突破の瞬間「卒業、ピンチ! でも山でキラリと!」

伊藤啓光(ひろあき)
「開学100周年の祝賀イベントに、あなたを招待します」
今年の初め、母校であるエルサレム・ヘブライ大学から、招待状のようなメールが届きました。
私は、すべての卒業生に一斉送信されたであろうそのメールを、気に留めることなく削除しました。もちろん、日本にいる私が参加できるはずもないと思ったからです。
でも後日、留学体験を知人に話していると、楽しくもあり、苦しさも存分に味わったキャンパスライフが、走馬灯のようによみがえってきました。できの悪い自分が卒業したなんて、奇跡だよな。あの時は青春だったよな、とか……。
もしかして、あの留学がなければ、今の私はないかもしれない。そう思うと胸が熱くなりました。
進路を誤った?
20歳のある日、私はイスラエル留学へと旅立ちました。将来の夢はなく、勉強もせず、ただ部活動に没頭していた高校時代を思うと、海外留学は大きなチャレンジでした。それでも、がむしゃらに勉強したかいあってか、奇跡的にヘブライ大学に合格したのです。
しかし、海外での学生生活は楽なものではありません。何とか最終学年の授業は受けたものの、数え切れないほどの試験とレポート、それに卒業論文が残っていて、すっかり意気消沈。さらにビザが失効し、滞在の延長ができないことが判明。完全に追い込まれました。
「もうダメだ……。卒業はあきらめて日本に帰ろう」
そう心に決め、日本へ帰るためのチケットを購入しました。
でも、そんな私の姿を見ていたある知人が、「ここで逃げたら一生後悔するぞ!」と迫ってくださいました。そして、ビザの延長に望みがあるかもしれないと、一度国外へ出て観光ビザで再入国することを勧めてくださったのです。
そんなことをしても卒業は無理だ、ということはわかっています。けれど、せめて留学最後の思い出になればと思い、エジプトのシナイ山へ行くことにしました。
シナイ山は、旧約聖書において、預言者モーセが神から十戒を授かった場所とされる聖地。聖書を読む者として、一度は訪れてみたいと思っていました。

首都カイロからバスに揺られること8時間。シナイ山のふもとに着いた時には、辺りは真っ暗で、人影すらありません。やみに包まれていたせいか、目の前にそびえ立つ、2000メートル以上のシナイ山は、写真で見るより何十倍も大きく感じられ、恐ろしさを覚えました。
辛うじて空いていた1泊500円の安宿に入り、早めに床に就きました。しかし、真冬の寒風が部屋に吹き込み、身も心も締めつけられて眠れない。自分の惨めさを思うと自己嫌悪に陥り、「どうして留学の道を選んだのか……」と考えるだけで、絶望感が心を覆い尽くしました。
そんな、どうしようもなく落ち込んでいた私の中に突然、声なき声が響いてきました。
「わたしは必ずあなたと共にいる。これが、わたしのあなたをつかわしたしるしである」
パッと聖書を開くと、その言葉が目に飛び込んできました。それは、エジプトで奴隷だったイスラエルの民を救うため、神がモーセを召した時の言葉だったのです。
「自分はいったい何者なのだろうか」と悩み苦しんでいたモーセにとって、この一言がどれほど励みとなり、力強い約束に感じたか。
そして今、神様はその言葉をもって、こんな私をも力づけてくださる。私の胸は感動に震え、涙が止まりませんでした。
誰かに背中を
翌朝未明、私は再び山のふもとに立ちました。しかし、山は前日とはまるで違って見えました。私の気持ちが変わっていたからだと思います。そして一歩一歩、踏みしめるように歩きはじめました。
険しい山道は、まるで私の留学生活そのものでした。でも、不思議と足は前へ前へと進んでいく。「高き山にのぼれ!」と、誰かに背中を押されているようでした。
頂上に着き、輝くご来光を仰いだ瞬間、生まれ変わった自分がそこにいるのを感じました。「大丈夫、やれるぞ!」と、降り注ぐ光がそう語りかけている。こんな感覚は初めてでした。
私をこの山へ、また留学の道へと導き、時には追い込みながらも、共に歩んでくださる方がおられる。そのことを実感し、心の底から感謝が込み上げてきました。
延長できたビザは、わずか3カ月でした。それでも私は、何年分もの学びをしたかと思うほど勉強しました。また大学の友人たちも、寝る間を惜しんで支えてくれました。卒業が決まった時は、感謝と感激で胸がいっぱいになりました。

あれから15年がたちました。海外の大学を卒業したからといって、安定した仕事を得たわけではありません。しかしそれ以上に、冒険の先には神様がドラマチックな展開を備えてくださる、と信じる心を与えられた。そう確信する、青春時代のかけがえのない体験でした。(東京都在住 42歳)
本記事は、月刊誌『生命の光』866号 “Light of Life” に掲載されています。