突破の瞬間「宝が眠る場所」

最悪な場所と決めつけていた所から大事な物が

木村聖徒

若いころの私は、充実した人生とは、自分が願い、思い描いたとおりに歩むことだと思っていました。しかし実際には、特に10代、20代のころ、自分の人生に描く理想と現実のギャップの大きさに、私はよく悩みました。

受験に失敗したり、就職してからも仕事を途中で放り出して家に帰ってしまったりと。そのたびに、「おれの人生は最悪だ」とか「どうせ何をやってもうまくいかない」と、自分で自分をあきらめてしまうのです。

そんな自分を変えたいと願って、私は一念発起して20歳の時に聖書の舞台イスラエルに留学しました。そして、イスラエルにある多くの遺跡に魅了されて、現地の大学で聖書考古学を学びはじめました。課外授業で遺跡を訪れるたびに、数千年前にタイムスリップしたようで心躍りました。

私が通っていたヘブライ大学

課外授業は大好きだったのですが、肝心のテストではどれも合格点を取ることができず、1年生の時から落第寸前でした。

その時も「まあ、海外で勉強してるんだし、こんなもんだろう」と努力が足りなかったことをごまかして、ひたすら言い訳を探すのです。

それでも実力不足を痛感した私は、1年生の夏に行なわれる発掘授業をいい思い出に、日本に帰国しようと考えていました。

A5地区

そんな気持ちで参加した発掘授業の初日、私は自分がこれから約1カ月発掘を担当する場所に着いてみて、ガッカリしました。私の現場「A5地区」は町の門の外、何もない荒れ地でした。

これが町の外の現場 A5地区。ほんとうに何か見つかるのか。

掘っても掘っても、出てくるのは土と、大量の土器の破片だけ。町中で発掘作業をしているクラスメートたちからは、次々と見つかる発見物に、歓声が上がります。その一方で私は「何でおれはこんな所を掘らないといけないんだ。期待したのが間違いだった……」と、すっかり心が折れてしまいました。

最後の思い出にと期待していた発掘でも、町の外。私は思い出作りすらあきらめました。

そんな数日を過ごしていた時でした。何げなく手にした小さな石を裏返してみたら、木の模様が彫られているように見えます。

「いや、まさかな……」と半ば疑いながら土を払ってみると、木の模様がはっきりとわかりました。

この模様はまさか……?

私はびっくりして、小石を両手で持って、発掘の総責任者である教授のもとへ持っていきました。教授はサングラスを老眼鏡に替えて、じっくりと小石を眺めています。そして、満面の笑みを浮かべて、「よくやってくれた」と握手してくれたのです。

どうやら私は、約3700年前のエジプト由来の印章を見つけてしまったようなのです。50年間発掘してきた場所で、初めての出土品でした。その日、一番の歓声は、町の外から上がりました。

一番の発見

後で知ったことですが、発掘現場で一番の宝庫は、かつてゴミ捨て場だった場所です。私の現場が聖書時代のゴミ捨て場だったかはわかりません。でも私がいちばん最悪な場所と決めつけていた所から、大事な物が見つかったのです。

お世話になった大学の方々
(左から2人目が私)

その日の作業を終えて宿舎に戻ってからも、私の胸には興奮がやみません。古代の印章を発見したこと以上に、ゴミ捨て場のような所に宝が眠っていたことに感動したのです。それから私はだれもいない場所に座り、天を見上げて泣きました。その日の日記には、

「やってしまった! こんなおれが……見つけてしまった! 神様、ありがとうございます!」

と、躍るような筆跡で泣きながら記したことを鮮明に覚えています。私はこの日、大切なことを神様から教えていただいたのです。

境遇や環境のせいにしてあきらめてしまうのは違う。人に見捨てられ、自分でも見捨ててしまったようなところであっても、大事なものがある、その人にとっての宝があるのだ、と。この発見は古代の印章よりも大きな発見となって、私の人生を変えました。

あの日から20年がたちました。今でも理想と現実のギャップに悩むことはあります。でも、かつての私とは違います。自分が置かれている現状にも必ず宝は眠っているはずだ、それを見つけてみよう、そのような気持ちで、今を生きています。

Profile

木村聖徒(43)
本記事の体験を通して学業にも身が入り、大学を無事卒業。日本帰国後は松江、新潟、埼玉と、キリストの伝道に生きる。
もう一度、発掘に行きたいとひそかな願いを胸に、今もイスラエル考古学の最新情報は欠かさずチェックしている。


本記事は、月刊誌『生命の光』831号 “Light of Life” に掲載されています。

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