童話「チコの月旅行」【朗読音声つき】


【朗読音声付き】


「はあー、今日もできなかったなあ、さかあがり」

チコは、何をやってもダメな自分が大嫌い。

本当の名前は「ちえこ」だけど、背がひくいから、みんなチコと呼びます。

「月に行けたらいいのになあ。そしたら神様に会えるかもしれない。神様に会ったら、こうお願いしよう。お姉ちゃんと私を取り替えてって」

チコは月が大好きでした。月には神様がいて、いつも遠くから見守っていてくれると信じていました。

チコがその日、家に帰ると、だれもいませんでした。

「お母さんは買い物か……」

そう思ったとき、電話のベルが鳴りました。

「チコさんですか? いいお話があるんです。あなたは月に行けるんです。今日の夕方、日の沈むころに公園の池の前に来てください」

びっくりしたチコは、とっさに

「じゃあ、何を持っていけばいいの?」

「そうですねえ。キュウリとナスをお願いします」

夕方、チコは約束の公園に行きました。リーンリン、聞こえるのは鈴虫の声だけです。

「だれもいないじゃない」

帰ろうとしたチコは、だれかに呼び止められました。

振り向くと、そこには、黄色い帽子をかぶった1匹の鈴虫が立っていました。

「初めまして! 私は鈴虫のリンと申します。今年、ムーンライト・トラベルに入ったばかりのピカピカの新入社員です。このたびは、当社の『夢の月旅行プラン』にご参加いただき、まことにありがとうございます」

「え? これって本当の話なの?」

「本当ですとも。それではさっそく、お約束の旅費をいただきましょう」

「何も持っていないわよ」

「なんですってえ。それじゃあ、残念ながらお供することはできません」

慌てたチコはポケットの中をさぐりました。出てきたのは、キュウリとナス。

「なあんだ、お客さん。ちゃんとお持ちじゃないですか」

リンはそう言って、キュウリとナスをうれしそうに受け取りました。

「ちょっと鮮度が落ちてるけど、まあいいでしょう」

「あのお、何に乗って月まで行くの? ロケットかしら?」

「ロケット? 何ですか、それは。コロッケなら知っているけど。角の肉屋のコロッケはおいしいと思いますよ、たしかに……」

「じゃあ、どうやって?」

「今夜、ここにできるんです、道が」

「みち?」

「そう、道。それは、しょっちゅうできるもんじゃないんです。一生に一度、見ることができるかどうかというものなんです。その道に上手に乗れば、月にも簡単に行くことができます。乗り方にちょっとコツがありますが、私のするとおりにやれば大丈夫です」

西の空に、夕日がゆっくりと沈んでいきました。太陽の上の端がだんだん小さくなって、ちょうど点になったとき、その一点の光がくだけてキラキラとチコの目の前にちらばって、いつの間にか一本の道になっていました。

「たいへんお待たせしました。これがその道です。私のあとに続いて、この道に乗ってください」

そう言って、リンはピョーンと1メートル以上の高さにある道の出発点に飛び乗りました。

「えーっ! できないよ。私、跳び箱の3段も跳べないんだから」

「大丈夫、やってみてください」

「できない、できない」

「できます! この道の一番先には月があるんですよ。それに、太陽が沈みきる前に乗らないと、この道は消えてしまうんです!」

それを聞いたチコは、「やってみよう」と思いました。

タッタッタ、エイッ!

「おみごと、おみごと!」

チコは道に飛び乗ることができました。

2人はキラキラ光る星くずのエスカレーターに乗って、どんどん月に向かって昇っていきました。その気持ちいいことといったらありません。

下に広がるチコの街は、どんどん小さくなっていきます。辺りは暗くなり、家々の明かりが点々とついていきました。なんてきれいなんでしょう。

チコの大好きな月が、もう手に届きそうなところまで来たとき、エスカレーターは突然止まってしまいました。

「どうしたの?」

「ウーン。やっぱり止まってしまいましたか。乗っている人の心の中に、重たいものがたくさんあると、この道は止まってしまうんです。この前のお客さんもそのせいで、ここから上に行けなくなってしまったのです」

「私の心の中に重たいもの?」

チコはふと自分の胸もとを見ると、そこには『こころ』と書いてあるポケットが1つ付いていました。チコはその中に手を入れて開けてみました。

すると、『私は小さくて、いつもバカにされる』と書いたカードが出てきました。

「おきゃくさーん、こんな小さな私を目の前にして、よくそんなことが言えますねえ。それにほら、下の世界を見てください」

下を見ると、たかーいビルも小さな点にしか見えません。

「どんなに大きく見えるものでも、空から見れば小さいものです」

チコは下を見下ろして、大きく息をつきました。

「本当、本当にそうだね」

チコがそう言うと、そのカードはシュワシュワと溶けていきました。

次に出てきたカードは、『お姉ちゃんは何でもできるけど、私は何もできない』

「何もできないって、どういうことですか? あなたはこうやって、私とおしゃべりしているし、歩くことだってできるじゃないですか」

「そういうことじゃなくて、勉強とか、水泳とか、さかあがりとかもできないの」

「この道に乗ったときのことを思い返してくださいよ。できないと言いながら、できたじゃないですか」

「そういえばそうだね。私にもできたよね」と言ったとき、2枚目のカードも消えてしまいました。3枚目に出てきたカードには、『私はいつも、ひとりぼっち』と書いてありました。それを見て、リンはとても困ったような、さびしそうな顔をしました。

「ウーン。これは私では解決できません。とりあえず、このカードだけはお預かりしておきましょう」

リンはそう言って、そのカードを頭の上において帽子をかぶり直しました。

ガタンと揺れて、エスカレーターはゆっくりと動きはじめました。月はどんどん近づいて、とうとう2人は月に到着しました。

「うわあ 、きれい!」

月から見る青い地球は、なんて美しいんでしょう。

「それでリン、神様はこの月のどこに住んでいらっしゃるの?」

「神様は、月に住んでいらっしゃるわけじゃないんです」

「じゃあ、どこに?」

「神様にお会いしてどうするつもりなんですか?」

チコは神様に、お姉ちゃんと自分を取り替えてくれるようにお願いしようと思っていたので、『こころ』のポケットを探ってみました。けれども、そんなことの書いてあるカードは、どこにも見当たりません。

チコは絶対あるはずだと思って、ポケットの奥のほうに手を突っ込みました。

すると、いちばん奥の奥に1枚のカードが入っていました。

そーっと取り出してみると、

そのカードは今までのカードとは違って、金色に輝いています。

「これは何かしら?」

「ああ、やっと見つけてくれましたか! それは、しるしのカードですよ」

「何のしるし?」

「神様がいっしょにいてくださる、しるしです。だれの心にもそのカードはあるのですが、それに気づく人はとても少ないのです」

「神様がいっしょにいてくださる、しるし……」

チコは今まで、神様は遠くから見守ってくださると思っていたのに、こんなに近くに、それもチコの心の奥に住んでいてくださることを初めて知りました。

「神様はいっしょにいてくださる」

チコはそのカードをまぶしそうに見ながらつぶやきました。

「チコさん、これは先ほど預かったカードですが……」

そう言ってリンは帽子を取りました。

「あれ? もう、溶けちゃいましたね」

リンはパチンとウインクをしました。

「私は、ひとりぼっちじゃないんだね!」

「そうですとも! 金色のカードがそのしるしです」

チコは金色のカードを大事そうに心の奥にもどしました。そして、青く美しい地球をじっと見つめました。

「これから、どうなさいますか?」

「家に帰るわ。そして何でもやってみる!」

「それじゃ、この宇宙の暗闇に向かって、一歩前に出てください」

チコはもう怖がりません、神様がいっしょにいてくださるから。

チコは大きく一歩、踏み出しました。そのとたん、リンの姿も、青い地球も、見えなくなりました。ただ、フワフワと何か温かいものに包まれて……。

気がつくと、チコは自分のベッドの中にいました。窓からは朝日がさし込んでいました。

「あれは、夢だったのかしら」

そう思ったとき、ノックの音がして、お母さんが部屋に入ってきました。

「さっき新聞を取りにいったら、こんな紙切れが入ってたわよ」

チコは急いで開いてみると、小さな字でこう書いてありました。

チコはクスッと笑いました。

「さあ、今日は早く学校に行って、さかあがりの練習をしよう!」

チコは元気よく、立ち上がりました。

(おわり)

文・まちやま みねこ
絵・ふるかわ ルデヤ
朗読・ちょうこ


チコのモデル ――作者あとがき――

チコのモデルは、私(まちやま みねこ)です。この絵のようにかわいくありませんでしたが。

子どものころの私は、小児喘息がひどく、体が小さくて、学校もほとんど休んでいました。たまに学校に行っても、体育が苦手で、鉄棒のさかあがりがどうしてもできず、跳び箱は3段も跳べない。走るのはおそいし、泳げない。ピアノは何年かかっても、入門編のバイエル。

その一方、姉は、小学生のころオール5だったんです。今は子供が5人ですが。体育もできるし、同時に始めたピアノはバッハなんか弾いていました。

私は劣等感のかたまりでした。

けれども、高校3年生のときに、コンバージョン(回心)して 「あのときも、このときも神様がいてくださった」 ということを知った時、感謝の涙があふれてあふれて、通学の自転車に乗りながら、泣けてならないときがありました。

それ以来、私の劣等感は溶けたように思います。勉強もやる気になって、成績があがり、大学に入りました。

というわけで、チコは、私の少女時代の姿です。

絵をかいてくださった、ふるかわルデヤさんは、私と同じ山形県出身で、幼いころの私をよーく知っておられて、イメージをわかせて描いてくださいました。

ちなみに、さかあがりはいまだにできません。

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