聖書講話「天を仰ぎ、呻き祈る」マルコ福音書7章31~37節

福音書の中には、イエス・キリストが多くの病める人をいやされた記事が出てきます。そこには、キリストの祈られるお姿が具体的に描かれています。たとえ短い記述でも、それらをつぶさに読んでゆくと、イエス・キリストのなされた伝道とは何かが教えられます。
本講話では、聾唖者(ろうあしゃ)をいやされるイエスの姿を、手島郁郎がこまやかに繙(ひもと)いて語っています。(編集部)

今日はマルコ福音書7章、イエス・キリストが聾唖の者をいやされた記事を学びます。イエスは多くの病める者をいやしたもうたが、どのようにしていやされたのか、どういう伝道をされたのか。その点こそ、私たちが最も知りたいことでありましょう。

20年前(1948年)、私が伝道を始めた時、この福音書の記事が大いに参考になりました。当時、私は伝道については五里霧中の状態でした。それで、この記事を何度も何度も読みました。そして病のいやしを求める人を前にして、「イエス様、あなたならどうなさったでしょうか」と問いました。

またそのころ、ドイツの大聖書学者A・ダイスマンの著した『イエスの宗教とパウロの信仰』という本を読みました。そこには、イエスの宗教は、現代の教会の信仰とはだいぶ違う。イエスの祈られた祈りは、教会の祈禱書のようなものではなく、父なる神との深い交わりであり、愛する者たちへの執り成しや嘆願であった――ということが書かれていて、マルコ福音書のこの記事のことを語っています。

私は「そうか! イエス様は、こういう伝道をなさったのだ。自分はイエスの弟子として、かくありたい」と決心しました。そして、この福音書の記事に書いてあるとおりにしますと、不思議に多くの人々がいやされるという奇跡が起こりはじめました。

席の暖まる暇もなく

それから、イエスはツロ地方から出かけて、シドンを経てガリラヤの海辺に向かって、デカポリス地方の真ん中に来られた。すると人々は、耳が聞こえず口のきけない人を、みもとに連れてきて、手を按(お)いていただきたいと願った。

マルコ福音書7章31~32節 私訳

イエス・キリストは、故郷のナザレで伝道された時に、そこの人々の不信仰を驚き怪しみ、ほとんど奇跡をなされませんでした。故郷に失望し、ガリラヤ地方で伝道され、今度は異邦の地ツロ、シドンまで出かけて、イスラエルの失(う)せたる羊を尋ねて回られた。どこかに、神のために喜んで己をささげるような尊い霊的人物はいないか、と探して回られました。至るところでたくさんの人には会われたでしょうが、霊的な人物に会うこともなく、今度はガリラヤ湖に向かって出発し、そしてデカポリス地方に行かれた。

デカポリスというのは、ガリラヤ湖の南東の地方をいいます。デカとは「10」、ポリスとは「都市」で、「10の都市」という意味です。すなわち、イエス・キリストの時代、この地方にはギリシアの勢力が建てた植民都市である、10の大きな町があったのです。

現在、ガリラヤ湖の南方にベテシャンという町がありますが、ここも、ヘレニズム文化の影響が色濃かったデカポリスの一つで、今でも大きな円形劇場やギリシア風の列柱街道の跡が遺っています。そういう所に住んでいたユダヤ人は進取的です。イエスが、ツロやシドンを経てデカポリスに行かれたということは、もう古くさいユダヤ教の宗教家たちに愛想を尽かして外国に行かれた、ということです。このように、西に東に席の暖まる暇(いとま)もなく伝道なさったのが、イエス・キリストでした。

儀式を行ない、お説教したり、宗教論議をしたり、独り静かに瞑想(めいそう)にふけったりすることが宗教であるかのように思われるときに、イエス・キリストは、昨日は西に今日は東にと歩いておいでになる。そして、ひしめくようにやって来る気の毒な人たちの友となり、夜を日に継いで人々を愛したもうたのです。イエスといえば物静かな聖人を想像しやすいけれども、非常に活動的な方であったのです。

ベテシャンの遺跡

接触する伝道

32節(口語訳)に、「すると人々は、耳が聞えず口のきけない人を、みもとに連れてきて、手を置いてやっていただきたいとお願いした」とあります。「手を置く」というのは「按手(あんしゅ)する」という言葉です。「幕屋では、按手という奇妙なことをする」と言って、ある教会のクリスチャンは笑います。けれども、キリストの宗教を突き詰めて学ぼうとするならば、「按手」ということが非常に重大であるという考えに至らねばなりません。

すなわち、イエス・キリストの伝道を極端に表現するならば、「接触する伝道」であったといえます。なぜなら、キリストの体に流れていた天の生命は、触れて伝える以外にはなかったからです。もし本を読んで神がわかるなら、キリストが地上に肉体をとって現れる必要はありませんでした。

永遠の生命というものは、論理的な言語では説明し尽くせません。触覚的にというか、つらつら見聞きし、直接に手触りしてしか伝えられないもの――これ、生命なのです。

それだからこそ、イエス・キリストに触れたい、触っていただきたい、と多くの人が集まってきたのでした。そして、ただイエスの不思議な雰囲気に触れるだけで救われる。それほど、イエス・キリストは聖霊に満たされておられた。また、求める人たちの求め方も必死でして、今とは違っていました。

人は言います、「奇跡の時代は去った。今の人々は、もう奇跡なんか信じない」と。だが、そうではない。奇跡がないのではなくして、奇跡の人がいないのです。

今の人々が奇跡を信じないのではなく、イエス・キリストのように、ありありとした奇跡を手触りできるほどに示す人がいないから、奇跡を期待もしなくなったのです。

しかし次の世紀になったら、多くの人々がこれを要求するでしょう。議論の宗教をする時代は過ぎました。教理を信じて救われると思うような、気休めの信仰は過ぎ去ります。

もし、イエス・キリストのようなお方が今後出たならば、全世界がテレビで映し出すでしょう。ありありと目で見るのですから、もうだれも疑いません。ありありと体験する時代、これが21世紀です。宗教もそういうものでないと、人々が信じません。

按手によって伝わる生命

この按手が聖書で最初に出てくるのは、イスラエル民族の父祖ヤコブが、その子ヨセフの2人の息子たちに按手した創世記の記事です。旧約聖書を読んでみると、按手は祝福の方法として、4000年前から行なわれていたことがわかります。

また、モーセが年老いて死ぬ前に、神からのお告げがありました、「おまえはもうすぐ死なねばならない。おまえのそばにいつも忠実に付いて離れなかったヌンの子ヨシュアに、按手せよ。そうしたら、おまえに宿っている神の霊が彼に乗り移るであろう」(民数記27章、申命記34章)と。すると、モーセに臨んだ神的性質がヨシュアに乗り移ったので、彼はついにカナン征服をやり遂げるまでにもカリスマ的な人物と変わりました。

聖書における按手は、神の霊に満たされた人が、自分に満ちている不思議な生命を伝達する方法として行なわれたのです。それでパウロはテモテに「軽々しく人に手をおいてはならない」(テモテへの第一の手紙5章22節)と言っております。自分が霊的でない状況の時に按手したって、何も起きません。また、相手が信仰をもって近づかないのに按手しても、何も起きません。

なぜ多くの人々が、キリストに触れまつることを求めてやって来るのか。油注がれた者に触れてその霊に与(あずか)りたい、それが眼目だからです。このことは、現代キリスト教が見失っている重大なポイントです。私たちはぜひとも、そのような原始福音を現代に回復しなければなりません。

困難な条件下にも

そこで、イエスは彼ひとりを群衆の中から連れ出し、その両耳に指をさし入れ、それから、つばきでその舌を潤し、天を仰いでため息をつき、その人に「エパタ」と言われた。これは「開けよ」という意味である。すると彼の耳が開け、その舌のもつれもすぐ解けて、はっきりと話すようになった。イエスは、この事をだれにも言ってはならぬと、人々に口止めをされたが、口止めをすればするほど、かえって、ますます言いひろめた。彼らは、ひとかたならず驚いて言った、「このかたのなさった事は、何もかも、すばらしい。耳の聞えない者を聞えるようにしてやり、口のきけない者をきけるようにしておやりになった」

マルコ福音書7章33~37節

ここでイエスは、耳が聞こえず口のきけない人をどうやっておいやしになったか。私は昔、ここを何度も読み返しながら、何か願い事があっても言葉で言うことのできない人の心に、魂に、何とかして触れようと努力しておられるイエスの姿を見て、「ああ、これが伝道なんだ」と悟りました。

イエスがデカポリスまで出かけてきたのに、救済すべき相手は聾唖者でした。けれども、どんな難しい条件下の人をも救いえたのが、イエスでした。

イエスは、彼一人を群衆の中から連れ出された。このことは大事です。奇跡は公衆の面前で起こる場合もありますが、難しい奇跡はひそかに起こるものです。

たとえば、会堂司ヤイロの娘が死んだ時もそうです。人々は死を悲しんで、大声で泣き叫んでいましたが、イエスはペテロとヤコブ、ヨハネだけを連れて、その部屋に入られた。そして「タリタ、クミ! 娘よ、起きよ!」と言われると、娘は生き返って起き上がってしまった、という記事があります(マルコ福音書5章)。

不信仰な雰囲気の中では、奇跡は起きません。私は病院に行って人前で祈ったりしない。しかし、親や周囲の人が必死になっているときは、どんな所でも奇跡は起こるものです。

「イエスは、彼の両耳に指をさし入れた」とありますから、イエスはこのような場合、按手の代わりに特別な接触のしかたをされたということがわかります。耳に指を入れて鼓膜に触るわけではありませんが、耳の皮膚に触れると、その触覚を通して神経に作用する。それが人の心に触れる結果となります。聾唖者には言葉が通じません。皮膚に触ってしか、心を通じ合わすことはできない。接触によって心のメッセージが伝達されるのです。

次にイエス・キリストは「つばきで彼の舌を潤した」とあります。たぶん指につばを吐きかけて、その指で触られたのでしょう。昔からつばには薬理的効力があると信じられていたのでイエスはそうなさったのだろうと、ある注解書には書いてあるが、そうではない。霊の作用の媒体として用いられたのです。イエス・キリストはつばをつけて、何かを神経に伝え、覚醒させようとされた。神の霊を作用させていやそうとされたのです。

愛に身もだえしつつ

イエス・キリストの伝道は手が込んでいるように見えますが、でもこれは、愛がそうさせるんです。愛は知恵の泉です。愛は知らない力を引き出します。愛は知らずして効果的方法を発見します。愛するがゆえに何とかして救おうとされた努力が、尊くてなりません。

そして「天を仰いでため息をつき」(34節)の「ため息をつく」は、原文では「呻(うめ)く」という意味です。祈る時、瞑目して祈ることもありますが、ここではイエスは天を見上げ、天の一角を見さくるように見つめながら、「ああーっ、神様」と呻くように祈りたもうた。

どうしてイエスは呻かれたのでしょうか。それは、祈ったけれども思うに任せず、成果がなかったからか。あるいは、「この人は人間として生まれながら聾啞とは、かわいそうに」と思って、ご自分の心が痛んで呻かれたのでしょう。

同情心の深かったキリストは、わが身がもだえるようにも同情し、自らその人の病患(わずらい)を身に負うて痛まれ、呻かれたのです。この愛が天の力を引きつけます。困難な祈りの時でも、人をとがめず、神に呻かれたキリストは今も聖霊として、私たちの困難な問題に対して、奇跡が起きそうもないような状況に対して、呻きつつ執り成しておられます。

この人は聾者ですから、どんなによい説教をしても聞こえません。そんな場合に、どうやって伝道するのか。イエス・キリストは心を込めて、呻くようにして神に祈られました。これがイエス・キリストの祈りです。私たちの上品な祈りと、だいぶ違いはしませんか。

また他の箇所にも、「人々が一人の盲人を連れてきて、いやしていただきたいと願った。それで、イエスは盲人の目につばきをつけて祈られたが、人が木のように、歩いているように見える程度でしかなかった。そうか、それならといって、もう一度祈られたら、はっきり見えるようになった」(マルコ福音書8章)とあります。私には、これらの聖句は深い慰めです。イエスですら病人のために祈っても、一度ではうまくゆかなかった。それならば、私なんかはなおさらのこと、祈って祈って、幾度も祈り直さねばなりません。

いつでも、幾度でも、必死になって祈られるのがイエス・キリストです。ゲッセマネの園においては、血の汗したたらせて3度も祈られた。これがイエス・キリストの祈りの姿でした。なぜ私の祈りが聴かれぬのだろうか? と言うなかれ。あなたにはその病人に対して、また他の人に対して、キリストのような激しい愛があるかどうか?

天を見上げて呻くように祈りつつ、「イエスはその人に『エパタ』(アラム語で「開けよ」の意)と言われた」(7章34節)。すると彼の耳は開け、口もきけるようになったのです。

現代のエパタ物語

1960年、雲仙(うんぜん)で新年聖会をした時のことでした。群馬から来た一人の婦人が、耳も聞こえず、口もきけず、目も見えない三重苦の毒島(ぶすじま)もと子さんを連れてきまして、「この人をいやしてください」と言うのです。私はこれには困りました。

「毒島もと子さん!」と呼んだって、声は聞こえやしないし、私の顔が見えるわけでもありません。どうにも手の施しようがありませんでした。私はしかたありませんから、まずその人を抱きしめて、ひげで頬(ほお)ずりしました。目は見えず耳は聞こえずとも、触覚的に強烈な印象を与えることができます。

やがて目に手を当てて祈ると、「ああ、ああ……」と言うではありませんか。ぼんやりながら目が見えだしたから、次に黒板に大きい字で「あなたは魂で見なさい」と書きました。すると、「ええ」とうなずきました。

「それじゃ、耳が聞こえるようにしよう」と言って、キリストがなさったとおりに、つばをつけて耳に按手し、そして舌に手を当てて、イエスの名を呼んで祈りました。私は、イエスの真似をしただけです。そうしたら三重苦から解放されて、目が見えるようになり、物が言えるようになり、耳が聞こえるようになったのです。

そして最近、この毒島もと子さんは結婚されました。長い間、三重苦で苦しんできましたから、結婚できるとは夢にも思わなかったでしょう。しかし、信仰をもって近づく者にキリストの霊がタッチすると、不思議なことが起こるのです。これは現代の「エパタ物語」ではないでしょうか。聖書の奇跡は、決して2000年前の過去の出来事ではありません。

イエス・キリストの伝道は、聖霊に満たされた状況で、多くの人に触れる伝道でありました。なるほどイエスといえども人間でしたから、ある時には霊の作用が思うに任せなかったこともありました。しかしそのような時、呻くように言葉にならない言葉で祈られた。これがほんとうに大切です。

どうか、私たちも説教や理屈ではなく、体当たりで、体じゅうが聖霊に満たされて歩きとうございます。そして、触れるところのものすべてを、神の霊にインボルブ、巻き込むようにしたい。人を征服するのではない。人々を巻き込むような力で生かされたい。そのためには、まず私たちがイエス・キリストに似るような信仰をもたねばなりません。

私たちは、常に主の血に蘇生(そせい)して、いつもイエス・キリストのように、聖霊に神さびた日々を歩みとうございます。

(1968年)


本記事は、月刊誌『生命の光』846号 “Light of Life” に掲載されています。