者にしてください。どうか、あなたの福音のために仕える者としてください。この子たちはあなたのものです!」という思ってもみない祈りが突然、外から私の中に飛び込んできた。
それまでの、二度と子供を失いたくない、と恐れていた心とは、全然違うでしょう。恐れて、親が子供を抱え込むのではなく、神様におゆだねする、神様のものになるということが、何より素晴らしいことなのね。

小さな悩みが積もった時に

 そういう祈りがあったからかな。高校1年の時、幕屋の若人の集会で祈っていたら、胸の中がすごく熱くなって涙が止まらない、うれしい経験をした。その時、お母さんの祈っている後ろ姿が浮かんできたんだ。いつも家で祈っているのをぼくが見ていた、あの姿が。
小さいことに悩む子供だったので。どもりがあって、言葉に詰まって失敗したことが夜にフラッシュバックしたりして。小さな悩みが積もっていたけれど、あれが初めての大きな信仰の転換点だったなって。だから今、幕屋の若人のためには何でもしてあげたいんだ。

弘子 あなたの弟の義樹は、高校生のころから長い間、幕屋に来ていなかった。けれど、あなたが同じ信仰をもつ人と結婚することになって、その式に出た時から、驚くほど熱く信仰で生きはじめたわね。

 式では、一切を神様におゆだねして、天の御思いにかなう家庭を築く新出発をすることをキリストの御前に誓う、厳粛な体験をした。そういう場に触れて、義樹の心が変わったのかな。

弘子 私は義樹が神様のもとに帰ることをずっと祈ってきたから、ほんとうにうれしいわ。

 子供を失うことが怖くて恐れに縛られていたお母さんの心が変わって、ぼくたちを神様におゆだねする思いになったということは、すごいよね。
ぼくも、結婚してもなかなか子供を授からなくて、5年たってついに与えられたから、子供たちほど大切なものはないよ。でもだからこそ、これから育っていく時に、どんな習い事をさせるかとか、いい学校に入れていい就職を、ということよりも、キリストの神様と共に生きていくことのありがたさ、大切さが伝わる、そんな親の姿でありたいな。


本記事は、月刊誌『生命の光』844号 “Light of Life” に掲載されています。