聖書講話「ガリラヤ湖の岸辺に立ちて」ヨハネ福音書21章1~8節

イエス・キリストは2000年前、十字架につけられ死なれましたが、3日目に復活された。今も多くのキリスト教徒がそれを祝います。しかし大事なことは、私たちが今も生ける復活のキリストに出会い、救われることです。
今回は、まだ海外旅行の難しい時代、2度目にイスラエルを訪れた手島郁郎が、帰国後の復活節で語ったヨハネ福音書21章の講話です。(編集部)

今日は復活節(※注)、イエス・キリストの復活を記念する日です。

十字架につけられて死んだはずのキリストが復活された。これは、人間の頭でどれだけ考えても理解できない出来事で、いくら議論しても尽きることはありません。復活ということに限らず、こと宗教については、低い人間の次元から高い神の世界、未知なる霊の世界をかいま見ることですから、どれだけ議論しても果てしがありません。

今日は、復活のキリストが2度目に弟子たちに姿を現されたことを記したヨハネ福音書21章を読んでまいります。

(※注)復活節

復活祭ともいう。十字架にかけられたイエスが、3日目に復活したことを記念し祝う祭り。毎年春ごろに行なわれ、キリスト教において最も重要な祭りとされている。

「復活」を証しする土地

そののち、イエスはテベリヤの海べで、ご自身をまた弟子たちにあらわされた。そのあらわされた次第は、こうである。シモン・ペテロが、デドモと呼ばれているトマス、ガリラヤのカナのナタナエル、ゼベダイの子らや、ほかのふたりの弟子たちと一緒にいた時のことである。シモン・ペテロは彼らに「わたしは漁に行くのだ」と言うと、彼らは「わたしたちも一緒に行こう」と言った。彼らは出て行って舟に乗った。しかし、その夜はなんの獲物もなかった。夜が明けたころ、イエスが岸に立っておられた。しかし弟子たちはそれがイエスだとは知らなかった。

ヨハネ福音書21章1~4節

ここにある「テベリヤの海」とは、イスラエル北部にあるガリラヤ湖のことです。

今度、私はイスラエルを巡礼し、ガリラヤ湖のほとりに行き、この記事の舞台を訪れました。そこは非常に麗しい景色で、緑なす木々がいっぱい生えております。そして、崖の岩間から滾々(こんこん)と清水がわいて潤っている、珍しい所です。

イエス・キリストはよみがえられた。そして今も不思議に、ご自分の姿を愛する者たちに現してくださる。このことは、復活のキリストに出会った経験を得た者には「そうだ」と言うことができますが、経験のない者は「そんなことがあってたまるか」と答えるでしょう。

イエス・キリストが復活されたということは、普通ならば信じがたいことです。

今までも復活節が来るたびに、私は「復活」についてお話ししてきました。けれども、このたびイスラエルに行って、何か復活ということを見た思いがしました。

あちらは日本と気候事情が違います。日本には四季があって、春から暑い夏になり、秋となり冬が来ます。ところがイスラエルでは春と秋がなく、一年の半分は乾季で、雨が降りません。しかし、雨季になってちょっと雨が降りだすと、乾季の間は一面の荒野と見えた景色であっても、1~2週間もたつと、もう野も山も草花で飾られるようになり、素晴らしい見ものに目をみはります。死んだと見えるような生命のない茶褐色の野原が、一面の緑をなす。死んだような大自然がよみがえる、鮮やかな「よみがえりの春」を見て、大変驚きました。

自然においても、死んだと思えるものがよみがえるということが起こる。そのような土地に生まれた宗教がキリスト教です。これが、キリスト教の重要な背景であります。

一方、ガリラヤ湖の岸辺は乾季でも木が生えております。どうしてか。わいてもわいても尽きぬように、滾々と水がわいているからです。そのように水がわいている所は、周囲が枯れ野のようでありましても、木や草花が茂ることができます。

全く死んだような、絶望的な人生を嘆いている者たちの心にも、ひとたび内なる泉が湧きさえすれば、がぜん自分自身が、また自分の周囲が変わってまいります。

そういう意味で今回、真にキリストの復活を証しするにふさわしい場所を訪れました。

イエスが弟子たちに現れたガリラヤ湖畔

人生に行き詰まった時に

ガリラヤ湖の岸辺で、復活のキリストに接する経験をした者はだれであったかというと、「シモン・ペテロが、デドモと呼ばれているトマス、ガリラヤのカナのナタナエル、ゼベダイの子ら(ヤコブ、ヨハネ)や、ほかのふたりの弟子たちと一緒にいた時のことである」(21章2節)とあります。ここに書かれている弟子たちは、みんなイエスに愛された者たちでした。

しかしイエスの十字架の後、弟子たちは師を捨てて散り散りになって逃げました。そして、迫害を恐れて都であるエルサレムから逃亡して、ガリラヤにまでやって来た。かつてはイエス・キリストの弟子として、大きな宗教的使命を自覚した若者たちでしたけれども、世の救い主と思われたイエスが捕らえられて十字架にかかるという、理解しがたい出来事が起きますと、全く自分を失い、元の木阿弥(もくあみ)で漁師に戻ってしまいました。

私たちも、自分では勢い込んで信仰をしていても何かの拍子に信仰を失って、元の木阿弥になりかねない時があります。けれども弟子たちが信仰を失いそうな時に、イエス・キリストは弟子たちに姿を現された。これは福音です。大きな救いです。

もし、自分がほんとうに行き詰まって、生きる力も失っているようであるならば、むしろ私たちは、復活のキリスト、今も生きて不思議に弟子たちに近づきたもうたキリストに触れる、絶好の条件をもっているのです。

シモン・ペテロは漁師でした。エルサレムで復活の主に出会ったにもかかわらず(20章)、もうすべては終わった、いつまで考え事をしていても駄目だ、漁にでも行こうと思って、舟に乗りました。

ほかの弟子たちも皆、「そうだ、漁師は漁師で落ち着くのが本当だ」と言わんばかりに舟を漕ぎ出しました。けれども、彼らは出ていって、たぶん夕暮れから夜にかけて漁をしたのでしょうが、その夜は何の獲物もありませんでした。

ところが夜が明けたころ、薄靄(うすもや)の中にイエスが立っておられた。しかし、弟子たちはそれがイエスであるとはわかりませんでした。どうしてか。

朝靄がかかっていたためでもあるでしょうが、霊となったイエス・キリストのお姿が、先日まで肉体をもっていた時とはあまりに変わっていたためでしょうか。あるいは、弟子たち自身に霊の眼(め)が開けていなかったからか、そのいずれかでありましょう。

大きな祝福に霊眼が開ける

イエスは彼らに言われた、「子たちよ、何か食べるものがあるか」。彼らは「ありません」と答えた。すると、イエスは彼らに言われた、「舟の右の方に網をおろして見なさい。そうすれば、何かとれるだろう」。彼らは網をおろすと、魚が多くとれたので、それを引き上げることができなかった。イエスの愛しておられた弟子が、ペテロに「あれは主だ」と言った。シモン・ペテロは主であると聞いて、裸になっていたため、上着をまとって海にとびこんだ。しかし、ほかの弟子たちは舟に乗ったまま、魚のはいっている網を引きながら帰って行った。陸からはあまり遠くない50間ほどの所にいたからである。

ヨハネ福音書21章5~8節

弟子たちに何も獲物がなく、すっかり自信を失い、生きる希望を失っておりましたのを見て、キリストは「子たちよ、何か食べるものがあるか」と問われました。

彼らは「ありません」と答えました。何もない。人生の目的を失い、また食べるものすらない。この「食べるもの」というのは、ギリシア語の原文では「προσφαγιον プロスファギオン おかず、付け合わせ」という言葉です。売り物にはならずとも、自分の腹の足しになるくらいのものを指す言葉です。それすらも獲れなかった、というのです。それが、この時の弟子たちの状況でした。

岸辺に立つイエスは声をかけて、彼らに「網を舟の右の方に下ろしてみよ。そうすれば何か獲れるだろう」と言われた。この「獲れるだろう」は、原文では「見いだすだろう、出くわすだろう」という言葉です。

彼らが網を下ろすと魚が多く獲れたので、それを引き上げることができないほどだったという。その時、イエスの愛しておられた弟子が、ペテロに「あれは主だ」と言ったら、初めてペテロの眼が開けて、死んだはずのキリストが生きておられる、ということがわかった。ここに、復活のキリストに接した経験が書いてあります。

私たちは頭でどれほど考えても、今、霊として生きておられるキリストはわかりません。今も生けるキリスト、それは超自然的な存在であって、よほど霊の眼が冴えている人ならともかく、一般の私たちがこの目で見ることはできません。

けれども、イエスの弟子たちがすっかり人生に失望し、生きる望みや力さえ失っていたような時に、だれかはわからないけれども耳元に囁(ささや)く声がする。その声に従って網を下ろしてみると、驚くべき祝福を発見した。その時に「これは主だ、主のご指示であったのだ」とわかって、生けるキリストを見上げたのです。

神秘な存在に運ばれて

私はガリラヤの土地を訪れました。春風駘蕩(しゅんぷうたいとう)、春霞のかかったガリラヤ湖の岸辺で、かつてこの地を歩かれたイエス・キリストを、自分の目で見ることはありませんでした。

しかし、私自身のことを考えてみると、なんと不思議であろうかと思います。15年前、人生すべてに破れて希望を失い、しかも占領軍の軍政官から捕縛命令まで出されて、おびえていた私が、不思議な神の声に導かれて伝道を志した。何の後ろ盾もない私を通して、神様は救いの御業を現したもうた。そして多くの人が願っても海外に行くことが困難な今、イスラエルのガリラヤ湖の岸辺、私はそこに立っているのだ、今立っているのだ、と。

今度の旅行については、私自身では何も用意をしませんでした。しかし、私のようなつまらん人間を、愛をもって助けてくださる方々がおられて行くことができた。そのように、すべてを備え与え、私を運んでくださった、何か神秘な存在を思った時に、
「主よ、あなたは2000年前と同様に、今も生きていたまいます。そうでなかったら、あなたを知ることもなく、私は日本をこんな遠く離れた所に来て、こんなうれしい一日を送ることはありませんでした」と感謝に泣きました。

ペテロたちは、あまりに大きな収獲に驚いて「ああ、このような獲物を得させたもうた者はキリストだ」と言って、復活のキリストを知りました。私もこの目でキリストを見ることはなかったけれども、私を取り囲むひたひたとした霊的雰囲気が私をここまで運んできたのだと思った時に、復活のキリストを感じてなりませんでした。

復活のキリストに触れる

キリストが今も実在しておられるということは、頭で考えてもわかりません。また、肉眼で見ようと思っても見られません。しかし、このヨハネ福音書には、弟子たちが2回目にイエス・キリストに出会った次第が書いてあります。エルサレムから都落ちして、田舎(いなか)で漁師に成り下がっておった弟子たちに、「何か食べるものはないか、何もないのか」と言って近寄ってこられたキリスト。

人間、何かをもっている時には、神の囁きを聴こうとはしません。しかし、すべてを失ってとても生きられなくなった時に、やっと神の囁きを聴こうと思う。そして、ひとたびその囁きに聴き従いますと、どえらい収獲、祝福がその人を取り囲む。このような生活を毎日毎日、連続して生きてゆくところに、キリストと共に歩く人生があるのです。

このような恵まれた生活をしないならば、本当の意味においてキリストの弟子ではない。何ゆえキリストの弟子でないのか。まず、キリストのお言葉に従わないからです。また、キリストが耳元で囁かれるとは思いもしないからです。

キリストの弟子として歩く生涯とは、何かキリスト教の教理や説明を信ずることではありません。生ける神と共に歩いて、思いがけない祝福に浴することです。しかも絶望しているような時、貧しく飢えて生きることもできなくなったような時に、近寄ってきて囁く者の声に応じてみて、大変に恵まれる経験があります。このようなサープラス(過剰)な、異常なほどの祝福の経験に入ることが復活の信仰です、復活の体験です。

私にとって、信仰とは生きることであって、何か頭で考えたり、信じ込んだりすることとは違います。思い切って一か八か、御声のまにまに引き回されて生きてみると、考えもしない祝福が自分を取り囲んでいることを発見する。とうてい信ずべくもない時に信ぜしめられてやってみると、大きな祝福を刈り取る。これが聖書の宗教であります。

どうか、私たちは復活のキリストに触れとうございます。それには、思い切って御声に従うことが大切です。神の御声に従って、予想外の異常な祝福に取り囲まれるのです。

キリストは岸に立って、炭火を熾(おこ)し、声をかけながら、祝福された場所を備えて待っておられる。さあ、一緒に食事をしようと言って立ち構えておられる。

私は、このような祝福された体験を幕屋の兄弟姉妹たち一人ひとりがされるのを見る時に、これこそ復活の主の御業である、といって御名をたたえます。しかし、この体験をしない人、御声に従おうとしない人は、いつまでもキリストがよみがえられたことがわからなかった弟子たちと同様です。

弟子たちも、イエスが岸に立っておられたのを見たが、それがイエスであるとわからなかった。しかし御声に従った時にイエスであることがわかった、とあります。

何もなかった弟子たちにキリストが近づかれ、驚くべき祝福を引き寄せてくださいました。人生に行き詰まった時に突然、状況が一変し、大きな祝福に入ること、これがヨハネ福音書21章にある復活の経験です。どうぞ、私たちもそうありたいと思います。

愚直なまでに御声に従う

おとといの夜の集会で、ある人が感話をして「だれさんは才能も素質もあって神様に用いられて幸福だ、神様が用いる価値があるんだ」ということを言われました。

そういうことを聞くと、恵まれた素質、力、価値をもって神に用いられる人は幸せだなあと思います。ひるがえって、私は自分自身のことを考えてみました。手島郁郎は神に用いられるほどの値打ちがあるだろうかと思うと、値打ちがないことを知りました。それならば、私は何か。私は神に召された人間である。神に呼ばれた人間である。

神は私に使命を託しなさる。使命を託されるということは、ある人の意思を託された、メッセンジャーであるということです。メッセンジャーというものは、ただ主人の使いで、言いつけた者の言葉を守るのが務めです。

私は実にそうです。このたびも、高い金を使ってイスラエルに行きながら、教友の訃報(ふほう)一本を受け取ると、神の御心と思って、1週間もおらずに日本に帰ってきてしまう。もしあちらに残っていたら、今日あたりはトルコに行って、三笠宮殿下(みかさのみやでんか)とご一緒してエペソでも訪ねていたかもしれない。そんなことを思うと、寂しい気にならんでもありません。

けれども、私は一つの発見をしました。それは、私は何も取り柄のない人間だけれども、自分の生涯を通じてキリストを否まなかった、ということです。

幼い時から、キリストは私に御名を現したまいましたが、私は今に至るまで御名を否まずに生きている。それがただ一つ幸福なことです。これで精いっぱい、それ以外に何もできないような召し使い、これが自分の姿だと思った時に、自分の存在の意味を見いだしました。世の中に利口な人は多くいます。だが、私のようなバカもおる。しかし、こんなバカな者をも用いたもう神様を、ほんとうにほめたたえました。

ペテロたちは漁師でした。漁師に戻って賢く魚を獲ろうとしましたが、彼らは一晩じゅう漁をしても何も獲れなかった。しかし明け方、岸辺に立つキリストに教えられて、まさかと思いながらも網を下ろしたら驚くべき祝福があった。御声に従ったからです。

世の中に有能な人はおります。うらやましいとも思います。しかし、私のような無能な人間でも、神のメッセンジャーとして神の口となることができる。それは、神に従順に、愚直に従うからです。そして従ってみると、驚くべき収獲が待っているのを知って驚きます。また、神がいっとき、その才能を愛して用いる人があります。しかし終生、神に仕え、神の口となって生きる人間、これはほんとうに少ないように思います。

無能な自分、しかしずっと変わらず、ただキリストに従い、僕(しもべ)として生きるということが、ほんとうに幸福だと思いました。そうしたら、人をうらやむこともなくなりました。無能であればこそキリストに従ってこられた、と感謝しております。私はいよいよ自分を虚(むな)しくして、節を曲げずにキリストのメッセンジャーでありたい、そう切に願っています。

冬枯れの野がすっかり春めいて、緑の衣を着て、赤や白や黄色の花を装うように、私たちも新しい生涯を送りとうございます。思い切って神の御声にお聴きして、信仰的決断をなさしめてください。不安な気持ちでおびえて、人生の船出をしている者に、どうかここで、復活の主を見上げて確実な祝福の道をたどらせてくださるよう願います。

(1963年)


本記事は、月刊誌『生命の光』830号 “Light of Life” に掲載されています。

賛美歌

次の記事

賛美歌「賛美の歌声 3」