イスラエルからのたより
「日本で目覚めたユダヤの心」

アヴィヴ・メルツェル

 私たちキリストの幕屋は、聖書の国イスラエル、聖書の民ユダヤ人と親しい関係にあります。今回は、私たちの心の友メルツェルさんを訪ね、お話を伺いました。(エルサレム在住 小久保乾門(そろもん))

私は長年、イスラエルの大学でヘブライ文学を教えていました。

ある年のこと、大学の経費で4カ月間、世界のどこででも研究していいという機会を与えられました。同じ学科のピンハス・ペリー教授と食事をしている時、「君は何をするつもりか」と尋ねられ、「ある所でヘブライ語を教えないか。特別な授業だ」と言われました。

ユダヤ教の指導者でもある彼は、私がその時、離婚をして非常に心痛んでいることを知っていて、何とか励まそうとしてくれたのでした。

彼はその場でどこかに電話をし、私にこう言うのです。
「1週間後に東京に来てほしいそうだ。彼らは返事を待っている」
「えっ、日本ですか? そんな所にヘブライ語を学びたい人なんて、いるのですか?」
「私を信じなさい。決して後悔させないよ」

こうして私は、その翌週には日本に旅立ったのです。

ペリー教授とはとても親しくしていましたし、また学生に交じって彼の授業に出席するほど彼を尊敬していました。ただ彼が日本の幕屋という、聖書の信仰を通してイスラエルと深いつながりをもつグループの大親友だということは、後になって知りました。

イスラエルの歌の大合唱

初めて日本に着いたその時から、驚きの連続でした。成田空港で私を待っていたのは、6メートルの大きな歓迎バナー。一緒に飛行機を降りた人たちは、一体だれが乗っていたのか、という顔で見ていました。40人もの出迎えの幕屋の人々と一緒に貸し切りバスに乗ると、突然アコーディオンを渡されました。私がアコーディオンを弾けるということが、ペリー教授から伝わっていたのです。そして、イスラエルの歌の大合唱。

幕屋の人の中には、イスラエルの大学で学ぶなどしてヘブライ語を話す人もいますが、皆がそうではありません。でも、聖書の原語であるヘブライ語の歌をいくつもうたえるのです。私はすっかり仰天してしまいました。それほど聖書にひかれている人たちなのです。

それから私は、北から南まで、日本の各地の幕屋を訪れてヘブライ語を教えました。そこには、神への愛、聖書と聖書を生み出したイスラエル民族への愛、そして人間への愛があふれているのを見ました。

それは、私の人生を大きく変える体験でした。そこで学んだことは、たとえイスラエルにあと100年住んだとしても学べないようなことでした。

私はユダヤ人ですが、育ったのは宗教的な家庭ではなく、祈ったり、ユダヤ教の律法を守ったりということはしていませんでした。それが、すっかりひっくり返ってしまったのです。

メルツェルさん夫妻

「これが本当の祈りだ」

私が日本で出合った最大のものは、祈りです。私はそれまで、ユダヤ教徒が礼拝するために集まる会堂(シナゴーグ)にほとんど行ったことがありませんでした。人生で最初に祈りを学んだのは、日本の幕屋でのことなのです。

ある日、私は名古屋の幕屋にいました。40人くらいの人々が集まり、皆さんが私のアコーディオンに合わせて歌っていました。私は、『スィム シャローム』(平安を与えてください)という歌を弾きはじめました。私の伴奏と歌に合わせて、みんなが目を閉じて、静かに歌っています。そして、歌い終わると自然に、全員が涙を流して祈りはじめたのです。

祈りが終わると、皆はまさに兄弟のように、感動で互いに抱き合いはじめました。私にも家族があり、昔からの親友がいて、ハグはしますが、このような涙を流しながらの深い抱擁には初めて接しました。

私はその時、一人の婦人に、「どうして泣いたのですか?」と聞きました。すると彼女は、「歌いながら、ほんとうにイスラエルに平和が来てほしいと祈っていました。すると神様の霊を感じて、神様が私たちと共にいてくださることを覚えました。その時に、ああ、神様は必ず平和をもたらしてくださる、と確信がわいてきて、うれしくて涙が流れたのです」と言いました。

彼女の言葉を聞きながら、私も心が揺さぶられて、涙が流れました。神を間近に感じて祈る。「ああ、これが本当の祈りだ」と知った瞬間でした。

民族の宗教を回復して

3カ月間、各地の幕屋を回るうちに、私の悲しみは喜びに変わり、宗教の素養のなかった人間が祈りの喜びを知り、涙して祈る者に変わってしまいました。

イスラエルに帰国した私はやがて、ユダヤ教の信仰がとても深いサラと再婚し、自分の民族の宗教であるユダヤ教を大切にして、心から喜んで生活するようになりました。このような自分になるとは、以前は思ってもいませんでした。

今、私は会堂(シナゴーグ)に通い、ユダヤ教の伝統的な祈り方をしていますが、その根本は今でも、あの時幕屋で出合った、神の霊を感じて祈ることなのです。

メルツェルさんのように、各々の宗教を尊びながらお互いを高め合うことができる友が、聖書の民の中に何人もいるということは、私たちの喜びです。


本記事は、月刊誌『生命の光』835月号 “Light of Life” に掲載されています。