人物訪問「沖縄に恩返しがしたい」

心に届く地域医療を

金城英與

新型コロナウイルス感染症の第5波がようやく収まったころ、沖縄県北部にある大宜味村(おおぎみそん)立診療所の医師・金城英與(ひでよ)さんをお訪ねしました。

那覇空港から車で北へ1時間半。診療所に到着するとまず、「東京から来られたので、念のため……」と院の外に設置された、PCR検査のための簡易診療室へと案内されました。検査を受けて待つこと15分、「陰性」の結果が出て、胸をなで下ろしながら、金城さんにお話を伺いました。

「隣村の国頭村(くにがみそん)で長年続けてきた個人経営の『ひかり医院』を閉じて、3年前にこの大宜味村立診療所に移ってきました。ここは充実した医療環境が備えられていて、今、地域医療のために思う存分働ける喜びを感じています!」

そう話される金城さんは、コロナウイルスも吹き飛ばすような、元気いっぱいのお姿でした。

大宜味村立診療所の受付ロビー

「実存心身医学」に出合う

沖縄は、金城さんが生まれ育った地であり、高校時代に「自分は何のために生まれてきたのか?」と苦悶した地。そして、原始福音の信仰に触れて回心し、生きる希望を見いだして、医学の道を志したのもこの地です。

その後、広島大学医学部の学生時代に「実存心身医学」に出合いました。それは病気そのものより、その原因となっている心の問題に立ち入って、患者に生きる意味を与えて治療する医学です。身体だけでなく、心も癒やす医者を目指して取り組んでこられました。

33歳で故郷の沖縄に帰ってきたのは、30年ほど前のこと。

「ある時祈っていたら『沖縄北部へ』という声が内に響いてきたんです。自分を育(はぐく)んでくれた故郷の沖縄に恩返しがしたい! 医療を通じて故郷にキリストの愛を伝えたい! そんな思いで、家族と共に移ってきました。そして県北の国頭村で『ひかり医院』を開業しました」

理想と現実のはざまで

けれども、これまでの道のりは決して平坦ではなかった、と言われます。

「国頭村には、ひかり医院とは別に村立の診療所が2つあります。開業当初は村全体には約7000人の人口があり、この3つの診療所に十分なニーズがありました。
ところが、村の高齢化が進み、人口が減っていく中で、経営的な問題が起こってきました。村立の診療所が近くにあるのに、わざわざ遠くのひかり医院に来る患者さんがあったりして、ひかり医院が村立診療所の経営を圧迫するような形になってきたんです。
村長からは、『村立診療所と協力してやってくださいよ』と言われます。けれども、ひかり医院は村から補助がある村立診療所とは違って、あくまで個人経営。
地域の皆さんに喜ばれる一方で、経営はギリギリの状況でした」

そのような中、追い打ちをかけるように、老朽化した医院は50年に1度という大雨で被害を受けました。雨漏りがひどく、修復が困難な状況に陥ったのです。

さらには、奥さんのみどりさんが、「強皮症」と呼ばれる重度の膠原病(こうげんびょう)に倒れました。重症化すると死に至ることもあるそうです。

「医者というのは、病気の最悪の結果を考えますので、妻の病名を聞いてほんとうに落胆しました。
医院の経営にも行き詰まって、ひかり医院もここまでか、と進退窮まりました」

ゼロからの出発

窮地にある金城さんに、親しくしていた議員さんから「隣の大宜味村の診療所に移らないか」と声がかかりました。しかし、ひかり医院を慕っている患者さんや、勤めている看護師さんたちを思うと、医院を閉じるかどうか、とても悩んだと言われます。

「教友の家庭での小さな祈り会で祈っていた時です。『紆余曲折はある。しかし、これをなすのはわたしである』という神様の御声が心に響いてきたんです。
その時に『ひかり医院も、家族のことも、今までの生き方や信仰も、すべてあなたにおゆだねします。そして、ゼロからやり直させてください』という祈りが、勃然(ぼつぜん)とわいてきました。すると、『よし、思い切って移ろう。大宜味村は、北部三村の要、ここに移ることは撤退ではなく、前進なんだ!』と覚悟が決まりました」

そうして、大宜味村立診療所での、新しい歩みが始まりました。ひかり医院のスタッフも一緒に移ってきました。金城さんを慕って国頭村から送迎車で通院されている患者さんもいます。コロナへの対応と通常診療を同時並行で行ない、その傍ら特別養護老人ホームの嘱託医、診療所に通えない人たちのための訪問診療と、八面六臂(はちめんろっぴ)の働きをしておられます。

海に面した診療所

院内診療の合間を縫って、寝たきりの103歳になるおばあちゃんのお宅を一緒に訪ねました。

「おばあちゃん来たよぉ。元気にしてたね?」と金城さんが声をかけると、「金城先生が来てくれて、うれしい……」と、おばあちゃんは涙を流して喜ばれました。

親身になって患者さんの話に耳を傾け、語り合ううちに患者さんの心が元気になり、生きる希望を見いだしていく。「実存心身医療」を身をもって実践してきた金城さんの姿をかいま見る思いがしました。

「診療所のある地区は『塩屋』といいます。ここに来て心に響くのは、『あなたがたは地の塩である』とのキリストの御言葉です。塩は形を失ってその効力を発揮するように、私もそのような心で診療に当たり、地域に溶け込んでいきたいと願っています」

先人の志を継いで

「またこの地は、私の父や幕屋の伝道者の方々が、キリストの福音を命をかけて伝えた地でもあります。私もその志を受け継いでいきたいと願っています」

金城さんのお宅を開放して行なわれている沖縄北部の集会には、子供さんが病の方、がんを患う方、神の救いを求める方が何人もお集いです。沖縄の心痛んだ方たちに、キリストの御霊の注ぎを願って涙しつつ祈られる金城さんのお姿が、心に残りました。


本記事は、月刊誌『生命の光』829号 “Light of Life” に掲載されています。