エッセイ「盲人の眼に映るもの」

伊藤啓光(ひろあき)

私の父は、福岡県生まれの九州男児。気性の激しい親父で、私が悪ふざけをすると、決まって雷が落ちる。時には鋭い鉄拳が飛んでくることもあった。

「いってぇ! また殴られた……」

なぜか、いつも的を射るように、父の拳(こぶし)が私にジャストミートする。不思議でしょうがなかった。だって、父の目は何も見えていないと思っていたから。

父は生まれつき目に障害があり、不自由な人生を歩んできた。抱えていた病気は網膜色素変性症といって、年を追うごとに視野が狭くなり、やがて失明する。若い時から未来に希望をもてず、自分の人生を恨むほど心は荒(すさ)んでいた。

そんな時に、父は幕屋に出合った。そして、生けるキリストに触れて救われる経験をした。

それから数年後、父のもとに私は生まれた。ただそのころから、父の視力は極端に衰え、次第に一人で外を歩くこともままならなくなっていった。杖を突きながら歩いても、溝に落ちて転び、びしょ濡れになって帰ってきたこともあった。

しかし、視野が狭くなるのと反比例するように、祈りの力はどんどん増しているようだった。反抗期だった私は、そんな父の存在を避けていた。でも父は毎朝、叫ぶように祈っていた、「神様、今日も啓光を守ってください。助けてください」と。

その祈りあってか、私も高校生の時、キリストの生命に触れる体験をすることができた。

老年期を迎えた父の目は、完全に閉ざされてしまった。しかし、キリストによって魂の眼(め)ははっきりと開かれた。父はよく言っていた、「おまえに見えるものは、おれには見えない。でもな、おまえに見えないものが、おれには見えるんだ」と。

数年前、父は何も見えないのを承知のうえで、イスラエルへ巡礼に行った。そして、イエス・キリストが歩まれたガリラヤ湖畔に立って涙した。「イエス様が吸った空気がここにある」。父はその時、眼(まなこ)にピカーッと光り輝くものを見た。それは、魂が救われた盲人にしか感じられない光だったのだろう。

父が仰ぎ見る隠された世界に、私もまたあこがれを抱いている。


伊藤啓光
浜松の出身で、仙台に暮らす3児の父、39歳。大の甘いもの嫌いだが、自分の子供たちにはとても甘い。


本記事は、月刊誌『生命の光』825号 “Light of Life” に掲載されています。