信仰の証し「飛騨の地で子供たちと向き合う日々」

桂川修

私は岐阜県の飛騨(ひだ)地方で長年、中学校の教師をしてきました。60歳で退職して、今は私の住む下呂(げろ)で、放課後の小・中学生を相手に寺子屋を開いています。自治会の活動として始め、最初は5人でしたが、2年後の今では40人になりました。また、何人もの方々が協力してくださっています。

この地域の子供たちは、大学生になり成人したら、みんな都会へと出ていってしまいます。だからこそ、子供の時に故郷・飛騨の素朴なよさを心に刻んでほしい。そういう思いと祈りを込めて、一人ひとりに語りかけては勉強を見ています。

私が幕屋の信仰で生きるようになったのは、小学6年生の時から近所の英語塾で学んでいたことがきっかけです。その塾では松田先生という方が教えておられました。授業の最初に祈ったり、賛美歌を歌ったりと変わった先生でしたが、その人柄に信頼して高校生の時までその塾に通っていました。

やがて大学受験をしましたが、すべて失敗。それで今後のことを相談するため、母と一緒に松田先生に会いに行きました。そこで勧められたのが名古屋幕屋の集会に出ることでした。先生は幕屋の方だったのです。

次の日曜日、母と下呂から名古屋に行きました。集会に出て母は感動していましたが、私はそうでもなかったんです。そして母は、私が名古屋の予備校の寮に入ると決まっていたので、名古屋幕屋の伝道者の先生に、「息子に幕屋で食事をさせていただけませんか」と頼んだんですね。それを承知してくださったので、私は毎日、夕飯を食べに幕屋に行くようになりました。

2カ月ほどした時、伝道者の先生から「桂川君、君も集会に出てみないか」と言われ、断る理由もないので「わかりました」と、日曜日の集会に出たんです。

すると、「今日は桂川君という青年が来ています」と紹介されました。集会の最後、祈りになると、何人もの人が私のもとに来て手を按(お)いて熱く祈ってくださったんです。その時、心の中がカーッと熱くなって涙があふれ出し、喜びがわく体験をしました。

実は、私が中学2年生の冬に祖父が亡くなり、それがすごくショックで、人が死ぬことに恐れを感じていました。また当時、同級生が自殺したこともあり、私は次第にノイローゼ状態になっていたんです。

そんな私でしたから、その恐れと不安を解決できる何かを、心の深いところで求めていたのだと思います。その求めに神様は、祈りの中でこたえてくださったのです。とにかくこの祈りの体験がうれしくて、それ以来、進んで集会に出るようになりました。

やがて岐阜大学の教育学部に入り、教師を目指しました。それは、集会で幕屋の子供たちの純情で純粋な心に触れた時に神様から、おまえには未来を担う子供たちのために、信仰をもった教師としての使命がある、と示されたからです。

それで卒業後は、岐阜県の北の端にあった神岡町(当時)の学校に勤めました。その学校は山間部にあり、2階が小学校で3階が中学校になっていて、私は中学の英語教師として赴任しました。生徒はみんな素朴で、楽しく3年間を過ごしました。

その後、私の母校である下呂の中学校に赴任しました。ところが、そこは校内暴力でひどく荒れてしまっていたんです。3年生を受け持ちましたが、2年生の教科書が全然終わっていないのです。授業を始めるまで暴れる生徒を座らせるのに15分。消火器を撒(ま)いたり、廊下を自転車で走ったり、ひどい時は教員室にも殴り込んでくる始末です。

最初は私も、何とかしてやるぞ、と燃えていました。でも一向に状況は改善せず、次第に疲れ果ててきて、朝起きるのもつらく、神様から示された教師の道ですが初めて、もう辞めたいと思いました。そんなある朝、

夜はよもすがら泣きかなしんでも、
朝と共に喜びが来る。

詩篇30篇5節

という聖句が魂に響いてきたんです。折れかかっていた私の心。そんな私を神様は見ていて励ましてくださる。これはあきらめるわけにはいかないと、腹の底から熱い力がわき上がってきました。その後すぐに状況が変わったわけではありません。でもこの聖句に励まされ、何とか卒業式を迎えることができました。

そして最後の学活の時でした。私は、自分が神様に出会って教師を目指し、どう生きていいか悩んでいる生徒たちの力になりたいと思って担任として今まで皆と向き合ってきたことを、泣きながら話しました。

話し終わって教室を出たら、いちばん荒れていた男子たちが涙を流し、「先生!」と駆け寄ってきたんです。私は思わず彼らを抱きしめました。うれしくて涙が止まりませんでした。その彼らも今では、地元でしっかり社会人として働いています。

その後、3年間ブラジルの日本人学校に赴任したり、教育委員会や教頭の職を担ったりとさまざまな経験をしながら、60歳で長年勤めた教員の職を辞しました。

この地方もどんどん少子高齢化が進んでいますが、今はまず次の時代を担う子供たちと向き合いながら、彼らの心を耕していきたいと願っています。

そしてまた、私の生まれ育ったこの地に、原始福音の信仰を伝えていく使命も覚えています。

飛騨の地には、私が信仰に触れる以前、松田先生や少数の幕屋の方たちがおられました。そして、生活のすべてを挙げて、伝道者を支えながら喜んで生き、この信仰を伝えておられたそうです。

そのことを思う時に、幕屋の先人たちの祈り、それを実現に至らせる使命が私にはある。そのために私も用いてください、と祈っています。


本記事は、月刊誌『生命の光』877号 “Light of Life” に掲載されています。

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